第11話 ラスボスに踏まれる(1)

 ゲームを続けますか?


 → はい

   いいえ


 舌打ちと共に、くだらない選択を終える。


 これは、目覚める寸前の夢である。


 俺の意識まで、『リアライズ・リロール』の真似事を始めるなんて笑えない。こんな風に突き付けられなくても、ちゃんとわかっていた。選択を終えなければ、大抵の物事は前に進まないものだ。


 覚悟を決める。


 あるいは、あきらめを付ける。


 まあ、どっちでもいいさ。


 鉄球の付いた鎖が足に巻き付いている気分だけど、ズルズルと進んで行こう。重たいものを引きずりながら生きるのには、まあ、慣れている。さあ、続きだ。


 目覚め。


 まぶたの向こう側に、太陽の日差しを感じる。


 俺は、最後の抵抗みたいに、できるだけゆっくり眼を開いた。


 夜は、終わり――。


 今はもう、朝だった。


 俺は、ベッドの上で寝ていた。


 最初に考えたのは「生きている」ということだった。意識を失う寸前の状況を思い出すと、二度とは目覚めない――あのまま死んでしまう可能性も十分にあったから、まずは「生きている」という事実にホッとする。


 次に、全身のどこにも痛みがないことを、不思議に思いはじめた。頭と、脇腹と、肩と、ケガを負っていたはずの箇所を手で触れていく。瀕死の重傷だったはずなのに、傷跡すら残っていない。


 驚きだった。現代の医療科学技術でも、ここまで何事もなかったように治療できるだろうか。少なくとも、たった一晩の間には無理だろう。


 パタン、と。


 放り投げるように、両手を広げる。


 リラックスしたポーズで、しばらく、ぼんやりする。


「まさか、な……」


 ヒメカミに助けられた?


 冗談のつもりだったけれど。


 本当に、回復魔法が使用されたかも知れない。


 俺は、生きている。


 生きているということは、殺されなかった。


 その事実が、やっぱり答えかも知れない。


「ああ、傑作だ」


 思わず、苦笑する。


 まあ、ヒメカミのことは後回しだろう。


 考えるべきことは、他にも山のようにあった。


 そもそも、ここは何処なのか、とか――?


 ……ああ、そうだ。


 俺は、ため息を吐く。


 様式美なので、義務を果たす必要があった。


「知らない天井だ」


 ……。


 ……。


 ……あー。


 云ってみたものの、次の瞬間、猛烈な後悔が押し寄せてくる。


 やってしまった。


 ずっと、緊迫したシーンばかり続いていた。かたむき過ぎた天秤からシリアスを取っ払えば、コミカルに揺り戻されるかと思ったけれど、失敗の予感。


 まるで、空気の読めないバカみたいだ。


 前時代には、夏場の蝉みたいにあふれ返っていたセリフ。自分自身が使う立場になるなんて、ちょっと感慨深い。とはいえ、冷静に考えてみると、それこそオッサンになったという証拠だろうか。


 ただ、今は、アラサーを自虐しても無意味だ。


 この身体は、10歳の子どもなのだから。


 朝日に手をかざしてみれば、まだ慣れない子どもの手が照らし出される。眠りから覚めても、悪夢から覚めることはなかった。


 俺は、10歳のルールシェイドのままである。


「……ん?」


 しばらく天井を見ていると、途中から奇妙な感覚に包まれた。


 知らない天井……だった、はずなのに。


 違った。


 ああ、そうだ。


 俺は、この天井を知っている。


「俺の、部屋だ……。いや、そうじゃなく――」


 ここが何処なのか、不意に理解する。


 ここは、ルールシェイドの部屋である。


 記憶が蘇ってきた。俺の記憶ではなく、ルールシェイドの記憶。飴玉を口の中で転がすみたいに、じわりと他人の記憶を味わっていく。


 ここは、デスディオン公爵領の中心都市。


 大都市の高台にそびえる公爵家の居城内に、嫡男であるルールシェイドは、とても豪奢な一室を与えられている。


 金箔で装飾された天井だけでも、子ども部屋と呼ぶなんて恐れ多いほどに、贅を尽くされた部屋であることがわかってしまう。


 シーラン森林から居城までは、馬車で数時間もかからない。ヒメカミとのやりとりの末に意識を失ってしまったけれど、その後、無事に救助されたのか、この安全な場所まで運ばれて来たようだ。


