魔力がないからと面倒事を押しつけられた私、次の仕事は公爵夫人らしいです
辺野 夏子/ビーズログ文庫
プロローグ
「おとなしくしててね」
そう声をかけると、
どうやら痛みは治まったようだ。
「はい。あとはお医者様に
満足した騎竜はゆっくりと
グランジ王国をはじめとしたこの大陸に広く生息する野生の小型
この国では何百年もの昔から竜を訓練し、それに
騎竜は相棒であり、財産であり、そして大地から
彼らが大地に
この国では、大地からの贈り物とされる騎竜の世話係は
朝は日が
私は二年前、家族によって「役立たずの
代々
初めは慣れない仕事に
ふとした時にきらきらとした貴族の世界が
要としてくれている。今はもう、それで十分だと思っている。
「さて、日が昇りきる前に片付けてしまわないと……」
「ラルゴ! あなた、また
二つ
板の弱った
「もう、やめなさい。また足が痛くなるわよ」
「ぎゃうっ」
私の忠告にラルゴは短く鳴いて、一歩後ろに
戦争で大怪我をして走る能力を失ったラルゴは、
少し前まではウェルフィンという長老格の騎竜が彼らを取りまとめてくれていたのだが、彼は今年の春先に老衰で天に
「もう、ね。今が幸せなら、いいじゃない?」
柵を
「別に、あなたに意地悪をしたいんじゃないのよ」
ラルゴの脱走は
騎竜は基本的に
そのような悲劇が起きることを、私はもちろん、彼の元主人も望まないはずだ。二人が離ればなれになってしまった理由は不明だけれど、ラルゴは
「柵を直すために、あなたには
「もう。いたずらばかりだと、若様が送ってきてくれたおやつをあげないわよ」
『若様』は騎竜の里に寄付や贈り物をしてくださる
おやつの
「そうそう、いいわね。その調子……」
「アルジェリータ。お前さんに手紙だ」
ラルゴをなだめながら歩いていると、
「手紙……?」
騎竜の里は深い森の中にあり、
「クラレンス伯爵家……お前さんの実家からだ。まあ、いい知らせじゃねえだろな」
私の戸惑いが通じたのか、施設長は
『大切な話がある。すぐに戻れ』
たった一行だけの、手紙。
――これは一体どういう意味なのだろう?
「よほど大事な話だろう。仕事は気にしないで、早く帰りなさい」
施設長の言葉にしぶしぶ
*****
「ただいま戻りました……」
「失礼します」
「
入室した
「……申し訳ありません」
騎竜の里は王都の外れにあり、手紙が届くまでには市街地宛よりも時間がかかる。クラレンス家の人々からすると、私が
「まったく、お前は社交界に出ていないから常識がない」
私に形ばかりの
おとなしく
――何のために
「アルジェリータ。お前のことを、ブラウニング
父の
「私を、公爵家が……何ですか?」
思わず聞き返した言葉は父の神経を逆なでしたのか、舌打ちが聞こえた。
「相変わらず物わかりが悪いな。いくらなんでも武勇で名高い公爵家を知らないとは……お前は本当に無能だ」
この国でブラウニング公爵家の名前を知らないものはいない。聞き覚えがないわけではなく、説明が簡潔すぎて、理解できなかっただけなのだけれど。
「もう一度言うぞ。アルジェリータ、お前はブラウニング公爵家に
一度口にすると勢いがついたのか、父は手にしていた書面を私の前に投げ出した。そこには『アルジェリータ・クラレンスに関する権利の全てを
「でも、どうして私なんかを……」
家の
何かの間違いとしか思えないし、それに何より私にはデリック・アシュベル――親の決めた婚約者がいる。
「デリックのことは……」
「こんなにいい話はないのだ、すでに決まったことにぐだぐだと文句を言うな」
「そうよ、アルジェリータ。公爵家からの縁談なんて、身に余る光栄よ」
両親は私の疑問を
「公爵家にすぐ返事を出す。
「待ってください。どういうことですか? 私に関する全ての権利というのは」
