第16話 ラスボスに踏まれる(6)
異世界転生という事実は、何者でもない俺が、それでも偽神の使徒に選ばれるための切り札みたいなものだった。
少なくとも、俺は、そう思っていた。
しかし、秘密は守られた。
ヒメカミの記憶を読む能力は、ルールシェイドの肉体だけに作用したらしく、【俺】の存在は気付かれることもなかった。不幸中の幸いで、その結果の不思議が興味を引いたようだ。
ヒメカミは満身創痍だった俺を生かした。偽神の使徒として選んだ。
これは、意図せず、最良の結果。
望みの成果が得られている以上は、秘密をあえて明かす必要はない。
だから、俺は黙り込んでいた。
『貴様、ルールシェイド……いや、トールという名前が本当だったか? おい、口を開け。無視するな』
ヒメカミは、剣呑な視線で問いかけてくる。
『貴様は、何者だ?』
俺が、それでも沈黙を守っていると――。
『殺すぞ』
ヒメカミは、物騒に手を振り上げる。
俺は、動じない。
なにせ、この数分で、三度も殺されているのだから。
怖いのは怖いけれど。
ちょっと、慣れてしまった。
『つまらないヤツめ』
ヒメカミは、激しく舌打ちする。身体の力を抜いていく。
意外だった。
殺す、というのは手段のひとつに過ぎない。ヒメカミならば、暴力的に口を割らせる方法を、他にいくらでも思い付きそうなものだ。
俺は不死身の身体になったけれど、痛みや苦しみを感じないわけではないのだから。死なないように、じわじわ拷問するやり方だってあるだろう。
『秘密を暴き切れなかったのは、我の力不足だろう。このユーリシェラの身体は未熟であり、我も、目覚めたばかりで腹が減っている。
偽神のプライドだろうか。
あるいは、偽神の使徒として契約を結び、縛り付けた以上は、俺が何者であろうと問題ないと判断したのかも知れない。そして、実際にそれはそうだ。俺には、なんの力もない。ヒメカミが、あれこれ心配したり警戒したりするような、大した人間ではないのだ。……そう、今のところは。
「わかった」
俺は、素直にうなずく。
ヒメカミからの提案に、異論はまったく無かった。
偽神の使徒として、今後使ってもらえるならば、それだけで十分である。忠誠を誓うつもりは無いけれど、ビジネスライクに良好な関係を築いていきたいのは本音だ。
ウィンウィンでやっていけるプランが、俺の中にはちゃんとあるのだから。
『……』
「……」
しばらく、互いに沈黙が続く。
とりあえず云うべきことは云い合った感じだろうか。
静かになれば、気持ちの良い朝。
窓の外から、小鳥の鳴き声も聞こえる。
ヒメカミが立ち上がる。
俺たちは相変わらず、ベッドの上にいる。
馬乗りの体勢で、首を絞められたり、内臓を潰されたり、死んだり生き返ったりを繰り返しながらの会話を楽しんでいたけれど、ようやく距離を取ってくれるらしい。
「……ん?」
だが、違った。
俺の見立ては、ちょっと甘い。
ヒメカミの意地悪さに対する理解度が、足りていなかった。
『貴様には、使徒としての自覚がない』
ヒメカミはベッドから降りなかった。
なぜか、片足を上げて、靴を脱ぎはじめる。
『使徒ならば、我を楽しませろ。我が手ずから罰を与えてやったならば、泣き叫んで許しを請うべきだ。必死にもがき苦しめ。絶望しろ。……それなのに、だぞ。せっかく殺してやっても、貴様は平気な顔をしている。面白くない、面白くない、面白くない。なんて、つまらないヤツ。だから、考えてやったぞ。こういうのはどうだ? 苦痛ではなく、屈辱をくれてやろうじゃないか』
両足の靴をそれぞれ、ポイッと脱ぎ捨てる。
片足を、スカートが捲れるのも気にせず、抱え込むように持ち上げて、ハイソックスの爪先を人差し指と親指でつまむ。風船ガムを行儀悪く伸ばすみたいに、靴下をツーッと引っ張っていく。
まあ、器用なものである。さすがはラスボスのステータスと褒めるべきなのか、体幹は鋼のようで、バランスは人間離れしたもの、片足立ちでもまったくふらふらすることはない。
念のため、状況確認である。
俺は、ベッドの上で倒れたままだ。
ヒメカミに最初、首を絞められたとき、押し倒された。そのまま起き上がることができず、今も、大の字でヒメカミを見上げている。ヒメカミと云えば、俺の腰元あたりで片足立ちしながら、ゆっくり靴下を脱いでいる。
……。
なんだ、この状況?
呆気に取られている間に、ヒメカミが素足になった。
ここで改めて云うことでもないけれど、ヒメカミとユーリシェラは表裏一体である。ふたり分の心と、ひとつの身体。8歳の女の子の身体。シーラン森林で俺が呼び覚ましたことで、ヒメカミは覚醒したけれど、云い換えると、8年間はずっと眠っていたわけだ。
初めての道具の使い心地を確認するように、ヒメカミは、足の指をニギニギと動かしていた。ヒメカミからすれば、まだ慣れない身体なのだろうか。それにしては、器用なものである。何十年も付き合ってきた自分の身体だろうと、あんな風に足の指を自由自在に広げるのは難しい。
まあ、そんなわけで。
他意なく、俺は、彼女の様子をジッと見守っていた。
ヒメカミは、そんな視線に気づくと、ニヤリと笑った。
『さあ、我の犬になれ』
楽しそうなヒメカミ。
素足で。
躊躇なく。
遠慮なく。
ムギュッ、と。
俺は、顔面を踏まれた。
……。
……。
……なんで?
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