第5話 意思こそ


 ◇


 もう夕暮れである。

 館の外の川面は、燃えるような橙に染まっていることだろう。


 赤名荘における織路の拠点である館は、赤名川のすぐほとりの小さな丘の上にある。

 一町(約100メートル)四方ほどの広大な区画は、堀と板塀で囲まれている。並みの武者の館の数倍はあろうという大きさが、そのまま織路の家の勢いを物語っている。



 中心部にある建物は、近頃都ではやっているという寝殿造りなる様式を簡略化したものであるという。

 都の大大貴族の寝殿造りの場合は、何個もの建屋を渡り廊下でつないだような、壮大なつくりをしているが、赤名荘の館の場合は、そんなに必要がないため、母屋ひとつですませていた。


 また、館の回りを囲むようにして、郎党たちの家が散在している。

 光乃、信乃の姉代わりにもなっているモレイの家は、館の門を出たすぐ近くのところにある。信頼の深さがうかがえよう。



 うまやのすぐ近くでは、光乃は荒々丸の毛をすいてやっている。

 普通なら下人にでもやらせればいいのだが、彼女は自身で荒々丸の世話をすることを好んだ。


 この犬は、飼い主のモレイに似たのか、家中でも有数の猟犬である。


 北国は、人も獣もあやかしも大きく育つ。体の大きい方が、きっと寒さにもよく耐えられるのであろうと言われている。ところが、荒々丸は北国、陸州の生まれ育ちだが、不思議と小柄であった。

 しかし、躊躇うところを知らぬ勇猛さと、優れた状況判断の能力が、肉体的な不利を補っていた。

 モレイは時折、「信乃よりも賢く、光乃よりも勇猛なんじゃないか」なんて揶揄ったりもする。


「くぅーん」

 あやかしと戦う時は勇猛な荒々丸も、ひとたびいくさが終われば、人懐こい犬に早変わりだ。

 今も、しっぽを振って光乃の手をなめようとしている。



「やっぱり武者、向いてないのかなあ」


 光乃はおもわずこぼしてしまう。


「弓が使えないんじゃなあ…」


 弓が使えないことも大問題である。しかし、人間本性の、もっとも深いところで、そもそも自分は武者には向いてないのではないか、と光乃はぼんやり思う。


 郎党たちの子息と比較しても、馬術は並外れている。また、たんに弓を使うだけならば的を外すことはない。

 しかし神力をこめるだんになると、途端にうまくいかなくなる。

 

 神力、というからにはその力は神からの授かり物である。すくなくとも光乃はそう聞き習っている。

 とすると、弓に神力をとおせない、というのは、そもそもお前は武者になるな、という神々の思召しなのではなかろうか。


「血を受け継がぬお前には資格がないのだ」という宣告なのか、はたまた優柔不断な性格を鑑みて、「やめておいたほうがいいんじゃない?」という温情なのか、どちらかはわからない。


「いっそ、神力がいっさい使えない、ということならわかりやすかったのだけれど」

 神力がいっさいつかえない、ということならば、つまるところそれは只人である。

 武者の子として生まれながらも只人である、ということは珍しくもない。ましてや血のつながらぬ子であったならば、むしろ神力の発現する方が稀であろう。


 ところが、光乃は神力が使えないわけではない。

 守ることはできる。斬ることもできる。ただ、射ることだけができぬのである。


「私はどうしたらいいんだろうね……」


 荒々丸は慰めるように

「くぅーん」

 とないている。



「おや、これはこれは光乃さん。そのようなところでどうなされましたか」


「あ、源建げんけん法師様。犬の世話をしておりましたのです。犬の世話が好きでして」


「ああ、そうだったのですね。光乃さんの犬なのですか?」


「いえ、モレイ姉、いやモレイの犬なんですが、私になついてて、よく世話してるんです」


「ほう、それはいいこころがけですね。一切衆生悉いっさいしゅぜいことごと仏性ぶっしょう有り。すなわち全ての生けとし生けるものは、犬畜生や草木に至るまで、皆仏になる可能性を秘めておりますれば、また、それを慈しむことも道にかなっているでしょう」


「ありがとうございます。そういえば、法師様はなぜ僧になられたのでしょうか。」


「私が僧になった理由ですか……。唐突ですね。なにかお悩みでもおありなのですか?」


「はい。法師様にはお見通し、ですか。」


「もちろん。いまの光乃様の様子をみれば、僧侶ならずともわかりましょう」

 

 少し考えて、源建は言葉を続ける


「おもうに、歩むべき道にお悩みなのではないでしょうか。人は己の道のき方、し方に悩む時に、他人の道をきくものです。光乃さんは、来し方に悩むには、少々お若いようにおもいますから」


