第006話 永遠の別れ

 光聖は目の前の光景が理解できなかった。


 異世界にはゴーストやレイスなどの霊的なモンスターが存在した。それを誰もが知っていたし、実際に見えていた。


 しかし、地球では見えない人がほとんどで、まだその実在は証明されていない。だから、幽霊なんて非現実的な存在がいるとは思わなかった。


 現実離れした現象に唖然とする。


『久しぶりじゃな、光聖。元気だったか?』


 久しぶりに聞く声は、確かに記憶の中にある祖父の声そのものだった。


 最愛の人物に会えたことが嬉しくて心を満たしていく。


 目の前に確かに祖父がいるという実感とともに、感情が溢れ、涙も溢れ出した。


「ごめん、じいちゃん。俺、帰ってこれなくて……死に目にも会えなくて……」


 光聖は真っ先に謝った。


 祖父を二十年もの間、辛い目に合わせたことがあまりに申し訳なかったからだ。


 できることなら、もっとずっと早く帰ってきたかった。


『そんなことはどうでもいいんじゃ。お前が無事で本当によかった』


 謝罪を聞いた祖父の霊はゆっくりと下に降りてきて、光聖の頭にそっと手を置き、頬を緩ませる。


 祖父にとって光聖が自分の死に目に間に合わなかったことなんて些細なこと。


 ずっと探していた孫が生きていたという事実の方がずっと大事だった。


 少し歳をとって見た目が変わっているが、間違いなく光聖だと分かる。


 孫が生きていたこと。

 孫と再び会えたこと。


 二つの嬉しさで、祖父の目からも涙が流れ出した。


 しかし、光聖の表情はすぐれない。


「でも、後少し早かったらもしかしたら……」


 日本に帰ってきてから魔法が使えることも確認している。


 祖父が生きている間に帰ってくることができたら、自分の魔法で元気にしてあげられたかもしれない。


 そう思うと、悔しさでいっぱいだったからだ。


『お前さえ幸せそれでいいんじゃ。これで儂も息子たちにも顔向けできる』


 祖父は光聖の頭からそっと手を離すと、諭すように慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


 光聖の安否だけがずっと心残りだった。だから、帰幽もせずに霊となって無理やり現世に留まっていた。


 どれだけ時間がかかっても、何を犠牲にしてでも、光聖の生死を確認するまではここを離れるつもりはなかった。


 そして、その機会は存外早く訪れた。


 もう悔いも、思い残すことも、何もなかった。


「じいちゃん、行かないでくれよ……」


 光聖は別れの予感に必死に祖父の霊に縋る。


 教えて欲しいことが沢山ある。聞いて欲しい話が沢山ある。一緒にやりたいことも……。


 もっとずっと生きていてほしかった。


『泣くな、光聖。会えなくなるかもしれないが、儂はずっとお前のここにいる』


 泣きわめく光聖を宥めながら、祖父の霊は光聖の胸を指でそっとつつく。


 祖父もできることならここに留まりたいが、世界がそれを許してくれそうにない。


「分かったよ……じいちゃん」

『それでいい。これからは儂のことなど忘れて元気に暮らせ』

「忘れられるわけないだろ……」


 今の自分があるのは祖父のおかげだ。


 そんなことできるはずもない。 


『仕方ない奴じゃ。おっと、そろそろ時間のようじゃな……』


 時間は有限だ。


 だだをこねる孫を困った笑みを浮かべて見つめる祖父の霊の体が徐々に薄くなっていく。


 それは二人の永遠の別れを意味していた。


「じいちゃん、待って!! もう少し話を!!」

『幽現神社のことじゃが、ここの神様が儂を天界へと連れていくことになった。本殿に御魂はいなくなる。以後、お前が好きに使えと仰せじゃ。壊すも建て替えるも自由。これから現人神として生きるも、普通に働いて生きるも、好きにしろ。それではまた、天国でな』


 光聖が必死に呼びかけるが、祖父の霊は何も答えずに、一方的に幽現神社が奉る神からの伝言と別れを告げる。


 話している間も、足元から徐々に姿が消えていった。


「待って!! 話を聞いてくれ!! それに好きに使えってどういうことだよ!!」


 祖父の霊は完全に姿を消し、光聖の叫びだけが社務所内に反響する。


 もう気配はどこにもなかった。


「はぁ……言いたいことを言うだけ言っていなくなるなんて本当に勝手なんだから……」


 祖父の霊がいなくなると、寂しさと共にどこかスッキリした気分になる。


 ちゃんと会えたからだろうか。それとも一言謝れたからだろうか。


 いや、もしかしたら、祖父がもう泣かないようにと、悲しみごと持っていってくれたのかもしれない。


「……それにしても、神社を好きに使っていいって言われても、誰が管理しているのかも、どんな手続きが必要なのかも俺は分からないぞ?」


 ただ、いくら祀っていた神様が好きに使えと言ったところで、それを現実で証明できるはずもない。


 鵜呑みにして勝手に棲みついたら、不法侵入や不法占拠で逮捕されてしまうだろう。


 しかも、過去に祖父に聞いた話では、神社を管理するには、神職に就いて許可を得る必要があったはずだ。


 神職になるにも、様々な修業や手続きが必要になる。神社の管理ができる階級になるのには時間もかかる。


 現実世界の手続きをすっ飛ばして、幽現神社を勝手に使うことはできない。


 多少祖父から教わっているものの、勉強を始めた直後に異世界に跳ばされたため、ほとんど神職に関する知識がない状態と言っていい。


 正式に幽現神社を受け継ぐには相当長い年月がかかってしまうだろう。


 それどころか、戸籍のない状態では目指すことさえ難しい。


 非現実的と言わざるを得ない。


 ――ガタンッ


 思考の海に沈んでいると、裏口の方から大きな音が聞こえた。


 神社は街の郊外にあるため、周りには自然が多い。クマやシカが出るなんて話も聞いたこともある。


 もしかしたら、野生動物が開け放たれていた裏口から勝手に入ってきたのかもしれない。


 そう思い、光聖はこっそりと様子を伺いながら裏口へと向かった。


「辻堂先輩、本当にここにいるんですか?」

「ああ、間違いない。力の中心はここだ」


 裏口の方から声が聞こえてくる。


 それは男女の声だった。


 そこで光聖は今の状況を思い出す。


 自分は社務所の裏口を壊して不法侵入をしていた、と。


 何かの防犯対策がなされていて、光聖の侵入に気づいた彼らが自分を捕まえに来たのかもしれない。


 どうする?


 一瞬、逃げることも考えたものの、自分のしでかした犯罪を償うこともなく逃げてしまっては、育ててくれた祖父にも、幽現神社の神様にも顔向けできないと思い直し、素直に二人の前に姿を現すことに決めた。


「あの、すみません」

「え?」

「あ」


 光聖が意を決して物陰から姿を現すと、二人の人物は異なる反応を見せる。


 女性は驚きと戸惑い、男性は見つけたと言わんばかりの表情だ。


「あの、勝手に入ってしまってごめんなさい。この償いはさせてもらいますので、警察でもどこでも連れて行ってください」


 光聖は自分がした行いを反省して二人に頭を下げる。


 どんな罰でも受ける覚悟だった。


「名のある神とお見受けします。御前でひざまずかぬなど大変失礼いたしました。ひらにご容赦を」


 しかし、辻堂は突然その場に膝をついて深々と頭を下げる。いわゆる土下座だ。


「は?」


 光聖はあまりに予想外の展開に間抜けな声を出してしまった。

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