第036話 スネを狙いしモノ

「にゃーん」


 雨に濡れながら田園地帯を走っていると、どこからともなく猫の鳴き声が聞こえてきた。


 猫が雨を避けずにこの辺りにいるのは不思議だ。


 どこから聞こえてくるのだろうか。


「にゃーん」


 探っていると、神社が近づくにつれ、鳴き声も徐々に近づいてきた。


 結界の外なので警戒を強める。


「にゃーん」


 もう目と鼻の先まで声が近づいてきたところでその姿を確認できた。


 どう見ても猫だ。


 しかし、不思議と毛が雨を弾いているように見える。狐の尻尾が増えるんだ。猫の毛が防水になることもあるだろう。


 雨が振っているし、急いでいるので、猫に構わずに脇を通り過ぎようとした。


 しかし、一番距離が近くなった瞬間、猫は光聖が走っているにもかかわらず、脛を目掛けて突っ込んでくる。


「うぉっ、なんだこいつ!?」

「にゃーんっ」


 まさか野良猫が距離を詰めてくるとは思わず、光聖は当たる寸前で回避した。


 猫は不満げな声を上げる。


「おい、なんで迫ってくるんだ!?」

「にゃにゃっ」


 猫は光聖の言葉を無視し、諦めることなく再び頭から突進して脛を狙ってきた。


 全く意味が分からない。


「はっ」


 先ほどよりも鋭い動きに、光聖が飛び上がって避けた。守を背負っていても、身体強化されている光聖にとっては余裕の動きだ。


 ただ、襲いかかってくる猫は、異常に素早い。二十年の間に速さも進化しているとは厄介すぎる。


 それに、なんで脛を狙ってくるのかも分からない。二十年間で猫は脛に何か特別な思い入れを持つようになったのだろうか。


 その上、敵意は感じないから反撃するのも忍びない。


 光聖はひたすらに回避に専念しながら神社を目指す。


「にゃにゃにゃーんっ!!」


 突進を躱された猫は、さらに速度を上げて頭から脛を目掛けて突撃。


 しかし、所詮は猫。異世界帰りの光聖の脛にはかすりもしなかった。


「もういいだろ? また今度構ってやるから今日は帰れ」

「しゃーっ!!」


 光聖は何度も帰るの邪魔する猫を宥めようとするが、全く譲る気配を見せない。


 そして、再び襲い掛かってくる。


 しかし、何度狙っても光聖の脛をとらえることはできなかった。


「にゃ~……にゃ~……」


 幾度もの攻防の末、脛が大好きな猫はようやく体力がなくなったようだ。


 走るのを止めて追ってこなくなった。


 やっと逃げ切れたか……。

 

 光聖は猫を振り返り、ホッと安堵した。


「ふぅ……一体なんだったんだ、あの猫は……いや、そんなことよりも守をどうにかしないと」


 階段を上って境内に入ると、社務所に守を運び込んだ。

 




 明くる朝。


「……ここは?」

「起きたか」


 様子を見にくると、守が目を覚ました。


「光聖か……ということはここは社務所か」


 守が体を起こして辺りを見回す。


 その表情には懐かしさが浮かんでいた。よく遊びに来ていたから当然か。


「そうだ。お前がベロベロになって仕方ないから連れてきてやったんだ。感謝しろよな」

「そうか、ありがとな」

「ホントだよ。お前、帰りに俺の背中に吐きやがったからな。マジでひどい目にあった」


 思い出すと、まだ背中がゾワゾワする。


 守を寝かせてから風呂にも入ったが、何度体を洗ってもまだ背中についているような気がしてしまう。


 もはやトラウマと言ってもいいかもしれない。


「俺がそんなことを? いやぁ、それは悪かったな。その代わりと言ってはなんだが、何かできることがあったら言ってくれ。力になるぞ」

「そうか。それなら神社を開く準備をしているから、できる範囲で手伝ってくれ」


 バツが悪そうな顔をする守。


 光聖は遠慮なく頼らせてもらうことにした。


「それなら任せておけ。元からそのつもりだったし、この街で割と顔が利くからな」


 そういえば飲んでいる時に、街の若い人達のまとめ役みたいなことをしていると言っていたか。


 それなら何かと助かりそうだ。


「それは良かった。さっそく陰陽師協会の人に顔合わせしてもらうからな」

「え、マジかよ? 俺、着替えなんてないなんだが?」

「背中に吐いた罰だ。甘んじて受け入れろ」

「へーい」


 こうして守にも神社の運営を手伝って貰うことになった。


「それでさ、昨日帰り道で――」


 話がひと段落したところで、守に帰り道に遭遇した不思議な猫の話をする。


「どんな猫だ?」

「脛に異常なほどの執着をもっていて、ひたすらに脛を擦ろうとしてくる猫だ。最近の猫って脛が大好きなんだな」

「そんなわけないだろ」

「え、てっきり二十年の間に猫も進化したと思っていたんだけど、違うのか?」


 思い返しながら語っていたら、否定されてしまい、光聖は目を丸くする。


「そんなに脛に愛着のある猫はいない」

「じゃあ、昨日会った猫だけが特別なのか」


 脛への愛にあふれる猫は一匹だけだったらしい。全ての猫があの猫のように脛への愛情を持っていたら、毎日皆大変だもんな。


「いや、それってそもそも猫じゃないんじゃないか?」

「どういうことだ?」


 見た目も気配も猫にしか見えなかったのに、猫じゃないとはこれ如何に。


「雨の日に人の脛に絡んで歩くのを邪魔をする妖怪がいると聞いたことがある。今までに大蝦蟇とかにも会っているんだろ? もしかしたら、その猫はすねこすりっていう妖怪だったんじゃないか?」

「え、あれって猫じゃなくて妖怪だったのか!?」


 予想もしていなかった答えに、光聖はひどく驚愕することになった。

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