第17話 ラスボスに踏まれる(7)
ヒメカミに踏まれる。
云い換えると、ユーリシェラの足で踏まれる。
もっと云うならば、8歳の妹の足で、顔面をグリグリ踏まれている。
いや、だから……。
……。
……。
……。
……マジで、なんで?
しばらく思考停止に陥る。これ、真面目に向き合うべきなのだろうか。現状について、思索を深めるべきなのだろうか? なんとなく、やる気が全然出て来ないのは、客観的に眺めたときのバカバカしさに気付いているからだ。
最初は、こんな風に思った。
ヒメカミの素足が、顔に近づいて来て――。
踏みつぶされる、と。
スイカ割りみたいに、爆発四散する俺の頭部がイメージされた。
見た目は8歳の女の子でも、【筋力】は大人顔負けというか、人類を超越している。ゲームのステータスでは、ドラゴン系のボスモンスターすら余裕で上回っていた。
ドスンと踏み付けるだけで、大地でも砕くだろう。戦々恐々。立て続けに三度も殺されたから、俺は、徐々に迫り来る小さな足の裏に背筋を凍らせた。
しかし、俺は死ななかった。
殺されなかった。
ムギュッ、と。
痛いのは、痛いけれど。
それこそ、8歳の女の子に踏まれている感じ。
ちょうど良い力加減で、顔面のあちこちを、足蹴にされている。
思えば、ヒメカミが足の指をニギニギと動かしていたのは、このためなのかも知れない。俺を殺してしまわない程度に、グリグリと痛みだけ与えられるのはどれぐらいかと確認していたわけだ。……いや、それは良いけれど、やっぱりなんのためだよ?
ヒメカミ曰く、『苦痛ではなく、屈辱をくれてやろうじゃないか』。
屈辱。
……屈辱ねぇ。
妹の足で、顔面を踏まれる。
まあ、屈辱か?
うーん。
……ちょっと、高度だなぁ。
『もっと良い反応を見せろ』
俺のあごの辺りを、爪先でクイッと持ち上げながら、挑発的にヒメカミ。
「……ああ」
何も云い返せず、生返事になってしまう。
残念ながら、学生時代からノリの良い方ではなかった。ボケたり、リアクションを取ったり、とても得意とは云えない。偽神という超越者に、妹の身体を使われて、顔面を踏まれる――この場合の正解ってなんだ? 俺は、どんな顔をすれば良い?
……。
……。
……いくら考えても、答えは出ない。
仕方ないので、思い出を振り返りながら、この時間を耐え抜こう。普段であれば、必要最低限しか触れるつもりのない過去だけど、顔面を踏まれている様子を丹念に描写するよりはマシだ。ため息を吐きたい気分だったが、ちょうど足の裏を押し付けられているので、口を開くことはできなかった。
俺の、子ども時代。
兄妹でひとつの子ども部屋を使っていたのは、先にも述べた通りである。
寝起きの悪い妹は、日曜日だけは特別で、テレビのため早起きしていた。
逆に、俺は、休みの日はゆっくり寝ていることが多かった。
平日と立場が逆転した際には、特に理由もなく、妹から意地悪で叩き起こされる。妹がまだ幼稚園児ぐらいのときは、布団の上から飛び乗って来られて、ロデオみたいにドンドンと体重を掛けられていたものだ。小学生になってからは、そこまで全力でふざけることはなくなったが、代わりに、一度だけ、イタズラの度が過ぎたことがあった。
まさに、今のように。
妹は、ベッドにわざわざ上がってきて、寝ている俺の顔を踏んづけた。
兄を起こす方法として、面白いやり方だと思ったらしい。
すぐに目覚めた俺は、まさか踏まれているとは思わない。なにやら顔のあたりをメチャクチャにされているという鬱陶しさに、目を閉じたまま、それが何かを理解することなく、妹の足を力いっぱいに振り払った。
結果はもちろん、ベッドから勢いよく転がり落ちた妹。頭にたんこぶを作り、大泣きである。
最初は、妹をケガさせたということで、俺が両親に怒られた。
しかし、事情がわかると、今度は妹がめちゃくちゃ怒られていた。
まあ、兄とは云え、他人の顔面を踏むって失礼すぎる行為だから。
親しき仲にも礼儀あり、である。
閑話休題。
現在時点に意識を戻して、あらためて考えてみると、ヒメカミの踏んづけ攻撃を振り払うのは不可能だった。レベル1の悪役貴族が、ラスボスの攻撃をパリィできるかと云えば、さすがに厳しい。無駄なあがきとは知りつつ、何度か足を振り払おうとこころみたけれど、ヒメカミの嗜虐心を満足させるだけに終わっていた。
まあ、どうだろうか?
