魔力がないからと面倒事を押しつけられた私、次の仕事は公爵夫人らしいです

辺野 夏子/ビーズログ文庫

プロローグ


 

「おとなしくしててね」


 そう声をかけると、りゅうは静かに首を下げた。手の平で短くかたい毛をかき分け、かんに手を当ててりょくめると、騎竜は気持ちよさそうにのどを鳴らして、目を細めた。

 どうやら痛みは治まったようだ。


「はい。あとはお医者様にてもらいましょうね」


 満足した騎竜はゆっくりときびすを返し、放牧地の中心へと、のそのそ歩いていった。

 グランジ王国をはじめとしたこの大陸に広く生息する野生の小型りゅうちく化、品種改良した種のうち、飛行せず草食動物のように走るものを『騎竜』と呼ぶ。

 この国では何百年もの昔から竜を訓練し、それにじょうし、野や山をけ、共に暮らしてきた。

 騎竜は相棒であり、財産であり、そして大地からたまわったおくものとして、つうの家畜とはちがあつかいを受けており、傷病やろうすい等で職務を全うできなくなった竜たちはこの場所、つうしょう「騎竜の里」で最後の時を過ごすために集まってくる。

 彼らが大地にかえるまでの間、お世話をするのが私の役目だ。

 この国では、大地からの贈り物とされる騎竜の世話係はめいであり、欠かすことのできない大切な職業として扱われている。けれど実態は生き物のめんどうをみる、それだけだ。

 朝は日がのぼりきる前に起きて、一日中二本の足で騎竜の里を駆け回る。夏はげるように熱い太陽、冬はれるらし。そのようなこくな自然かんきょうさらされながら、死にゆく存在――しかも、人間より何倍も力が強く、高い知能を持ちながらもきょうぼうな性格が多い騎竜を大多数の人間はおそれるし、実際にをすることもめずらしくはない。だから働き続けることができるのはほんのひとにぎりで、年中人手不足だ。

 私は二年前、家族によって「役立たずのごくつぶしなのだから、せめて人様の役に立つ仕事をしろ」とこの場所に送り込まれた。

 代々やしのほうを得意とするクラレンスはくしゃく家のむすめとして生まれながら、わずかな魔力しか持たなかった出来の悪い私をかくす目的もあったのだろう。

 初めは慣れない仕事にまどい、自分の身の不運をなげくばかりだったけれど、肉体労働の過酷さよりも、実家でしいたげられている精神的苦痛の方が私にはよっぽど毒だったようで、今ではすっかりこの暮らしに適応して、来たころよりずいぶん明るくなったね、と言われることが多くなった。

 ふとした時にきらきらとした貴族の世界がうらやましくなる時もあるけれど、ここの騎竜たちは私を……外傷をできず、ただただ痛みをやわらげる程度のことしかできない私を必

要としてくれている。今はもう、それで十分だと思っている。


「さて、日が昇りきる前に片付けてしまわないと……」


 わらを運ぶために倉庫へと向かおうとすると、にぶしょうとつ音が聞こえてきた。騎竜がさくっているのだろう。


「ラルゴ! あなた、まただっそうしようと……!」


 二つとなりの放牧地の柵を、一頭の騎竜が腹立たしそうにがしがしと蹴っていた。

 板の弱ったしょかいし、そのすきからす算段だろう。そうはいかないと柵に近寄ると『人間はか弱い存在で、蹴ってはいけないもの』とにんしきしてはいるらしいラルゴは、動きを止めてしおらしそうな顔をした。


「もう、やめなさい。また足が痛くなるわよ」

「ぎゃうっ」


 私の忠告にラルゴは短く鳴いて、一歩後ろにんだ。

 戦争で大怪我をして走る能力を失ったラルゴは、はなればなれになってしまった主人のことがまだ忘れられないらしく、しょっちゅう脱走を試みている。

 少し前まではウェルフィンという長老格の騎竜が彼らを取りまとめてくれていたのだが、彼は今年の春先に老衰で天にされた。そうなると、またラルゴの脱走へきが再発してしまい、ここ最近、職員全員のなやみの種になっている。


