第008話 現人神様生活の始まり

 幽現神社からの帰り道。


 太陽が山の向こうにちょうど沈んだ夕まずめ。


 その言葉の語源通り、辻堂と伽羅は無言で階段をとぼとぼと下りていた。


 伽羅が不意にポツリと沈黙を破る。


「先輩、本当にあれでよかったんですか?」

「ああ。何か不満でもあるのか?」

「私にはそれほど凄い人には見えなかったんですけど」


 伽羅には光聖が一般人とそう変わらないように見えていた。


 辻堂の光聖に対する態度や待遇は少々やり過ぎのように思う。


「馬鹿野郎。お前、この辺りに悪霊や妖魔がいるか感知してみろ」


 辻堂は、不満そうな伽羅に呆れた顔をしながら促す。


 伽羅はまだ霊的な気配や力を感じ取る能力が未熟で、辻堂のように意識せず感じ取れる段階には至っていなかった。


「は、はい……え、いない?」


 辻堂の指示に従い、伽羅は目を閉じ、意識を集中させて霊的な存在を知覚する感覚を広げた。


 悪しきモノは黒、善きモノは白で判別できるが、伽羅が感知できる範囲に黒の反応は一つもない。


 どんな場所でも一定数の悪霊は感じられるはずなのに、一匹もいないというのは異常だった。


 それは、光聖の持つ神気――魔力の浄化の性質の強さが尋常ではないと物語っている。


「ああ。清神様が降臨された瞬間、この街の魑魅魍魎は全て消え去ったんだ。神域の外側でも、影響を受けて多くの悪霊や妖は相当弱体化しているはずだ。それはつまり、清神様がいる限り、この街の付近で悪霊たちが悪さはできないってことだ。それがどういうことか分かるか?」

「仕事が減るってことですね!!」


 辻堂の説明を聞いてパァッと花が開いた笑顔を見せる伽羅。


 陰陽師も神職同様に人手不足が深刻で、実力がある人間は何か所もの区域を担当しなければならなくなっている。


 相当ブラックな職業だ。担当区域が減るだけで楽になるのは間違いない。


「違うわ!!」


 しかし、辻堂が言いたいことはそんなことではなかった。


 勿論そういう面がないとは言わないが。


「じゃあ、なんなんですか?」

「魑魅魍魎がいなければ、事件や事故、災害がほぼなくなる。神域は数あれど、これ程まで神気が強力な神はいない。ここは他の神域以上に安心で安全な土地になるはずだ。しかも、現人神は地上に自ら手を下すことができるときた。数年もすれば、聡い人間たちはこぞってこの街に引っ越してくるだろうよ」

「そ、それは凄いですね」


 現段階でこれから光聖のいる土地の明るい展望がハッキリと想像できた。


「ああ。おそらくこれからこの街は大きく変わるだろう。だからこそ、俺たちは清神様が気分を害さないように徹底するんだよ」


 もし、光聖が慣れ親しんだ神社付近の風景が消え、住宅やビルなどに飲み込まれていった場合、もしかしたら、光聖が不満に思ってこの街から出て行ってしまうかもしれない。


 そんなことになれば、他の誰かに光聖を横取りされてしまう。


 せっかくこの地が地元で、祖父と一緒に住んでいた場所だから、という縁でこの街に住んでくれるのだ。


 光聖がこの土地から出て行ってしまうような事態は避けなければならない。


 辻堂はこれからすぐに上層部と掛け合い、神社周辺の土地を全て押さえて光聖名義にするつもりだった。


「まさか彼がそれほどの人物、いや現人神かみ様だったなんて……」


 伽羅はようやく光聖の重要性を理解し始めた。


「俺たちは清神様から何か要望があった時にいつでも応えられるようにしなければならない。分かったか?」

「はい。分かりました」


 お互いに認識を共有し、頷き合ったところで、二人は諸々の手続きと、光聖の本殿を建て直す準備に取り掛かった。



 ◆  ◆  ◆



「んん……ここは……そうだ、俺は日本に帰ってきたんだった」


 光聖は目を覚ます。


 見覚えのない室内の風景を見て、昨日の出来事を思い出した。


 日本への帰還。二十年という時の流れ。祖父の死。神からの神社の譲渡。


 度重なる大事件を乗り越え、名実ともに神社を貰うことになったが、本殿を本宅に建て直すため、社務所を仮住まいとして生活し始めた。


「まさか本当に全てを終わらせるとは思わなかったな……」


 真新しいベッドに横たわったままポツリと呟いた。


『こちらが清神様の身分証明書と神社の権利書になります。内々に戸籍の復活手続きや銀行口座の作成なども済ませております。居住区は体裁は整えさせていただきましたが、必要最低限生活に必要なモノだけとなっておりますので、他に何か必要なものがあればいつでもおっしゃってください』