「はい、実は……」

 と、光乃は武者になるべきなのか、悩んでいることを伝える。


「……それで、法師様はなぜ僧になることをえらんだのだろう、と、お伺いしたかったのです」


「ふむ、そういうことですね。私も若輩の身ゆえ、どこまで道を示すことができますやら」

 源建はしばし黙り込む。


「実のところ、私は望んで仏門に入ったわけではないのです。元はというと、とある貴族の傍流の傍流の、そのまた末っ子でしてね。お恥ずかしい話ですが、私は、あまり素行がよくなく、また家族との折り合いも悪かったので、なかば厄介払いで寺にいれられたのですよ」


「逃げ出そう、とは思わなかったのですか? つまりその、望んだわけでもないのであれば、出奔することもできたのではないかな、と」


「思わなかったですねえ。望んだわけではなかったとしても、あのまま家にいてもなにかを成せたわけでもなし、僧として名をたててみようか、という気になりましたものですから」


 源建は少し考えて言葉を続ける。


「ああ、ただ、諦めようとおもったことはありました。修業は厳しかったですし、私は法力を扱うのが得意ではなかった。国家鎮護の役割を果たせるほどに、仏の教えを理解できるとは、とても思えなかったのです。その時の師が、円仁、という名だったのですが、まことに徳の高い人でして。その人の言葉があればこそ、いまでもこうして僧をつづけられております。」


「どういうことでしょうか。」


「そもそも光乃さん、『武者になるべきなのか』とはどういうことでしょうか。」


 光乃は困惑する。武者になるべきなのか、という悩みは、それ以上のものではないように思われたからである。


「ある時、私は師に『法力もうまく扱えないし、教義は難しすぎるし、私には僧侶は向いていない。やめた方がいいと思っている』と相談しました。ところが師は、私にこう言いました。『そなたは、すでに釈迦如来に選ばれたのだと思っておる』と。どういうことでしょう」


「まったく見当もつかないです。」

 

 光乃は困惑を隠せない。


「そうでしょう。私にもわかりませんでした。師は続けてこう言ったのです。『そなたは既に仏の道に入らんとして修行をしているではないか。そこにはそなたの意思がある。意思があるという事は、既に釈迦如来に、衆生を導き、国家に安寧をもたらすよう選ばれたということなのだ。よいか、そなたの意思こそが、そなたの道を指し示す明かりなのだ』」

 

 源建はそこで一息つく。


「それもそうだ、と思い、今に至るまで僧を続けています。結局、法力や仏法で力を発揮することはできませなんだが、代わりに能治の才で、微力ながらもお役にたてていることを思えば、師の言葉がただしかったということになりましょう」


 光乃は、僧の話を咀嚼するように、二、三度かぶりをふる。


「つまり、武者になるべきか、ではなく、なりたいか、が問いだということでしょうか」


「そうですね。あるいは、そもそも光乃様は、なにがしたいのでしょうか」


「なにをしたいのか、ですか…」


「今すぐに答えを出す必要のある問いでもありません。じっくりお考えなさりますよう。なに、時間はたくさんあります。それが若い人のもつ最大の宝ですから」


 二人とも沈黙する。




 沈黙を破ったのは母屋のほうからでてきたモレイだった。


「おお、光乃、そこにいたのか。いつも荒々丸の世話をありがとうな。夕餉ができたとのことで、奥方様がおよびだ」

 

 さ、荒々丸も帰るぞ、といいながらモレイも自分の家に帰っていく。



 ◇


 夜が更けていく。

 満月も天辺をまわった頃合いだが、光乃はまだ寝付けないでいた。


 私は何をしたいのだろう、昼間はもっとうまくやれたのではないか、自分はなぜ弓がうまく使えないのだろう。


 答えの出ない問いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


「……厠にでも行こうか」

 光乃は寝台から起き上がり、遣戸やりどを開けて縁側に出た。

 月明かりに照らされた庭は、昼間とは違う顔を見せている。



 厠で用を済ませた光乃が母屋に戻ろうとするとき、視界の隅を影が動いた。

 振り返ると、そこには信乃の姿があった。


「信乃、あなたも寝付けないの?」


 しかし、様子がおかしい。

 抜き身の太刀をぶら下げている。

 切っ先からはぽた、ぽた、と粘り気のある液が垂れている。


「ねずみでも切ったの?」

 

 おかしい。


「ねえ、どうしたのってば。」


 音もなく信乃が踏み込む。


 刃が満月にきらめくのをみた。


 夜空の満月をみた。


 どさり。

 重たい音を立てて、自分の体が倒れこむのをみた。


 頭を失った首から噴き出る鮮血をみた。


 それが最後だった。光乃は死んだ。

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