先ほどから縁談、縁談と言っているけれど、書面には『嫁ぐ』なんて書いていない。
問いかけに、父は顔をしかめたままで答えない。
「どのような
「でもどうして、ルシュカではなく私にお話が……」
「いやあね姉さん、ブラウニング公爵家と言っても、ご当主様じゃないんだから気にすることないわよ」
不可思議な提案について何かヒントを得ようと
「姉さんの
「ローラン様、って……」
ローラン・フォン・ブラウニング様のことはもちろん知っている。
「ルシュカ!」
余計なことを、と続きそうな父の
「いいじゃない、別にすぐわかるのだし……
ルシュカは私を頭のてっぺんからつま先まで満足げに
「わかりやすく説明してあげるわね。姉さんは竜じゃなくて、お
父の気まずそうな
「……そのような言い方はよくないぞ。ブラウニング公爵家はアルジェリータの働きを評価してくださったのだから」
ローラン様は大変気難しい方で、奥様を
身の回りのことは極力自分でする方ではあるが寄る年波には勝てず、
そこで聞きつけたのが伯爵家の、変わり者の娘についての
大変な騎竜の世話にも音を上げず、
この娘なら後妻にぴったりだと、両家の間で合意の契約が結ばれたらしい。
「財産はすでにほとんど
「でも……」
「お前ごときが、せっかくいただいた縁談にケチをつけるものじゃない!」
「うちは断るわけにはいかないのよ、わかるでしょう?」
この件については決定
「……アシュベル家との縁談は?」
その話題については完全に
「それは
予想もしなかった言葉に、耳を疑った。
妹の中には恥の
「ほら、デリック。きちんと姉さんにお断りの
ルシュカがはしゃいだ声を出すと、静かに書斎の
まるで犬のように呼ばれて、ひょこひょことこちらに向かって歩いてくる様は、とても情けなく見えた。
「アルジェリータ、すまない。ほら、こういうこと、だ」
ルシュカは
――私が騎竜の里で働いている間、彼ら二人に何があったのだろう?
わからないことだらけだ。無言になったのを、
「アルジェリータは騎竜の世話しかしてこなかったから、城での
デリックは私が老人の後妻として嫁ぐことがさもめでたいかのように手を
「そんな相手だから、気を使う必要もなく楽でしょ? 求められて嫁ぐのだから、姉さんは幸せよ。適材適所、ね」
たたみかけるようなルシュカの声に、もう話は終わったとばかりに両親が立ち上がる。
「……アルジェリータ、そういうことだ。我がクラレンス家が公爵家と
それとも、お前はそれ以上のものをクラレンス家にもたらせると言うのか?
私を見下ろす父の視線はそう問いかけている。確かに、私はこの家の人たちにとって利になるものを何一つ持っていない。
「……わかりました。私、ブラウニング公爵家に向かいます。でも、その前に一度騎竜の里に戻って……」
「逃げるつもりか!」
父が机を
「そういう訳じゃ……」
私は私なりに、今の仕事に責任とやりがいを持っている。急に私がいなくなったことで、
「公爵家からは可能な限り早く来てほしいと
父の
「大丈夫です、お父様。私、先ほど公爵家にお手紙を出してきました。めでたいことですもの、早い方がいいでしょう――姉妹にも結婚の順番がありますから」
「おお、ルシュカ、ありがとう」
白々しい会話だけれど、二人の笑顔は本物だ。なにせ、私に思わぬ高値がついたのだから
ー―魔力が足りないから、姉妹で差を付けられるのは仕方がないと自分に言い聞かせながら生きてきて、やっと自分の居場所を見つけたと思っていた。けれどそれは私の見た甘い
私はもう、里に戻れない。こんなにも簡単に、無責任な別れが来るなんて――
目を開けた時、私の家族だったはずの人たちは「もう話は終わった」とばかりに、部屋からいなくなっていた。
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