 昨日のニコニコとした辻堂の顔が思い出される。


 その日の内に、二十年間いなくなっていた光聖の戸籍や身分証明書などを用意してしまうなんて、陰陽師の権力の強さに愕然とした。


 流石陰から日本を守っているだけあるということか。そんなことをするつもりはないが、敵対しないほうがいいだろう。


 それに、最低限と言いつつも、家具や家電などが全て高価なメーカーの商品に取り換えられていた。


 今横になっているベッドも、命の根源たる海に抱かれているように心地がいい。


 資金面でも相当裕福な組織のようだ。


 光聖は体を起こし、朝の日課のために家を出る。


 いつもおこなっているのは、ランニングと筋トレ、それに瞑想だ。


 異世界は非常に過酷な場所だったので、最低限の体力は必要不可欠だった。


 日課をこなすことで体力と筋力が維持できるし、気持ちがスッキリとする。


 日本に帰ってきても自然と目を覚まし、体が勝手に動いていた。


「ようやく人の目を気にしなくて済むな」


 辻堂が用意したものの中には衣服も含まれていた。


 今は異世界で来ていた祭服を脱ぎ、ジャージを着ている。そのおかげで日本で浮くようなことは無くなった。


 異世界の衣類は造りが荒く、布の質も良くないので、着心地が良くなかった。


 高校時代以来のジャージの方が非常に着心地が良い。


「はっはっ……はっはっ」


 早朝ということもあって神社の周りに人影はない。朝の冷たい空気が肌を刺し、口から体内に入り込んで意識をしっかり覚醒させていく。


 多少寒いくらいの方が走るにはちょうどいい。


 ランニングと筋トレをして家に戻り、シャワーを浴びた後、和室で瞑想をおこなった。


 作務衣さむえに着替え、さっそく神社の手入れを始める。


「さて、綺麗にするぞ」


 草むしりもやる必要があるが、正直どこもかしこも伸び放題で完全に綺麗にできるまでそれなりの日数がかかってしまう。


 それなら先に建物の掃除を先にやった方がいい。


「ピュリフィケイション」


 幽現神社には主に、階段、鳥居、手水舎ちょうずや、本殿、拝殿、社務所、蔵という施設がある。


 それら全ての建物の屋根から何から全部自分の力でやるのは大変なので、まず建物の外側に浄化魔法を掛けた。


 それだけでくすんでいた壁や屋根がまるで新築のような輝きを取り戻す。


 草が生え放題の境内に新築同然の建物が並ぶ姿は少し異様だった。


 それから各施設の窓を開け放ち、天井や手の届かないところは浄化魔法を使用し、手が届く範囲は自らの手で汚れをふき取っていく。


 全部魔法で済ませることもできるが、まったく充実感が得られないし、祖父と神様への感謝の気持ちを伝えるためにも、できる範囲は自力で綺麗にしたかった。


 積もった埃が消えていくたびに、自分の心の中に積もった汚れも綺麗になっていくような清々しい気分になる。


「終わったぁ!!」


 夢中で拭き続け、全ての建物の中の拭き掃除が終わった頃、世界はすっかりオレンジ色に染まり、夕日が山の向こう側に沈もうとしていた。


 光聖は戸締りをして、風呂を溜める。


 昨日は色々なことがあって疲れてしまい、浄化魔法で済ませてしまった。


 異世界では旅続きであまり入れなかったので、本当に久しぶりだ。


「あぁあああああ……これだよ、これ!!」


 肩までお湯に浸かると、得も言われぬ気持ちよさに思わず声が出る。

 

 全身の疲労感が溶けていくような感覚は、まさに天にも昇るようだ。


「くぅ~、効っくぅ!!」


 風呂を堪能した光聖は、久々に炭酸ジュースで口を潤した。


 異世界には炭酸ジュースが存在せず、召喚された当時は未成年で魔王討伐の途中だったため、酒を飲もうとも思わなかったので、実に二十年ぶりの再会となる。


 渇望し続けていたその味と、口内に広がる炭酸の刺激は、それはもう格別だった。


 光聖は出来合いのご飯を食べて歯を磨き、文字通りにベッドに飛び込む。


 全身の程よい疲労感と、高級ベッドの寝心地の良さで、現人神様生活初日は、まどろみと共に終わりを迎えた。

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