もしも。
今、ヒメカミを振り払うだけの実力があった場合――。
結局、俺は、本気では、抵抗できないかも知れない。
妹が、ぶつけた頭を抱えながら大泣きしている姿を見たときの気持ち。
今さら、そんなものを思い出してしまった。
ああ、傑作だ。ヒメカミにダメージを与えるなんて、余計な心配であるのは十分承知している。ベッドから転がり落ちたぐらいで、傷つく身体ではないだろう。
それでも、ヒメカミの身体は、ユーリシェラの身体である。俺はやっぱり、手を出すことはできそうにない。妹を傷つけるような真似をするぐらいならば、殺されようが、顔を踏まれようが、甘んじて受け入れる方がずっと気楽なのだから。
『つまらない』
終始、俺が大した反応を示さずにいたところ、ヒメカミは飽いたようだ。
『最大級の屈辱を与えてやるつもりが、ほとんど、無表情、無反応……。あれこれ工夫している我の方こそ、だんだん屈辱的な気分になってくるぞ。あー、まったく。……まあいい。ひとつ、これで理解した。念押しの意味でも確認することができたので、今回は許してやろう。次回があれば、もっと良い表情を見せろよ? なあ、下僕。貴様は、やはり、ルールシェイド・デスディオンではない。トールと、これからも貴様自身が名乗った方で呼び続けることにしよう。ルールシェイドを呑み込んだ貴様の
割合、大切なことを云われている気がした。
真面目に向き合わなければいけない気持ちが、半分。
しかし、俺の気持ちの半分は、素足で顔を踏みつけることで得られる【理解】や【確認】ってなんだろう……と、余計な疑問に支配されていた。ふざけた状況に、真面目な気持ちは押し流されていく。
それでも、なんとか気持ちを立て直す。
最後に、俺はひとつだけ質問しなければいけなかった。
「ヒメカミ」
『呼び捨てにするな。様を付けろと……まあ、良い。なんだ?』
「腹は、どれくらい減っている?」
『ほう。殊勝なことだな』
「大事なことだろ。何日ぐらい、耐えられる?」
『貴様が気にしているのは、ユーリシェラの
ヒメカミはそう云いながら、かかとを、グリグリと俺の額に押し付ける。
『一日だけ、我慢してやろう。次の朝までだ』
そして、タイムリミットを宣告された。
『我の下僕よ。使徒としての初仕事だぞ。今日の夜、魔物を狩れ。そして、我に魔物の
ヒメカミは、ジッと俺の表情を探っていた。
俺は、まっすぐ彼女を見つめ返している。
『……まあ、貴様ならば、【虚無】についても知っているな? そうなったとき、最初の犠牲者は間違いなく、この同じ身体に宿っているユーリシェラだ。【虚無】のはじまりに、我は、最も手身近な
「わかっている。今晩だな。狩りでもなんでも、やるさ」
間髪入れず、むしろヒメカミの言葉を遮りつつ、俺は返答する。
偽神の使徒として、ヒメカミのために働く。ああ、問題ない。『リアライズ・リロール』のメインシナリオ、世界観、キャラクターの設定をすべて理解している俺からすれば、この選択は当然だった。ユーリシェラの命を繋いでいくためには、そうするしかないのだから。
ヒメカミの説明内容に、嘘偽りはない。
彼女には、ソウルが必要なのだ。食事が足りなければ、腹が減る。空腹が限界を迎えれば、偽神は【虚無】と変わり――底なし沼のように、ありとあらゆるソウルを無差別に呑み込みはじめる。
それで、大都市がひとつ滅んだ。
住民はすべて、喰われて、死んだ。
……まあ、それは、ゲームの話である。
ゲームの話では、あるけれど――。
俺が何回も繰り返し歩んだ『リアライズ・リロール』のメインシナリオで、【絶対に変わらないもの】。現時点で、何年も先に起こるかも知れない悲劇を心配して、あれこれ思い悩んでも仕方ないだろう。
ヒメカミが腹を空かせれば、ユーリシェラは喰われる。
今は、そこだけが問題点である。
もしも、使徒である俺が、ここでヒメカミへの協力を拒んだら――。
あるいは、使徒としての仕事が満足に果たせなければ――。
明日には、ユーリシェラという存在は消えて無くなる。
妹を、見殺しにするか?
否。
考えるまでもない。
考えることを、俺は自分自身に許さない。
たったの一秒でも、刹那でも、躊躇するなんて。
絶対に、あってはいけない。
「ヒメカミ。俺は、絶対に、お前を裏切らない」
忠誠心ではない。
これは、利害関係による契約だ。
悪役貴族と偽りの神。
目的や動機はまったく異なる。
それでも、手を取り合うことは不可能ではない。
ゲームの『リアライズ・リロール』を知っている俺からすれば、最高に、最悪に、傑作だけど……。俺は、別に、それでも良いと思っている。何を頼ろうとも、絶対にやり遂げなければいけない。
それが、義務である。
そして、贖罪である。
世界を滅ぼしたいわけではない。現代のごく普通の日本人の感覚としては、平和が何よりだと思っている。ただし、必要ならば、この世界を壊すことにためらいはない。
俺は、俺の想うままに、俺の望むままに、悪役という二文字を背負ったキャラクターで生きよう。
「約束だ。お前の使徒として、俺は全力を尽くす。世界中の誰よりも、役に立つ人間だってことを見せてやる。信用しろとか、信頼しろとかは云わない。ただ、これだけで良い。妹を……ユーリを、絶対に死なせるんじゃない!」
『口で云うだけならば、誰でも簡単だろう。心配するな。この未熟な身体を酷使するつもりはない。我はしばらく積極的に動き出すつもりはないから、暇を持て余しているその間、たっぷりと貴様を可愛がってやろう。せいぜい地獄を味わい、その嘆きで我を楽しませろ』
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