第8話 選択肢(2)

「ごめん、ユーリ」


 俺は謝罪する。


 力の足りていない俺では、二人で逃げ切るなんて無理だった。妹を一人で逃がしてやることも、できなかった。不甲斐ない兄であることを悔やむ。力があれば良かった。どんな窮地でも、グルリとひっくり返せるほどの力。バカバカしくて、笑えるぐらいの力を……。強くなりたいと、こんな死にかけの身体なのに思ってしまう。


 だから――。


 だから――。


 だから――。


 さあ、どうする?


 すべて、諦めるか?


 ……。


 ……。


 ……ああ、傑作だろうよ。


 俺が選ぶのは、【いいえ】。


 最悪でも。


 最低でも。


 俺は死に物狂いで、生き残る道を選ぶ。


 裏技か、隠しコマンドか、チートか。


 本来ならば、絶対にあり得ない選択肢を――。






【SYSTEM MESSAGE】


 警告。


 あなたは、運命シナリオの全体に取り返しのつかない損傷ダメージを与えようとしています。あなたの選択は、運命シナリオのどこにも存在しません。致命的な混沌エラーの発生する可能性があります。


 繰り返します。


 あなたの選択は、運命シナリオのどこにも記されておらず、絶対にありえない行動として混沌エラーを引き起こします。


 運命シナリオが崩壊します。


 繰り返します。


 運命シナリオが崩壊します。


 ただちに、本来の運命シナリオに従って――。






 ああ。


 うるさい。


 黙れ、クソ野郎。






 俺は、ゲームでは絶対に実現不可能なシナリオを選択する。


「ヒメカミ」


 言葉にしたのは、わずか四文字の名前。


 それで、十分だった。


 ドロリと、怨念みたいな俺の意思が込められた四文字は、ゲームのイベントシーンでぐだぐだ披露される長ったらしい祝詞の代わりとなる。


 空気が一変するのを、俺はハッキリと肌で感じていた。


 目に見える変化としては、敵の動きがその瞬間にピタリと止まった。ありえない。そう云わんばかりに、全員がコントみたいに同じ表情で大口をあけている。


 まあ、それはそうだろうさ。


 素直に驚いてくれて、傑作だ。


 世界の裏側に潜み、暗躍を続け、正体どころか存在すら一般には知られていない影の組織。彼らの信仰する神の名は、彼らだけのものである。その名を外に漏らすことは禁じられているため、無関係の人間が知っているなんて、絶対にありえないことなのだ。


 公爵家の嫡男だろうと、10歳の子どもがいきなりその名を口にすれば、びっくり仰天だろう。


 俺はもちろん、知っている。


 知らないわけが、ない。


 何度も戦ってきた。何度も打ち倒してきた。そうやって、呆れるぐらい何度も何度も何度も、俺はゲームのエンディングにたどり着いてきた。


 偽神ギシンヒメカミ。


 ゲーム『リアライズ・リロール』の最終ボスである。


「聞こえているか、ヒメカミ?」


「……」


 答えは無くとも、俺は怒鳴り続ける。


 風前の灯の命を、このまま最後まで燃やし尽くす勢いだけど、構わない。


「よく聞け。こいつらペコペコするだけの教団のバカ共より、俺の方が役に立つぞ。いや、それだけじゃない。世界を滅ぼすだけで精いっぱいの、退屈な組織よりも……俺が、絶対に、楽しくて面白いものを見せてやる。だから、聞けよ、神さまのなり損ない――運命なんてぶっ壊してやるから、俺に力を貸せ。……契約して、俺を、偽神の使徒に!」






【SYSTEM MESSAGE】


 更新のお知らせ。


 運命シナリオが破壊されました。


 復旧はできません。


 おめでとうございます。


 あなたが、新しいプレイヤーです。






 そして、今度こそ、本当にすべてが静止した。


 比喩ではなく、時間が止まる。


 魔法『八面鏡結界』。


 舞い落ちる木の葉が、空中の一点でピタリと止まっている。敵は全員、まばたきもしない。周囲の音は、すべて消えた。偽神だけが使用するこの魔法は、ゲームにおいて、『味方パーティー側を数ターン完全に行動不能にする』という凶悪な効果を持っていた。


 確かに、神にふさわしい奇跡の御業である。


 ラスボスの面目躍如だろうか。


 思わず笑ったところで、ヒメカミが堂々と降臨した。


 俺の、抱きしめたままの腕の中で――。


『まずは、手を放せよ』


 底冷えするような声で命じられて、俺は素直に従う。


 急いで、両手を離した。


 ここでふざける選択肢は、おそらく問答無用でゲームオーバーだ。


『我を呼びつけ、汚い手で触れるとは、くびり殺してやりたいところだが……。まさか、我を抱いたまま呼び出すとは、そんなふざけた人間はさすがに初めてだ。逆に、面白い。とはいえ、どうしてくれようか? 四肢をもぎ取り、胴体を裂き、ハラワタをぶち撒けて、さんざん苦しませて悲鳴を味わった後で、ようやく頭から喰らってやろうか? どうだ、小僧、楽しそうと思わんか?』


 8歳の女の子の可愛らしい顔で、残酷なことばかり吐き捨て、ケラケラ笑った。


 偽神ヒメカミについて――。


 あるいは、デスディオン公爵家の令嬢ユーリシェラについて。


 すべてを語り尽くす余力はないので、せめて触りの部分だけでも説明しておこうか。


 ゲーム『リアライズ・リロール』のオープニングが始まるのは、今から何年も先のことである。メインシナリオでは、ユーリシェラは主人公の前に度々あらわれる謎の少女として登場する。いつも儚い表情で、悲壮な雰囲気を漂わせる謎の少女と、ゲームの主人公は出会うたびに少しずつ心を通わせていく。


 この娘がヒロインなのだろうかと、プレイヤーを序盤から大いに惑わせてくれる存在だった。


 メインシナリオの中盤で、プレイヤーからすれば百回でもぶん殴ってやりたい悪役貴族のルールシェイドの妹であることが判明したときには、それもまた驚きの事実として扱われるが――。


 それよりも。


 なによりも。


 ユーリシェラは、偽神ヒメカミの生まれ変わりである。


 彼女自身の告白で、普通の少女としての人格の奥底には、恐るべきヒメカミの心と力が眠っていることが明かされる。


 ヒメカミの信仰者たちは、それゆえ、この誘拐事件を企てた。自分たちの手元に置いて、偽神の器を大切に育て上げるため。やがて偽神を覚醒させて、この世界を滅ぼすため。


 メインシナリオ終盤の偽神ヒメカミとの戦いに向けて、物語の重要な転換点となる回想シーンだから、ルールシェイドが逃げ出し、ユーリシェラが連れ去られる展開は【絶対に変わらないもの】なのだ。


 それを、変えた。


 脅すようなヒメカミの顔と、ちょうど重なり合うシステムウィンドウに対して、俺はひとまず皮肉な笑みを向けた。ざまあみろ。さあ、ここからだ。

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