第032話 雨の中の出会い
梅雨入りしてしばらく。
「雨女さん、今日も張り切ってるなぁ……」
窓の外を見ながらポツリと呟く。
元気になったというのは嘘ではないようで、雨女が仕事を全うしているおかげで、ほとんど毎日雨が降り続けている。
雨自体は嫌いではない。
さめざめと降る雨の音は癒されるし、落ち着いた気持ちになる。
「そろそろ買い出しに行かないとなぁ……」
しかし、雨の日に出かけるのは億劫だ。どうしても濡れるのを避けることはできないからだ。
それでも行かないわけにはいかない。消耗品や食材が無くなってしまうのは止められないし、天気は思い通りにはなってはくれないのだ。
それに今日は十%オフの日。逃すわけにはいかない。
光聖は重い腰を上げた。
「タマはどうする?」
ソファーで丸まっているタマに声を掛ける。
「キュウッ」
タマも雨の日に出かけるのは嫌らしい。
家に残ると鳴いた。
「そうか。それじゃあ、留守番頼むな」
「キュッ」
タマに留守を任せ、本殿の入り口に向かう。
「あ、番傘」
出入り口の傍に番傘が立てかけられていた。
蔵にしまい込まれていたのをたまたま見つけ、引っ張り出してきた物だ。
小さい頃、祖父が傘を忘れた光聖を迎えに来てくれたことがあった。
『あぁ~、誰の爺ちゃんだ、あれ!!』
『なんか渋くてカッコいいな!!』
光聖が校舎の入り口でザーザーと雨の降る空を見上げて立ち往生していると、自分と同じように途方に暮れていた子供たちが騒めく。
彼らの視線の先にいたのは作務衣に番傘をさした祖父。他の保護者たちとは違うその姿を見て、子供心に自慢に思ったのを覚えている。
祖父と同じ格好で出かけられることに嬉しさと、一緒に出かけられない寂しさを感じながら、光聖は番傘を手に取り、拝殿の軒下で傘を広げた。
「紫陽花か」
神社前の階段を下り、少し歩いたところで鮮やかに咲く紫陽花の花を見つけて足を止める。
紫陽花の上には二匹の蝸牛が乗っていた。
『これ何?』
『カタツムリじゃ。幸運や幸福を司る縁起のいい生き物じゃな』
『へぇ~、面白い形してるね』
『そうじゃな』
田舎に来て初めてカタツムリを見た光聖に、祖父が説明をしてくれたのを思い出す。
「元気に暮らせよ」
「あっ、現人神様、こんにちは!!」
「え!?」
なんだか嬉しくなって声を掛けると、思いがけず返事が返ってきて心臓がドキリと弾んだ。
まさかカタツムリが喋るとは思わなかった。
「き、君は?」
落ち着いたところで問いかける。
「化蝸牛と申します。この辺りに棲んでいます。今年の梅雨が穏やかなのは現人神様のおかげだと聞きました。ありがとうございます」
「いえ、俺は何もしていませんが……」
光聖は首を傾げる。
化蝸牛に言われたことにトンと覚えがない。
「何をおっしゃいますか。雨女さんの体調不良を治されたとか。妖の間では現人神様の話題で持ちきりですよ。お陰様で非常に暮らしやすくて助かっています」
「あぁ!! でも、一緒にご飯を食べただけですよ?」
それ以外に何かをした記憶はない。
それに、妖の間で話題になっているというのは初耳だ。一体どんな噂をされているのやら。
「ご本人に伺ったので間違いありません。本当にありがとうございます」
雨女が言っているのなら勝手に否定するわけにもいかないか。辻堂が言っていたように、ここにいることで起こるという、恩恵の一つなのかもしれないな。
光聖は化蝸牛の言葉を受け入れる。
「いえ、気にしないでください。役に立てたのなら良かったです」
「そうはいきません。私たちにお手伝いできることがあれば、おっしゃってください」
「分かりました」
「それでは、また」
「はい」
化蝸牛との邂逅を経て、光聖は再び街を目指して歩いた。
ドラックストアで日用品や消耗品を、スーパーで食材を購入し、用事は程なく終えた。
「タマにお土産を買って帰るか」
家で留守番をしているタマ。
きっと退屈しているはずだ。せっかく外出したんだ、おはぎを買って帰ろう。家に帰ったら、タマはきっと喜ぶだろう。
「光ちゃん、いらっしゃい。いつものかい?」
「はい。どら焼きと団子とおはぎを」
「あいよ」
帰りに三栗屋に寄った。
「いやあ、今年の梅雨は静かだねぇ」
顔なじみの店主が和菓子を袋に詰めながら、化蝸牛と似たようなことを呟く。
「そうなんですか?」
「あぁ、ここ数年は荒れた天気になることが多かったんだけどね。おかげで今年は楽に過ごせそうだよ」
妖怪だけでなく、人間にとっても、雨女の力が戻ったことは良かったことらしい。
それなら神社に現人神として住んでいる甲斐もあるというものだ。
「よかったですね」
「あぁ、本当にね。それじゃあ、これ」
「ありがとうございます」
支払いを済ませ、商品を受け取って店を出る。
傘をさそうとするが、買い込み過ぎて両手が埋まっている。リュックや籠か収納スペースのある移動手段があった方がいいかもしれない。
「自転車とかバイク、それか車を買った方がいいかなぁ」
最有力候補は断然自転車。
なぜなら、免許が必要ないし、安いからだ。しかし、快適さを求めるならバイクか車の免許を取った方がいいだろう。
社務所の営業開始も近づいているし、落ち着いたら取りに行きたいところだ。
袋を腕にぶら下げてどうにか傘を開く。
――ドンッ
考え事をしていたせいで誰かにぶつかってしまった。
「す、すみません、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈――」
相手は三十後半程の中年の男。
よく見ると、その顔はひどく見覚えがある気がするが、すぐには出てこない。
その男は光聖の顔を見るなり、言葉を止め、まるで置物のように動かなくなった。
「あの、大丈夫ですか?」
「……お前……光か?」
怪我でもさせてしまったのかと、再び声を掛けると、目の前の男はわなわなと声を震わせながら言う。
「え?」
あまりに唐突な質問に光聖は間抜けな声を上げた。
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