「もう、ね。今が幸せなら、いいじゃない?」


 柵をえ、放牧地の中に入ってラルゴのづなに手をかけると、彼はぐるる、と喉を鳴らした。きっと口うるさいやつが来てしまっていやだなあ――と思っているのだろう。


「別に、あなたに意地悪をしたいんじゃないのよ」


 ラルゴの脱走はだれのためにもならない。

 騎竜は基本的にしょうあらい。脱走して万が一人間を害するようなことがあれば、秘密に殺処分されてしまうと聞く。

 そのような悲劇が起きることを、私はもちろん、彼の元主人も望まないはずだ。二人が離ればなれになってしまった理由は不明だけれど、ラルゴはらしい相棒だったはずだし、彼がまだ主人に会いたがっているのが何よりのしょうだ。


「柵を直すために、あなたにはいったん小屋にもどってもらうわ」


 しょうしながら手に力を込めて引っ張るけれど、ごうじょうなラルゴはびくともしない。


「もう。いたずらばかりだと、若様が送ってきてくれたおやつをあげないわよ」


『若様』は騎竜の里に寄付や贈り物をしてくださるとく家の一人だ。おいそがしい方らしく直接お会いする機会はない。私が知っているのは、男性であることだけ。

 おやつのゆうわくには逆らえなかったのか、ラルゴはのろのろと歩き出した。


「そうそう、いいわね。その調子……」

「アルジェリータ。お前さんに手紙だ」


 ラルゴをなだめながら歩いていると、きゅうしゃの手前でせつ長に呼び止められた。


「手紙……?」


 騎竜の里は深い森の中にあり、ぞくからはかくされている。何より、私がここで働くことを知る人は身内以外にはかいだ。つまり手紙のやり取りをするような相手はいないのだけれど……何か、悪い予感がする。


「クラレンス伯爵家……お前さんの実家からだ。まあ、いい知らせじゃねえだろな」


 私の戸惑いが通じたのか、施設長はじゃっかんしぶい顔で手紙をわたしてきた。

 あての下に赤いインクで「至急」となぐき。嫌々ながら、ふうを開ける。


『大切な話がある。すぐに戻れ』


 たった一行だけの、手紙。

 ――これは一体どういう意味なのだろう?


「よほど大事な話だろう。仕事は気にしないで、早く帰りなさい」


 施設長の言葉にしぶしぶうなずき、急いでたくをし、一日一便しか出ない王都行きの貨物馬車の隙間に乗り込んだ。



*****



「ただいま戻りました……」


 ひさりに足をれたクラレンスはくしゃくていでは、使用人もどこかピリピリとした空気をまとっていた。……やはり、何か悪いことが起きたのだろうか。

 がおむかえてくれる人がいるはずもなく、私は両親が待つしょさいへと向かった。


「失礼します」

おそい! 一体、どこをほっつき歩いていたのだ!」


 入室したしゅんかんせいが飛んできた。これは想像通りだけれど。


「……申し訳ありません」


 騎竜の里は王都の外れにあり、手紙が届くまでには市街地宛よりも時間がかかる。クラレンス家の人々からすると、私がそくじつ手紙を受け取った後にちんたらとしていた、という発想になるらしい。


「まったく、お前は社交界に出ていないから常識がない」


 私に形ばかりのこんやく者をあたえた後、な金を使う必要はないとばかりに「騎竜の世話が大好きで社交界に顔を出さず、森に引きこもっている変わり者」のレッテルをって、へきに押し込んだのは一体誰だっただろうか? もう今では自分にはくしゃくれいじょうの身分があることすら忘れかけているぐらいだったのに……と思ったが、口をつぐむ。はんこう的な態度を取ったところで火に油を注ぐだけだ。

 おとなしくあごで示されたソファーにこしけた私を、父と母が若干きんちょうしたおもちで見つめている。誰かの急病というわけではなさそうだ。

 ――何のためにもどされたのだろう?

