第004話 世界の一大事

 時は、光聖が異世界から日本に帰ってくる少し前に遡る。


 まだ日が沈んでもいないにもかかわらず、全く人気ひとけのない街の中。


「そっちに行ったぞ!!」

「はい、先輩!!」


 スーツ姿の二人の男女が、黒いもやを追いかけて走っていた。


 地球では、幽霊や妖怪などの実在を証明することができていないが、ほとんどの人間には見えないだけで、実際はどこにでもいる。


 ただ、大抵の霊は放っておいても害はないし、害を与えるような力もない。しかし、中には人間に害をなすような力を持つ悪霊や妖の類も存在している。


 追いかけている靄は、最近この辺りで悪さをしている悪霊だった。


 そして、靄を追いかけている二人は、悪霊や悪妖の調伏を生業なりわいとしている陰陽師だ。男は辻堂つじどう。女は伽羅きゃらという。


 陰陽師は、悪霊や悪妖などの怪異から密かに日本を守っている影の人間たちで、陰陽師協会という表に出ない組織が彼らを取りまとめている。


 二人は、黒い靄を退治するために協会から派遣されてきたが、靄が思った以上にすばしっこくて手を焼いていた。


 この靄は、以前から何度か陰陽師が送られたが、仕留めきれていない大物だった。


「はっ!!」


 辻堂が指に挟んでいた短冊形の紙を飛ばす。


 その紙は、護符と呼ばれる陰陽師が使う武器の一つで、呪文が描かれていて、悪いモノを祓う力がある。


 護符は物理法則を無視して真っすぐ靄に向かって飛んでいく。


 ――スッ


 しかし、靄が空中で急に向きを変え、その護符は虚しくも空を切ってしまった。


「……手ごわいですね」

「そうだな。かなりの速さだ」


 二人は陰陽師としては力のある方なのだが、それでもなかなか仕留められない。


 そこで作戦を変えることにした。


「二人で挟み撃ちして追い込むぞ」

「分かりました!!」


 二人は別方向に走り始め、辻堂が護符を使って黒い靄の逃げる方向を限定し、伽羅が先行して先回りする。


 確実に範囲を狭めることで、遂に靄を行き止まりに追い詰めることに成功した。


「はぁ、はぁ、もう逃げられませんよ」

「はぁ、はぁ、伽羅、油断するな」


 長い間、走り回ることになったせいで鍛えている二人の息も上がっている。


 二人は呼吸を整え、懐から護符を取り出して止めを刺そうとした。


 だが残念ながら、その攻撃は不意に止められてしまう。


 ――ビリビリッ、ピシャーンッ


 ネズミも追い詰められたら猫を噛む。


 靄は二人目掛けて黒い稲妻を飛ばしてきた。


「うっ」

「くっ、しまった!?」


 二人は稲妻を躱しきれず、護符で身を守るのが精一杯。


 今まで反撃することがなかったので、靄はすばしっこさが特性の悪霊だと思っていたが、実は攻撃手段を隠していた。


 辻堂と伽羅は体が痺れて動けなくなる。


 靄がその隙を見逃すはずもなかった。


 二人の間をすり抜けて逃げていく。そして、その方向がまずかった。なぜなら、人払いの結界の外に向かっていたからだ。


 人払いの結界は、名前の通り、一般人が近づけないようにする効果がある。


 今現在周囲に人影が一つもないのは、その結界の力のおかげだ。だが、出入りを拒絶できるようなものではない。結界の効果のない存在は、誰でも通り抜けることができてしまう。


 もしこのまま外に出られたら、一般人に被害が及ぶ可能性がある。どうにかして悪霊が外に出るのを止めなければならなかった。


「待てっ!!」


 ようやく体の痺れが治まった辻堂は、必死に靄の後を追いかけるが、靄の方が圧倒的に移動速度が速く、距離がどんどん離されていく。


 靄が結界の外に出るまで残り十数メートル。


「くそっ!!」


 辻堂が苦し紛れに護符を大量に飛ばすが、そのどれもが躱されてしまった。靄と結界までの距離が刻一刻と縮まる。そして、ついに靄が結界を通り過ぎた。


 靄の進行方向に人が歩いているのが見える。このままでは深刻なダメージを受けてしまう。


 しかし、どうにかしたくてももう手段が残っていなかった。


「やめろ!!」


 苦し紛れに辻堂が叫ぶ。


 ――パァンッ!!


 その瞬間、なんの前触れもなく靄が弾け飛んで煙のように消えてしまった。


「はっ?」


 目の前で起きた現象が理解できず、辻堂は唖然としてしまう。


「はぁ……はぁ、先輩、逃げられちゃったんですか?」

「いや……目の前でいきなり消滅した」


 追い付いた伽羅が辻堂に尋ねると、彼は呆然としながら答えた。


 通常、何もない場所で突然悪霊が消滅するような現象は起きない、余程のことがなければ。


「え、どういうことですか?」

「俺も分からん……いや、これは!?」


 辻堂は何が起こったのか分からなくて困惑していたが、突然、爽やかで強力な波動が体を突き抜けた。


 近くの建物の窓がガタガタと音を鳴らす。


 その直後、空気が人の手が入っていない山奥のように澄み渡り、周囲がパッと明るくなったように感じられた。


 ちょうど今、起こっていたわけだ、その余程のことが。


「神域!?」


 髪の毛をバサバサとなびかせながら、伽羅もその力の波動を感じて目を見開いた。


 神域とは、神が無意識に垂れ流す神気が及ぶ領域のことで、神気によって領域内が清められた状態になり、大抵の悪霊や悪性の妖が浄化されて存在することができなくなる。


 つまり、今この瞬間に、力を持つ神がこの地に降臨したことを示していた。


 神の降臨。


 それは世界の一大事だ。


「この力の発生源に行くぞ!!」

「はい!!」


 日本を守護する者として、この事件の大元を確認しないわけにはいかない。


 そして、もし可能ならその神を見極めなければならない。


 人払いの結界を解除し、辻堂と伽羅は降臨した神の許を目指す。


 ちょうどこの時、光聖が異世界から帰還を果たした瞬間だった。



 ◆   ◆   ◆



 そして時は、光聖が女性から祖父の話を聞いた瞬間まで再び流れる。


「そんなはずない!!」

「え、あ、ちょっと!?」


 信じがたい答えを聞いた光聖は、居てもたっても居られなくなってすぐに神社へと走り出した。


 女性が止めようとするが、その言葉が光聖の耳に届くことはなかった。

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