第010話 〇〇の恩返し
今日から草むしりを始める。
境内も入り口の階段も生え放題なので、全て整えるのには、随分時間がかかるだろう。じっくりと向かい合っていくつもりだ。
異世界で鍛えた肉体と魔法があれば、長時間の作業も苦にならないだろう。
もくもくと作業をしていたら、日が完全に上り、中天に差し掛かっている。周りには草の山が出来上がっていた。
一度立ち上がり、ググっと大きく背筋を反らして伸ばす。
昨日含め、これだけのんびりした生活を送るのは久しぶりだ。
異世界では魔王を倒すまではずっと旅をしていて緊張を強いられてきたし、倒したら倒したでパーティやお茶会に参加されられる始末。
毎日が落ち着かない日々が続いた。
そういう生命の危機を感じる緊張感や、煩わしい人間関係とは無縁の今の生活は非常にありがたい。
「コンビニ弁当とかおにぎり、二十年前より格段に美味くなったな」
昨日辻堂が買ってきてくれたコンビニのお惣菜を食べ、再び草むしりに戻る。
コンビニのお惣菜は光聖自身が頼んだもの。日本のコンビニの味が懐かしくなって無性に食べたくなってしまったからだ。
気づけば、一日中草むしりをしていた。
明くる日も朝から草むしり。
五月にもかかわらず、強い日差しが降り注ぎ、光聖の肌を焼く。しばらく放置されていた草は根強く、生命力の強さを感じさせた。
階段も相当に長く、境内も広いので一人でやるにはまだまだ終わらない。
ひたすらに草をむしり続けていく。
「あぁ~、疲れた」
いつの間にか辺りはすっかり黄昏時。遠くからカラスの輪唱が聞こえてきた。
誰も見ていないのをいいことに、境内に横になって空を見つめながら、これから自分が何をしたいのか考える。
しばらくは草むしりの毎日が続くだろう。
でも一度終われば、神社の管理と維持をするだけ。草むしりも清掃も今回ほど時間がかからなくなるはずだ。
その分、時間が空く。
祖父がいなくなり、
「何しよっかなぁ……いや待てよ? 俺って今、お金持ってなくね?」
すっかり忘れていたが、自分が一文無しだということを思い出した。
『清神様は居ていただけるだけでいいんです』
辻堂の顔が思い浮かぶが、買ってもらってばかりで、何もしていないのは落ち着かないし、出かけるにも先立つ物がなければどうしようもない。
やはり何か仕事がないかを尋ねる必要がありそうだ。
「ん?」
考えごとをしていると、神社の敷地内に何かが入ってきたのを感知した。
悪霊や妖がいると聞いてから神社の土地を覆うように結界を張っている。
その結界の境界を誰かが越えてきた。
結界は悪意のある存在の侵入を防ぐもので、悪意のない者は素通りできる。
つまり、入ってきた存在に悪意はない。ただ、その気配はどこかで感じたことがあるものなのだが、思い出せなかった。
辻堂や伽羅の波長とは違う。
誰だったのか思い出せないまま、その気配はどんどん近づいてくる。立ち上がり、気配がある方角をじっと見つめた。
律儀にもきちんと階段を上ってきていて、もうすぐその姿を確認できそうだ。
「キュウゥウウウッ!!」
そして、数秒後に階段から飛び出してきたのは真っ白な子狐。そこでようやく思い出した、異世界から帰還した日に助けたあの子狐だと。
子狐はくるりと一回転して地面に着地すると、光聖を目指して一直線に走ってくる。
「キュッ!!」
「おわっ」
そして、後一メートル程まで近づいた時、子狐は光聖の胸に飛び込んできた。
敵意を感じなかったので止めなかったが、まさか自分に突進してくるとは思わなかったため、光聖は後ろにひっくり返る。
ただ、そこは異世界帰還者。子狐に怪我をさせないように抱きかかえて受け身をとった。
「大丈夫か?」
「キュッ」
光聖が仰向けに寝転び、子狐を持ち上げて安否を確認すると、さも言葉を理解しているかのように子狐は鳴く。
何食わぬ顔をしていて、どこにも怪我はなかった。
よく見ると、額に朱色の梵字のような模様がある。
不思議な雰囲気を持つ狐だった。
「なんでここに来たんだ?」
安堵した光聖は、子狐が自分の許に訪れた理由を尋ねる。
「キュキュキュッ、キュキュー」
「いや、ちょっと分からないな」
子狐は一生懸命答えようとするが、光聖には全く伝わらなかった。ただ、自分を慕ってくれていることは分かる。
そこで、光聖は子ぎつねに提案してみた。
「お前さえよければ、しばらくここに住むか?」
光聖は何日か神社で一人で暮らしただけで寂しさを感じている。
高校時代までは祖父がいた。
異世界では仲間たちがいた。
しかし、今は一人ぼっちだ。
二十年も行方不明だった自分が、高校時代の友人の輪に入ることは躊躇われる。
日本にいなかったせいで話題についていけないし、何をしていたのか聞かれても、本当のことは答えられない。
答えたとしても、到底信じられない話だ。誰も信じてはくれないだろう。むしろ、
勿論魔法を見せれば信じてくれる友人もいるかもしれないが、いらぬトラブルに巻き込まれる可能性がある。
かといって、辻堂や伽羅は光聖を神様扱いして一歩引いたところにいる。そういう相手と本当の意味で打ち解けるのは難しい。
その点、目の前の子狐は辻堂たちのような遠慮もないし、自分に懐いてくれている。
一緒に居てくれるなら、一人寂しい神社暮らしが賑やかになるはずだ。
「キュウッ」
「本当か? ありがとな」
子狐が嬉しそうに頷いたのを見て、光聖は頬を緩ませる。
「んー、そうだな。名前がないと呼びづらいよな。名前を付けてもいいか?」
「キュキュッ」
せっかく一緒に暮らすのだから名前が欲しい。
子狐に尋ねたら、あっさり首を縦に振った。
光聖は腕を組んで子狐の名前を考え始める。
「いいのか? そうだなぁ。狐と言えば、玉藻前が有名だ。タマモはどうだ?」
「キュキュキュキュキュッ」
最初に思い浮かんだ名前を聞いた瞬間、子狐は凄い勢いで首を横に振った。
何か理由があるのか、タマモという名前だけは付けてほしくないという強い意志を感じる。
諦めて次の名前を考えることにした。
「そんなに嫌なのか? うーん、分かった。嫌な名前を付けるわけにもいかないからな。うーん、雪みたいに白いから、ユキっていうのはどうだ?」
「キュキュウッ」
光聖としては一番子狐のイメージに合うのだが、子狐は不満げな顔で拒む。
二度目も諦めて、さらに別の名前を考えた。
「それもいやか。白くてまん丸で毛玉みたいだから、タマはどうだ?」
「キュウッ!!」
そして、三度目の正直。
子狐はようやく自分の名前に納得。光聖のネーミングセンスも、子狐の感覚も独特だった。
「おお、気に入ったか。それじゃあ、今日からお前はタマだ。よろしくな」
「キュキュキュウッ!!」
新しい家族ができたようで嬉しくなった光聖は、寝転がったまま、タマを自分の顔の前に寄せる。
タマは目の前にあった光聖の鼻の頭をペロペロと舐めた。
「あはははっ。くすぐったいぞ。タマ」
光聖は久しぶりに声を出して笑った。
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