 いぶかしんでいると、父がゆっくりと口を開いた。


「アルジェリータ。お前のことを、ブラウニングこうしゃく家がお求めだ」


 父のとつぜんの言葉に、頭の中はもんでいっぱいになる。


「私を、公爵家が……何ですか?」


 思わず聞き返した言葉は父の神経を逆なでしたのか、舌打ちが聞こえた。


「相変わらず物わかりが悪いな。いくらなんでも武勇で名高い公爵家を知らないとは……お前は本当に無能だ」


 この国でブラウニング公爵家の名前を知らないものはいない。聞き覚えがないわけではなく、説明が簡潔すぎて、理解できなかっただけなのだけれど。


「もう一度言うぞ。アルジェリータ、お前はブラウニング公爵家にとつぐんだ」


 一度口にすると勢いがついたのか、父は手にしていた書面を私の前に投げ出した。そこには『アルジェリータ・クラレンスに関する権利の全てをゆずけたい』と書き記されており、その下には確かに見覚えのある印章が押されている。印章のぞうは重罪だ。公爵家からの申し出にちがいはないのだろう。


「でも、どうして私なんかを……」


 家のはじとまで言われた娘だ。ごく普通に考えて公爵家とのえんだんなんてありえない。

 何かの間違いとしか思えないし、それに何より私にはデリック・アシュベル――親の決めた婚約者がいる。


「デリックのことは……」

「こんなにいい話はないのだ、すでに決まったことにぐだぐだと文句を言うな」

「そうよ、アルジェリータ。公爵家からの縁談なんて、身に余る光栄よ」


 両親は私の疑問をさえぎって、どれほどの幸運が私のもとに降りてきたのかと口々にたたみかけようとする。取り付く島もない、とはこういう時に使うのかもしれない。


「公爵家にすぐ返事を出す。そうのないようにな」

「待ってください。どういうことですか? 私に関する全ての権利というのは」


 先ほどから縁談、縁談と言っているけれど、書面には『嫁ぐ』なんて書いていない。

 問いかけに、父は顔をしかめたままで答えない。


「どのようなけいやくだとしても、お前は家の娘なのだからきょ権はない」

「でもどうして、ルシュカではなく私にお話が……」

「いやあね姉さん、ブラウニング公爵家と言っても、ご当主様じゃないんだから気にすることないわよ」


 不可思議な提案について何かヒントを得ようとしぼした質問に、横合いから妹のルシュカが口をはさんだ。彼女は私と違って治癒の魔力を持ち、国から国家治癒師のしょうごうを受け、王宮で治癒師として働いている。手は荒れつめはボロボロ、び放題のかみはボサボサで、着古したワンピースに身を包む、地味を通り越してみすぼらしい私と美しくかざった彼女がまいだと、一目で判別できる人はいないだろう。


「姉さんのけっこん相手は老将軍、ローラン・フォン・ブラウニング様よ」

「ローラン様、って……」


 ローラン・フォン・ブラウニング様のことはもちろん知っている。ゆうもうな元将軍で、国に多大なるこうけんをもたらした方。……しかし、よわい八十は過ぎているはずだ。


「ルシュカ!」


 余計なことを、と続きそうな父の𠮟しっせきに、ルシュカはかたをすくめた。


「いいじゃない、別にすぐわかるのだし……かんちがいしたままだと、姉さんが気の毒だわ」


 ルシュカは私を頭のてっぺんからつま先まで満足げにながまわした後、口角をきゅっと上げて女優のようにほほんだ。


「わかりやすく説明してあげるわね。姉さんは竜じゃなくて、おじいさんのかいをしに嫁ぐのよ」


 父の気まずそうなせきばらいが聞こえて、ルシュカはようやく口をつぐんだ。


「……そのような言い方はよくないぞ。ブラウニング公爵家はアルジェリータの働きを評価してくださったのだから」


 ローラン様は大変気難しい方で、奥様をくされてからは財産を全て親族に譲り、自身は小さなべっていで余生を過ごされている。しかしその気性ゆえに使用人が居着かない。

 身の回りのことは極力自分でする方ではあるが寄る年波には勝てず、しんらいできる世話役――絶対に裏切らない相手、すなわち妻を欲していた。

 そこで聞きつけたのが伯爵家の、変わり者の娘についてのうわさなのだという。

 大変な騎竜の世話にも音を上げず、ぜいたくもせず、若くてじょうで、使つかつぶしても文句が言えない格下のいえがらの娘。

 この娘なら後妻にぴったりだと、両家の間で合意の契約が結ばれたらしい。


「財産はすでにほとんどぞう済みとのことだが、多少はもらえるだろう」

「でも……」

「お前ごときが、せっかくいただいた縁談にケチをつけるものじゃない!」

「うちは断るわけにはいかないのよ、わかるでしょう?」


 この件については決定こうで、私の意見はまったく求められていないらしかった。無言をきょぜつと受け取ったのか、母がこちらのげんうかがうようなねこでごえで、私をからろうとする。


