第4話 ここは赤名荘

 ◇


 木漏れ日のまぶしさに、目が覚める。枝葉のあいだからは、青空。

 川のせせらぎ、ひばりのさえずりが聞こえる。


 光乃は、狐の火の玉に吹き飛ばされ意識をうしなったのだ、ということを思い出す。


いいところまで行ったのだった。最後の瞬間に、狐の火の玉さえ食らわなければ。


「おうおう、気が付いたか。ずいぶん寝ていたな」

 いつのまにか、モレイも信乃も、大鎧を脱いで、籠手と脛あてだけの身軽な服装になっている。

 いや、光乃自身も、おなじように身軽になっている。介抱のあいだに、脱がせてくれたのだろう。


「う、ううっ……」

 起き上がろうとする。

 打ち付けられたからか、ずいぶん腰が痛い。


「一応一通り見たが、けがはなさそうだったぞ。落馬の寸前に、受け身をとったんだろう」


 言われてみればその通りで、動けないほどの痛みがある、ということはなさそうだった。

 光乃はゆっくり立ち上がる。


「お姉ちゃん、早く帰ろ!」

 なぜか信乃はずぶぬれである。暇を持て余して川遊びでもしていたのだろうか。

 梅がほころび、日差しが緩んできたとはいえ、まだまだ寒い時期だ。


 雪国育ちのモレイすらもあきれている。

「まあ、阿呆の風邪ひかず、というしな……」

 ぼそりとつぶやいた。



 ◇


「討ち損ねてはしまったが、あれだけ脅しつければ当分は襲ってこないだろう。成功か失敗かで言えば、まずまず成功だ」

 館への帰り道、モレイは光乃を慰めるようにそう言った。


 しかし、とモレイは続ける。

「しかしなあ、信乃、お前は全く話を聞いていなかっただろう。お前が鏑矢をはなってどうするんだ。話を聞いていないのはまあ、まだいい。だが、話を聞いていないのに、聞いていたようなそぶりをするのは一番よくないぞ」


「うん……。話、聞いていたと思ったんだけどなあ。なんか違ったみたい。ごめんなさい……」


「それに光乃、お前もお前だ」

 矛先が自分に向いたのに気づいて、光乃は馬上で亀のように縮こまる。


「最後の一撃をトチったのはまあいい。いや、よくないが、まだいい。その前に、攻撃を仕掛けるのが遅すぎるぞ。あんなギリギリまで、矢をつがえてみたり、もどしてみたり、いったい何してたんだ」


「馬手側のまま射るか、弓手側を取り直すか、迷ってて……」


「迷ってる暇があったら攻撃しろ、いつもそう言ってるじゃないか。さっさと射れば、あのあと三射はできたぞ」


 モレイ姉の言葉が沁みるのは、他の人たちと違って殴ったり怒鳴ったりしないで、こんこんと説くようにいうからだ、光乃はそう思う。


 ずーん。姉妹が沈み込む。重たい雰囲気を察したモレイは、ちょっと叱りすぎたかな、と思った。


「まあ、なんというか、臆病というか、賢い妖狐だったな。形勢不利と見るや否や、即、逃げに徹する。普通、あれくらい若いのだと、恐れ知らずに立ち向かってくるものだが」

 取り繕うようにモレイは言った。



 叱られてはいるものの、姉妹の実力は家中でも低い方ではない。

 むしろ、歳若く実戦経験のないことを踏まえれば、十分以上だと見られている。


 まず、信乃は、実の父から頭以外はすべて受け継いだ、と言われている。

 単純に弓馬、神力ともに強いし、武者として重要な闘争心は抜群である。

 闘争心と裏返しの、その猪突猛進なところがいつか命取りになりかねない、という懸念はある。が、何度言っても改善の兆しは見られない。

 

 逆に光乃は、はっきり言って武者向きではない。闘争心に欠けるのと、そもそも弓馬の術に問題がある。

 だが、頭がよくて呑み込みが早い。血はつながっていないが頭の回りの良さは満道譲りなのではないか、と思われている。

 オツムの足りない信乃をささえ、織路氏を盛り立てていくことが期待されている。

 



 ◇


 ぽくっぽくっぽくっ、田畑の間を馬を歩ませながら三人は館にもどる。


「のどかだねえ。あ、あの藪の陰から美味しそうな兎が見えたよ」

 

