第19話 ルールシェイドが踏んでいた(2)
ユーリシェラは、部屋の外に飛び出して行った。
しばし、静寂。
それほど待つこともなく。
恐る恐るといったように、部屋のドアが開いた。
「わ、忘れ物をしました……」
合わせる顔がないといった様子のユーリシェラが、実際、顔を両手で覆ったまま戻ってくる。耳まで赤くなっており、よろよろと歩き方もおぼつかない。
ベッドの周りに散乱している靴と靴下を、ユーリシェラはあたふたと拾い上げていく。ヒメカミの傍若無人な振る舞いの後始末を、わけもわからないままやらされているわけで、ひたすら可哀想な光景だった。
手伝ってやりたいけれど、ユーリシェラはたぶんそれを望まない。
俺がちょっと動いただけで、野良猫みたいに逃げ出しそうだ。
ユーリシェラからは、時折、横目で見られている。
物静かな俺の様子が、とても気になるらしい。
「お、お邪魔しました……」
回収した靴と靴下を、ここで履き直そうとする心のタフネスはないらしく、両手で抱えながら深々とお辞儀するユーリシェラ。
俺は、ベッドから立ち上がる。
「ユーリ」
「ひゃ、ひゃい!」
返事で、舌を噛むユーリシェラ。
「森では、悪かったな。最後まで守ってやれなかった。俺の力不足で、なんだか情けないところばかり見せたかも知れないけれど、お前が無事でホッとしている」
「い、いえ、そんな……」
ユーリシェラは、目を白黒させる。
その表情と同じく、空回りするように言葉を続けた。
「わ、わたしの方こそ、いつの間にか気を失っていたようで、すみませんでした。起きると、まるで何事もなかったみたいに、静かで……。怖い人たちはいなくなっていて、お兄ちゃんは、あれだけのケガが嘘みたいに治っていて……それなのに、どれだけ呼んでも起きなかったから、もしかして死んじゃったのかと――心配で、心配で、心配で……」
ユーリシェラはそこで言葉を途切れさせると、はじめて、俺をまっすぐ見つめた。何かを確かめるような瞳の輝き。ほんの一瞬、彼女の芯の強さみたいなものがあらわれる。
まるで、無言で問いかけられているようだった。
――だれ?
――あなた、だれ?
シーラン森林の一連の出来事では、生きるか死ぬかの状況がずっと続いたから、ユーリシェラと悠長に会話している暇はなかった。不幸中の幸いか、それゆえ誤魔化せていた。あるいは、ただ単に、追及をまぬがれていた。
悪役のテンプレートみたいなキャラクター。
それが、ルールシェイド・デスディオンである。
本来のメインシナリオにおいて、ユーリシェラをあっさり見捨てて逃げ出す情けない姿は、プレイヤーからすれば意外でも何でもないものだ。ルールシェイドならば当然、そうするだろうって、たぶんプレイヤー全員が納得していた。
自分のことしか考えていない。
他人のため、自分の命を投げ出すなんて絶対しない。
ゲームのプレイヤーでも、テレビ画面越しにわかっていた。
それが、実の妹ならば。
さらにハッキリと、わかってしまうはずだ。
「お兄ちゃんは、勇者様みたいでした」
ユーリシェラは、賞賛と感謝と――。
それから、矛盾を含んだセリフを口にしていた。
ルールシェイドには、本来ならば絶対に向けられないような言葉。
云い終えてから、ユーリシェラはジッと俺のことを見つめている。
ひとつの分岐点。
俺は、考えてみる。
ルールシェイドになってしまった俺は、今後、デスディオン公爵領でどのように振る舞うべきだろうか。端的に云うならば、これまでのルールシェイドというキャラクターを演じていくべきか、という問題である。
前世が役者だったわけでもなく、完璧な演技は不可能である。
それでも、ルールシェイドらしく振る舞うことを意識するだけでも、全然違うだろう。
具体的には――。
この瞬間、ユーリシェラを無意味に怒鳴りつけて追い返す、とか。
「俺様はまだ疲れているんだ。ごちゃごちゃうるさいぞ。早く出ていけ!」
みたいな、感じだろうか?
ルールシェイドらしく振る舞うメリットは、いくつかパッと思い付く。
第一には、周囲の人間に疑問を持たれないことだ。ルールシェイドの中身が、なんと別人になっている――それはまあ、突拍子もない話である。いくらなんでもバカバカしい。でも、そんなことを誰かが云い出さないとも限らない。
周りに疑問を持たれないようにすれば、その分だけリスクが下がる。今までどおりのルールシェイドと思われておく方が、やはり色々と安全だろう。
それと、もうひとつ。
こちらの方が、大きなメリット。
ルールシェイドらしく行動すれば、未来を予測しやすい。これは、ゲームのシナリオを再現していくという意味合いである。『リアライズ・リロール』のルールシェイドが関連するイベント――そのような未来の出来事を、意図的に引き起こせるかも知れない。
ゲーム知識を積極的に活用する生き方、とも云えるだろうか。
「お兄ちゃんは、勇者様みたいでした」
ユーリシェラはもう一度、同じ言葉を繰り返していた。
まるで、自分自身に云い聞かせるように。
言葉を繰り返すまでの間、彼女は、顔を伏せていた。二回目のセリフを告げるため、顔を上げたときには、琥珀色の瞳は力強く輝いていたけれど、うっすらと涙も滲んでいた。
「夢みたいに、格好良かったです。もしも、本当に夢だったら、どうしようかと思っていました。でも、ちがった……。お兄ちゃんは、ちゃんと生きていて、朝をむかえても、夢の続きみたいに、優しいままで……。だから、神様がプレゼントをくれたって――そんな風に思うようにしますね」
まあ、結局のところ。
ルールシェイドらしく振る舞うなんて、俺には無理なのだ。俺は、最善を尽くすような生き方しかできそうにない。
ユーリシェラに歩み寄る。
ユーリシェラも、逃げなかった。
間近で見ると、銀色の髪はさらに美しい。触れるのも恐れ多いように思えたけれど、まあ、妹である。そこまで気兼ねする相手ではないだろう。ユーリシェラの頭を、気安くポンポンと撫でてやる。
彼女は、赤面する。
俺を見上げると、とても恥ずかしそうに笑う。
「お兄ちゃん……いえ、あの、これからはちゃんと、お兄様と呼びます」
最後にもう一度、ユーリシェラは頭を下げる。
「お兄様、ありがとうございました。みんなは、お兄様の身体にケガの痕も見当たらなかったので、わたしが怖がりすぎて、幻でも見たんだろうって云います。誰も、信じてくれません。でも、わたしはちゃんと覚えています。真っ赤な血がたくさん流れて、真っ青な顔になって、それでも、わたしには優しい声で、優しい目で……勇者様みたいでした、本当に――」
ユーリシェラは目元の涙をぬぐいながら、部屋の外に向かって駈け出していく。
「お兄様が起きたこと、みんなにも急いで伝えて来ますね」
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