第009話 幽霊の 正体見たり 枯れ尾花
「ん? まだ夜か……」
目覚めると、室内は真っ暗で、起きるにはまだ早い時間だった。
時計を見ると、零時を回ったところ。
下腹部に圧迫感を感じ、この時間に目覚めた理由を知る。
風呂上がりに調子に乗って炭酸ジュースを飲み過ぎたらしい。二十年ぶりの炭酸ジュースが美味すぎてペットボトル丸々一本飲み干したのが良くなかった。
ベッドを抜け出し、トイレに向かう。
襖を開くと、伽藍とした長い廊下が顔を出した。住居を兼ねているため、間取りが非常に大きく、屋内はシンと静まり返っている。
耳が痛いくらいだ。
社務所は日本家屋で、ホラー映画に出てきそうな古い内装をしている。廊下の奥が暗闇に染まっていて、先を見通すことができない。
トイレはその廊下の先にあった。
『じいちゃん……』
『んあ……どうしたんじゃ、光聖……』
『おしっこ……』
『ちょっと待っておれ』
小さい頃は、その暗闇に何かが潜んでいるように見えて、恐怖からよく祖父にトイレまでついてきてもらったことを覚えている。
用を足している間、扉の外にいる祖父に待っているか何度も確認していた。
しかし、今となっては異世界での経験もあり、何も怖くない。むしろ祖父の霊ならいつでも大歓迎だ。
すでに目も慣れているので、暗闇の中を迷うことなく歩いていく。
昨日と一昨日の夜は早めに寝てしまったので、夜の社務所内をじっくりと見る機会はなかった。
真夜中の社務所内の雰囲気は、昔見た記憶となんら変わっていない。
社務所は改装したわけではないので内装はそのまま。トイレは引き戸で、内部は昔ながらの公園のトイレのような造りになっている。
その古さがなおさら子供心に恐怖を掻き立てたのを思い出した。
トイレ用のサンダルを履いて中に入って用を足す。
「少し外に出てみるか……」
ふと、夜の境内を見たことがなかったと思い、トイレの後で玄関のカギを開けて外に出た。
聞こえるのは緩やかな風で揺れる草と木々の葉が掠れる音。
その爽やかな音色は、耳心地が良かった。
つい先ほどまで曇っていたが、まるで測ったようなタイミングで雲が途切れ、真ん丸なお月様がひょっこりと顔を覗かせる。
優しい青白い光が神社全体に降り注ぎ、仄かに照らされた自分以外誰もいない夜の境内は、神秘的で寂しさとともに風情が感じられた。
これが侘び寂びの世界なのかもしれない。
「そろそろ戻るか」
しばらく少し夏の匂いを感じさせる風に吹かれた後、社務所の中に戻った。
――ウィーンッ、ウィーンッ
「ん?」
しかし、そのまま寝室に戻って寝ようと思って歩いていると、先ほどまでは聞こえなかった耳馴染みのない音が聞こえてくる。
誰かいる。
しかも、確かに何かがいる気配があるのに生物の反応は見られない。
こんなことは異世界でも一度もなかった。
光聖は警戒心を一気に引き上げる。
実は悪霊や妖がいた地球だ。他にも自分が知らない存在が居てもおかしくはない。
音が聞こえるのは社務所の奥にある机のさらにその先。
「リーンフォース、ハードスキン、プロテクション、リフレクション」
自分に防御系の強化魔法と防御魔法を掛けて、社務所の奥へとじりじりとすり足で進んだ。
――ウィーンッ、ウィーンッ
形容しがたい不可思議な音が少しずつ大きくなっていく。
確実に気配の許に近づいていた。
音の元凶は光聖が近づいているにも関わらず、規則的な音を鳴らし続けている。自分など恐るるに足りないということなのかもしれない。
「そこにいるのは誰だ!! 姿を見せろ!!」
しびれを切らした光聖が叫ぶ。
――ウィーンッ、ウィーンッ
しかし、返事はなく、なんの変化もなかった。
「観念しろ。逃げられないぞ」
再び投降を促すが、相手は逃げるそぶりも隠れるそぶりもない。
これ以上、祖父の思い出が残るこの社務所で好き勝手させるつもりはない。
「姿を見せないつもりか? それならこっちから行くぞ」
元凶の気配がある机の奥に迂回して、その存在を追い詰める。
「な、なんだこいつは!?」
ただ、机の先の床に居たのは明らかに機械的な円盤型の存在だった。
その円盤は、何やらピカピカと光を点滅させながら規則的に動いている。
光聖に驚くことも、攻撃をしかけてくることもない。ただただ、淡々と何かをこなしていた。
今まで見たことがない物体に光聖は戸惑いを隠せない。
ただ、見た目が機械であることを考えると、侵入者ではない可能性が高い。
光聖は恐る恐るその円盤を触ってみた。しかし、動きは相変わらず変わらないままだ。
ここまでの動きを見て、ほぼ間違いなく何らかの電化製品だということを理解した。そこで思い切って円盤を持ち上げてひっくり返してみる。
裏面には見覚えのある機構が組み込まれていた。
「ん? これは……掃除機?」
それは掃除機のごみを吸い込むヘッドの構造によく似ている。
「これってもしかして掃除機だったのか!?」
まさか勝手に動いている機械が掃除機だと思わず、少し恥ずかしくなった。
光聖は部屋に戻り、ベッドに潜り込んで不貞寝を決め込んだ。
明くる朝。
『あぁ~、すみません!! ボンバのことを伝え忘れていました』
夜中の出来事を電話で伝えると、辻堂は非常に狼狽えた様子で返事をした。
辻堂にとっては当たり前のロボット掃除機のボンバだが、二十年前の常識しかない光聖にとっては全く慣れ親しんだものではない。
驚くのも無理のないことだった。
「いえ、害がないならよかったです。あれは掃除機で合ってますか?」
「はい。自動的に家の中を掃除してくれるロボット掃除機です。今回は真夜中に自動的に掃除を行うように設定していました」
「そうだったんですね。壊さなくてよかった……」
気づかなければ、滅茶苦茶に壊していたことだろう。
光聖はホッと安堵した。
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