 不思議な感覚である。ベッドに寝転んだまま、まだ身体を起こしてもいない。それなのに、俺は、見たこともない部屋の全体像を、鮮明に思い描くことができた。


 この自室内だけでなく、ドアの外にある応接間や使用人たちの控え室――。さらに別のドアを開いていけば、正面に伸びる廊下から、見晴らしの良い鐘楼、習いごとをサボるのにちょうど良い客間……いくらでも、思い出せてしまう。


 城下町の大通りから、この城を見上げたときの光景も、当然のように思い浮かんだ。威風堂々とした城郭が、俺の生まれ育った場所である。


 ああ、まったく……。マイホームが、いきなり立派な城になるなんて、まったく実感が得られないぞ。身を粉にして働きながら、都内のワンルームのアパートで暮らしていた。10歳の子どもの時点で、生活レベルが勝ち組すぎる。あまりに格差が大きくて、むしろ泣きたくなる。


 ため息を、大きくひとつ。


 豪華な城をマイホームと呼べるかなんて、まあ、くだらない問題である。そんなことよりも、俺が向き合わなければいけない問題は他にたくさんあるはずだ。


 俺は、ベッドの上で半身を起こした。


「……よし」


 気持ちに問題がないことを確かめる。


 さて。


 オープニングは終わった。


 たとえるならば、ここまで、ムービーシーンとイベントバトルばかりで、プレイヤーの自由は無かったようなものだ。ようやく、自由に操作できるようになった――今が、本当のゲームが始まった瞬間みたいなものである。


 うんざりするけれど、俺は、ルールシェイド・デスディオン。


 ゲームスタートの瞬間は、いつでも、わくわくと心躍るものだ。それが人生リアルだと、こんな風にプレッシャーばかり感じるものか。全然、楽しさを見出だせなかった。


 ここからは、フリーシナリオ。


 新しい人生なので、可能性は無限大。


 まずは何から、はじめようか?


 ひとまず、昨夜のユーリシェラ誘拐未遂事件の顛末を確認することから――。


「……」


 俺は、思考も含めて、黙り込む。


 ……。


 いや……。


 うん、びっくりした。


 終わったはずのオープニング。


 強制イベントは一段落したと思っていた。


 どうやら、終わっていなかったらしい。


 あるいは、延長戦だろうか?


 上半身を起こした次の瞬間には、俺はフリーズしていた。なぜならば、視界の隅に飛び込んできたからだ。


 真横。


 すぐ、そこに。


 ベッドのそばにあるソファーで、ユーリシェラが眠っていた。


「……えっ? あっ?」


 思わず、マヌケな声を漏らしてしまう。


 ああ、そうだ。


 そうだろうさ。


 畜生め。


 山積みになっている問題の中から、一番最初に手を付けるべきものは何か。仕事の優先順位は? 考えるまでもない。急いで片付けるべきは、導火線に火が付いている爆弾からである。


 逃げられない。


 逃げられない。


 逃げられない。


 なぜならば。


 彼女はラスボスである。


 ラスボスからは、絶対に逃げられない。


 ならば――。


 正面から堂々と、向き合うしかないのだ。


「……起きてるか。ねえ、ユーリ? いや、それとも……あー、うん、ヒメカミか?」


 覚悟を決める。


 あるいは、あきらめを付ける。


 どちらでも、結果に大差はないだろうさ。


 俺が小さな声で呼びかけると、眠っているユーリシェラの銀色の髪、サーッと漆黒に染まりはじめた。

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