第4話 逃走(1)

 護衛騎士の死体が崩れ落ちる間際に、もぎ取るように手にした剣。


 ほとんど反射的な行動だった。


 武器があるに越したことは無いだろうが、現代の日本人だった俺に、西洋剣を振るった経験なんてあるわけがない。


 子どもの手だから、余計にそう感じるのかも知れないが、オモチャではない鋼の剣はダンベルみたいに重たくて、そんな余裕もないのに驚いてしまう。


 ああ、まったく……。右手と左手、どちらを前にして構えるかって基本すら、俺は知らないのだ。


 ただし、ルールシェイドは違う。


 まだ10歳の子どもであり、慢心を絵に描いたようなキャラクターだとしても、公爵家の嫡男として教育がおろそかにされるはずもない。剣の扱い方も、教養として手ほどきを受けているはずだ。


 実際、無意識に手は動いた。


 左手で、柄頭の方を握り締めて、右手を添える。


 自然と、なじんだ構え方。これでおそらく正しい。


 よし、いい子だ。


 ルールシェイドを褒めるなんて、これが最初で最後かも知れないな。


 俺は、俺以外の何者でもなく、ルールシェイドというキャラクターから人格に影響を受けている気配はみじんもない。一方で、この身体に残された10年間分の記憶や経験は、意識してみると、氷を放り込んだガラスコップの結露みたいに、じわじわと浮かび上がってくるようだ。


 今は、最低限、剣が使えるならばそれで良い。


 迷いなく、踏み込む。


 どこの骨がイカれているのか知らないが、強い電気でも流れたように痛みが全身に響く。ルールシェイドならば泣きだしているだろうか。俺は気にしない。ああ、この程度を構っていられるものか。


 護衛騎士にトドメを刺した敵が、その凶刃を今度は俺の方に振り下ろしてきたときも、決して足を止めることはなかった。


 剣を手に入れるために近づけば、攻撃されるのは当たり前だろうと思っていたので、これ自体は想定済みである。必死に身を捻り、回避を試みた。


 だが、敵の方が上手だった。


「ガキの方は、放置で良いという命令だったが……邪魔をするつもりならば……まあ、いい。殺そう」


 避け切れない。


 ギザギザの刃に、脇腹を引き裂かれる。


 一瞬、ハッキリと死を感じた。悲鳴をこらえるが、それを呑み込んだ分だけ腹から血が噴き出すようだった。倒れそうになる。だが、倒れない。ギリギリで踏みとどまった。倒れてやるものか。死ぬほどの痛みだろうと、まだ生きているならば、さらに前へと進まなければいけない。


 ダメージも、ある程度は覚悟の上である。


 そもそも敵のレベルが違うのだ。


 最初から、すべて、わかっている。


 わかっているうえでの無茶だった。


 こちら側は、本来の『リアライズ・リロール』がスタートする以前の状態である。時系列では、メインシナリオが幕開けるのはこの何年も後のことで、現在の出来事は回想シーンとして語られるものだった。


 10歳のルールシェイドは、ゲームで云うならば、まさに最弱のレベル1みたいなものだろう。


 一方で、この野盗もどきたちは、雑魚敵モブエネミーではあるものの、実際にエンカウントしてバトルするのはシナリオ終盤である。ゲームではよくあることだけど、序盤のボスキャラよりも、終盤の雑魚モブであるこいつらの方が、レベルやステータスは圧倒的に上だったりする。


 ああ、そうだ……。


 云い忘れていたかも知れない。


 こいつらは見た目通りの野盗ではない。


 野盗の格好をしているだけで、もっと、タチの悪い存在だ。


 そもそも、公爵家の令嬢を誘拐して、たっぷり身代金を頂こうとか、そんなカワイイ考えで襲い掛かって来たわけではない。


 ルールシェイドとユーリシェラの兄妹は、本日、大劇場があることで知られた街まで小旅行に出かけ、観劇を楽しんで帰路に就いていた。


 当初の旅程通りに森の中の小街道を抜けようとしたところ、豪華な馬車ならば手当たり次第に狙うかのような盗賊団に襲われたという経緯なのだけど――そんな風に誤解させるのも、敵の計画の内である。


 彼らは入念な下調べをして、今日という日を選んでいる。


 デスディオン公爵家の馬車が、この場所を通るという情報を正確に把握したからこそ、森の中でジッと待ち伏せしていた。わざわざ変装して正体を隠すぐらい用意周到であり、さらに、大いなる野望を内に秘めているため、絶対に目的を果たさんとして容赦もない。


