第005話 二十年の残酷さ
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
光聖は地図を頼りに必死に走っていた。
脳裏に女性が言った言葉が繰り返される。
『ああ、清神のお爺さんなら亡くなったわよ』
聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
じいちゃんが死んだ?
それは光聖にとってあまりに現実味のない言葉だった。
光聖の記憶の中の祖父は今も六十五歳の姿をしている。記憶通りなら人生八十年、今すぐに死ぬような歳じゃない。
それに、光聖は漫然と身近な人はずっと死なずに生きていくような気がしていた。
両親が亡くなった時はまだ小さかったし、異世界は夢のようで現実感がなく、未だに身近な人が死ぬという感覚が伴っていない。
それに、光聖は二十年という年月が及ぼす影響を理解しきれていなった。
街が二十年ですっかり変わったように、人も二十年で大きく変わる。高校生が中年になってしまうくらいには。
光聖の見た目は二十代半ば程度だから例外だが、六十五歳だった祖父も二十年という年を重ね、当然八十五歳になっているはずだ。
八十五歳と言えば、亡くなっていてもなんら不思議じゃない。
道を教えてくれた年上の女性の言葉は正しい可能性が高い。
「そんなはずない……」
それでも光聖は、女性の言葉を必死に否定しながら神社を目指して走った。
走り続けていると、建物が少なくなり、周りには田園風景が広がっていく。
この辺りは、まるで時間が止まっているかのように、二十年と同じ風景のままで何も変わっていなかった。
ここまで来れば、自然と家の場所が分かる。
小さい頃によく通った小道を活用して最短距離で進み、ついに神社への入り口である階段へとたどり着いた。
現実を確かめる恐怖で足が竦む。
「じいちゃん……」
脳裏に祖父と過ごした日々が浮かんでは消えていく。
『お父さんとお母さんはどこに行っちゃったの?』
『二人はなぁ、神様のところに行ったんじゃ』
『僕も神様のところにいきたい』
『すぐには難しいのう。でもいい子にしてたら、きっと二人のところに行けるぞ』
引き取られた時は泣いてばかりの光聖を優しくあやしてくれた。
『どうして喧嘩したんじゃ?』
『だって、僕のことを馬鹿にしたから』
『だからって暴力をふるっちゃいかんぞ。光聖も痛いのは嫌だろう?』
『うん』
友達と喧嘩した時は、優しく諭してくれた。
『いっぱい魚をくわしてやるからな!!』
『うん、楽しみ!!』
『ぼうずじゃった!! 帰りに魚を買って帰ろう!!』
『釣った魚が良かった!!』
時間がある時は、近所の川に連れて行ってくれた。
『あのゲームが欲しい!!』
『そうかそうか、いくらでも買ってやろう』
『ホント!? やったぁ!!』
欲しい物はなんでも買ってくれたし、我儘を言っても大抵のことは許してくれた。
『じいちゃん、その服かっこいいね!!』
『ほう。光聖にはこの服の良さが分かるか』
『うん、僕も大きくなったら、その服着る!!』
『そうかそうか。幽現神社も安泰じゃな』
そして、神主としての仕事をしている祖父はかっこよかった。
いつかは自分もそのあとを継ぐんだと思っていたし、継ぎたいと思っていた。
次々から次に祖父との思い出が溢れてくる。
光聖は、グッと気を引き締めて階段を上り始めた。
大きくは変わっていないが、草が至るところで生えっぱなしになっている。しばらく手入れがされていないようだ。
『ああ、清神のお爺さんなら亡くなったわよ』
女性の言葉が再び脳裏をよぎる。
光聖は一気に階段を駆け上がった。
「そんな……」
階段の先にあったのは、記憶の中にある綺麗な神社ではなく、草が伸び放題で人の気配を感じさせない荒れ果てた境内。
未だに女性の言葉が信じられなかった光聖は社務所に走った。
しかし、玄関の扉を開けようとしても鍵がかかっていて開かなかった。社務所の裏口に回ったが、こちらも当然鍵が閉まっている。
「ストレングス」
――バキッ
光聖は魔法で身体強化を行い、ドアを強引に壊して開いて室内に足を踏みいれた。
異世界で培った力を使えば、そのくらい容易い。
社務所の中は薄暗く、
私物はどこにもなく、あるのは生活に最低限必要な家具や家電に、使用されていない事務用の道具。
薄らとした光が、至るところに積もり、舞い跳ぶ埃を照らした。
どこにも生活感がない。
「じいちゃん!! じいちゃん、いないのか!? 俺だ、光聖だ。今帰ったぞ!!」
社務所の部屋を回りながら祖父を探し回るが、どの部屋にも祖父の姿を見つけることはできなかった。
分かっていた、祖父が生きているはずがないことくらい。
でも、どうしても認めることができなかった。
「じいちゃん、俺、帰ってきたよ……じいちゃん、返事してくれよ……」
光聖はその場にへたり込む。
瞳の端から涙が溢れて止まらない。
「ごめん、じいちゃん、俺、間に合わなかった……もっと早く魔王を倒せていれば……」
祖父は行方不明になってからずっと光聖のことを探していたはずだ。
二十年もの間、見つからない人間を探し続ける苦痛は、想像を絶するものがある。もしかしたら、自分のせいで祖父の死期が早まってしまったのではないか、とさえ思った。
どれだけ心配させただろう。どれだけ苦労をかけただろう。
それはもう毎日が地獄のように苦しかったはずだ。
でももう……どれだけ謝りたくても、謝ることが一生できない場所に祖父は逝ってしまっていた。
「うわぁあああああああああっ!!」
光聖は蹲って大声で泣いた。泣き続けた。
涙が枯れて出なくなってきた頃。
「ぐすっ……うっ」
『こりゃ、光聖。いつまで泣いておる!!』
光聖の耳に幻聴が聞こえてきた。
なぜ幻聴なのかといえば、その声が祖父のものだったから。
「は、ははははっ……じいちゃんの声が聞こえるなんて、俺は頭がおかしくなってしまったらしい……」
光聖は乾いた笑みを浮かべた。
祖父はもうこの世にはいないのだから、声など聞こえるはずない。
『幻聴なんかじゃないわ!! いい加減にせんか!!』
「え?」
だが、再び声が耳朶を打ち、ガバリと顔を上げて辺りを見回すと、宙に浮かんだ半透明の老人が光聖を見ろしていた。
記憶よりも老いているが、その優しげな眼差しも、蓄えられた髭も、こけた頬も全部覚えている。
「じいちゃん!?」
その老人は祖父の姿をしていた。
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