「……アシュベル家との縁談は?」


 その話題については完全に明後日あさっての方向へ放り投げられているけれど、向こうだって貴族なのだ。より格上の家との縁談があったからと勝手に婚約をされて、個人的な心情はともかく、腹を立ててもおかしくはないものだ。


「それはだいじょう。デリックとは私が結婚するから」


 予想もしなかった言葉に、耳を疑った。

 妹の中には恥のがいねんがない……いや、私を感情のある人間だと認識していないからそういうことが言えるのかもしれない。


「ほら、デリック。きちんと姉さんにお断りのあいさつをして」


 ルシュカがはしゃいだ声を出すと、静かに書斎のとびらが開いた。所在なさげに顔を出したのは、つい先ほどまで私が婚約者として認識していたデリック・アシュベルだ。

 まるで犬のように呼ばれて、ひょこひょことこちらに向かって歩いてくる様は、とても情けなく見えた。


「アルジェリータ、すまない。ほら、こういうこと、だ」


 ルシュカはほこった顔でデリックのうでほそうでを絡めた。まるで自分が選ばれたことが誇らしくて仕方がないと言った様子だ。

 ――私が騎竜の里で働いている間、彼ら二人に何があったのだろう?

 わからないことだらけだ。無言になったのを、られたしょうげきで言葉が出ないと思ったのか、デリックはあれやこれやと言い訳を始めた。


「アルジェリータは騎竜の世話しかしてこなかったから、城でのいや貴族社会でのあれこれについてはうといだろう? これからのおたがいのことを考えると、君にとってもいい話だと思うんだ。ブラウニング家はの家系だ、騎竜にも理解があるだろう」


 デリックは私が老人の後妻として嫁ぐことがさもめでたいかのように手をんだ。今の今まで悪い人ではないと思っていたけれど、彼の言葉はとてもうつろに聞こえて、こんな男性だったのかと、がっかりした。


「そんな相手だから、気を使う必要もなく楽でしょ? 求められて嫁ぐのだから、姉さんは幸せよ。適材適所、ね」


 たたみかけるようなルシュカの声に、もう話は終わったとばかりに両親が立ち上がる。


「……アルジェリータ、そういうことだ。我がクラレンス家が公爵家とえんくことができる。こんなに素晴らしい話はない」


 それとも、お前はそれ以上のものをクラレンス家にもたらせると言うのか?

 私を見下ろす父の視線はそう問いかけている。確かに、私はこの家の人たちにとって利になるものを何一つ持っていない。


「……わかりました。私、ブラウニング公爵家に向かいます。でも、その前に一度騎竜の里に戻って……」

「逃げるつもりか!」


 父が机をたたきつけ、らした。


「そういう訳じゃ……」


 私は私なりに、今の仕事に責任とやりがいを持っている。急に私がいなくなったことで、どうりょうたちにめいわくがかかるのはけたい。どうせのがれられない運命なら――せめて、去る時は悪い印象を残したくない。


「公爵家からは可能な限り早く来てほしいとようせいされている。ぐずぐずして、その間に相手がくたばったらどうするんだ!」


 父のつばが顔にかかった。私がもたもたしているうちにもうけ話を逃しやしないかと、不安で仕方ないのだろう。


「大丈夫です、お父様。私、先ほど公爵家にお手紙を出してきました。めでたいことですもの、早い方がいいでしょう――姉妹にも結婚の順番がありますから」

「おお、ルシュカ、ありがとう」


 白々しい会話だけれど、二人の笑顔は本物だ。なにせ、私に思わぬ高値がついたのだからうれしくないはずがない。

 ー―魔力が足りないから、姉妹で差を付けられるのは仕方がないと自分に言い聞かせながら生きてきて、やっと自分の居場所を見つけたと思っていた。けれどそれは私の見た甘いげんそうで、私は意思のない商品でしかないのだと、いやおうなしに現実に引き戻される。

 まいおそわれてまぶたを閉じると、里にいる騎竜たちのことが思い起こされた。

 私はもう、里に戻れない。こんなにも簡単に、無責任な別れが来るなんて――くちびるとともに、ぐっとくやしさやいかりをめる。

 目を開けた時、私の家族だったはずの人たちは「もう話は終わった」とばかりに、部屋からいなくなっていた。


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