 世界各地で暗躍しながら、この世を滅ぼそうなんて本気で考えているバカ共なのだから。


 デスディオン公爵家の令嬢ユーリシェラが連れ去られて、そのまま何年間も行方知れずになってしまう今回の事件は、ゲーム『リアライズ・リロール』のメインシナリオで回想シーンとして描かれる。


 すでに述べたとおり、ルールシェイドは妹を見捨てて逃亡するのが本来の展開だが、それ自体は小事に過ぎない。メインシナリオの本筋とは無関係に、どうでも良いオマケとして、テレビ画面の隅っこでササッと描かれる。


 すなわち、このシーンは彼のために存在するのではない。過去のトラウマを描き出し、キャラクターに深みを持たせるとか、そんな目的のシーンではないのだ。


 それでは、なんのため?


 ルールシェイドが、どうでも良いならば――。


 この瞬間、スポットライトを浴びるべきは、誰か?


 それは当然、誘拐されるユーリシェラの方である。


 では。


 ユーリシェラの誘拐は、それほど重要なことなのか?


 メインシナリオで、わざわざ丁寧に描かれるほどのことか?


 例えば、世界の命運に関わるようなものか?


 答えは。


 イエス。


 俺は、脇腹から血を垂れ流しながら、攻撃してきた相手は無視して、とにかく、妹を拘束している敵を目指して突き進んでいく。


 レベル1で戦って、万が一にも勝てるような相手ではないことは、先ほど述べたとおりだ。現時点の俺が玉砕覚悟で挑んで、奇跡のようにクリティカルヒットを連発したところで、それでもたった一人すら倒せるとは思えない。


 だから。


 初手で、すべて決まる。


 俺は重たい剣を振り上げて、脇腹から血を吹き出し、吠えながら、力任せに振り下ろした。


 敵は舌打ちすると共に、拘束していた妹を地面に突き飛ばしていた。やつらの目的はわかっている。それゆえ、妹には命の危険はない。俺は思わず、ニヤリと笑ってしまった。


 ああ、助かるよ、本当に……。俺のデタラメに振り下ろす刃が危険だということで、皮肉にも、敵の方がユーリシェラを守るための行動を取ってくれた。狙い通りである、ドンピシャである。ほんの一時でも、敵の拘束が解かれた。


 妹の身体を手放してから、代わりに武器を抜き放った男は、あっさりと俺の剣を受け止める。


 これもまた、予想していた。


 剣による一撃は、本命ではない。


 俺は、受け止められた剣から手を離すと、間髪入れずに両手を突き出した。


 胸の内側で、歯車ギアが噛み合うような反応。身体の中を循環している何かの波動が、じわりと感じられる。初めての感触――だが、どうすれば良いかはわかっている。


 ああ、悪いな、ルールシェイド。剣よりも、こちらの方が得意ということは知っているんだ。物心ついた頃からシャレにならないイタズラを周囲に仕掛けていたというエピソードは、ゲーム中に取り巻きのモブキャラとの会話で披露されている。そのおかげで、10歳の子ども時点でも使えることは確信していた。


 魔法。


 現代世界にはない、ファンタジーの技術体系。


 俺はこの刹那、ぶっつけ本番で、魔法を唱えてやった。


 果たして。


 構えた両手の狭間で、火打ち石を打ったように火花が生まれる。


 二回ほど瞬いた後で、強烈な閃光となって爆ぜた。


 目くらましの魔法。


 ゲームでは、バトルから確実に逃走する効果を持つ。消費MPは少なく、魔法使いタイプのキャラクターであれば、ほとんど全員が最初から覚えているような基礎の魔法である。


 ちゃんと効くのか……?


 不安だったものの、敵は全員、顔を手で覆ってうめき声を上げていた。ここで俺が魔法を使うとは、さすがに予想していなかったようだ。


 魔法の才能があるのは一部の人間だけであり、子どもで使いこなせるのは、さらに珍しい。だからこそ、ルールシェイドが、自分は天才なんだと増長していった原因でもあるけれど。


 何はともあれ、魔法の才能に助けられたのは事実である。


 いいぞ、ルールシェイド。もう一度、褒めてやろう。


 実際は、皮肉な笑みを浮かべている暇なんてない。


 俺は必死に手を伸ばし、倒れ込んでいる妹の手をつかみ取った。

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