信乃がのんきにいう。

 気分の切り替えが早いのも、信乃のいいところだろう。

 つられて光乃も気分が上向きになる。


「もう赤名荘あがなのしょうにきて4年かあ。早いねえ」


 赤名荘は、都のほど近く、摂州にある、織路家が私物化している荘園だ。

 東西に人の足で二時間程度、南北にも二時間程度の、四方を山に囲まれた盆地である。

 同じ盆地でも、冬は底冷えする都よりはずっと温暖な気候で、豊かな自然に恵まれている。中央を流れる赤名川がもたらす水が、田畑を潤し、人々の暮らしを支えている。

 都からも馬で半日たらずで、非常に交通の便もいい。


 この肥沃な土地は、かつて古代より続く赤名氏あがなのうじだか、阿我奈賀氏あがながのうじだとかいう豪族が住んでいたという。

 それが数十年ほど前、あたり一帯を九頭の蛇の大大妖があらしまわった際に、余波をうけて壊滅してしまったらしい。

 その後も蛇の大妖が住み着いたとかで、長い間誰も住まないでいる間に、すっかり荒廃してしまっていた。


 五年ほど前に、摂州の長官を務めていた満道が、都にも近く、配下の郎党たちを食わせていくにも不都合がない、ということで、大蛇を討伐して入植した。

 入植から五年がたった今では三郷、二十ヶ村を数えるほどに栄えている。


「なんせ、気候もちょうどいいし、都よりはずいぶん空気もいい。おまけに、もともとここにいた豪族もあらかた死に絶えていたから、我々のような荒くれものが入っていっても、文句を言う連中もいない、ときた」

 家中随一の荒くれもの、モレイがいうと説得力が違う。


「そして何を隠そう……」


「その大蛇にとどめを刺したのがモレイ姉なんでしょ。何度も聞いたよ」


「うむ。なかなかの大物のあやかしでな。都から陰陽師を10人、僧侶を10人ほども呼んできて、それはそれはみものだったぞ。今の館があるあたりを拠点にしてな。こうこうと焚かれたかがり火に、地を揺るがすような坊主どものマントラの合唱……」

 モレイの熱のこもった語りが始まる。


 自らの武勇伝ほど、話していて気持ちのいいものはない。

 何度同じ話をしても飽きることはない。繰り返すたびに話を盛っていくものだから、だんだん昔語りの中の自分が英雄に思えてきて、まことに気分がいい。


 だが何度も聞かされるほうはたまったものではない。

 光乃と信乃はうんざりした表情を浮かべている。


「ーーそしてしまいには、私の矢がずいっと、大蛇の目に突き立った。矢羽根が飲み込まれそうなほど深々と刺さったもんだから、まるで蛇の面玉から羽が生えているようにみえたものよ。ギエーっと、まことに恐ろし気な鳴き声を上げたのが断末魔、やつめピクリとも動かなくなった。私は夢中で気が付かなかったのだがな、あとから聞いたところによると、その時私の放った神力は、それはもうすさまじい光だったという」


「にわとりが朝だと勘違いして鳴いたっていうんでしょ」

 つい数日前も同じことを酒の席で聞いている。さすがにふかしすぎでしょ、と光乃は思っているが口には出さない。


 信乃はすっかり興味を失って空を行く渡り鳥をながめている。


「うむ、ようするにだ。私が言いたかったのは、最後にとどめを刺すのはわれら武者にしかできぬ、ということだな。そして弓馬の道こそが我らの拠って立つところ。今日もわかっただろうが、中妖以上が相手となると、素早かったり、あるいは並外れた膂力だったりと、近づいて太刀で斬るなどというのは難しくなっていくものだ」


 モレイは信乃にも釘を刺すように言う。


「そして、やつらは知恵もつけてくる。罠にかけたつもりが、反対に嵌められていた、なんていうこともあるという。こちらも頭を働かせなければならないぞ」



 ◇


「おや、お帰りなさい」

 館の近くまで来たところで、年若い僧侶と出くわす。

 年のころは30そこそこだろうだろうか。無精髭もない、つるりとした顔立ちで、実際の年齢以上に若く見える。

 瘦せた身に粗末な衣をまとっている。貧相には見えないのは、僧侶としての徳の高さのあらわれか。


「おや、これはこれは。狐狩りのほうはどうでしたか」


 モレイが肩をすくめながら答える。

「ええ、源建法師げんけんほうし殿。それがずいぶん賢いやつでして、逃げられてしまいました。さんざん痛めつけてやったので、もう襲ってくることはないと思いますが」


「それより、法師殿はなにをされていたのですか?」


「ああ、光乃どの、荘内を見て回っていたのですよ。どこに寺院を建立するべきかなあ、とおもいましてね。ついでに開墾の具合も見ておいたほうがよかろうということで」


 源建法師げんけんほうし、とよばれた僧侶が答える。

 つい昨晩、到着したばかりだが、随分と仕事熱心なようだ。


 源建は、赤名荘に寺院を建立するために、満道が招聘した僧侶である。


 荘をひらいてからはや5年。


 領内それぞれの村に小さな社はあったものの、すでに入植した民の数も3000人におよび、それでは間に合わないことも増えてきた。

 また、いまや織路の家は名実ともに、国内でも屈指の武門である。

 その拠点にふさわしい寺社を建立しなければ、というのは衆目の一致するところであった。


 とはいえ、"ふさわしい寺院を"ということ以外には何も決まっていない。

 場所も決まってなければ、どれくらいの規模とするかも決まっていないのである。


「いやはや、ここまで何も決まってないとは思わず、昨晩事情を伺って驚きましたよ。それで早速いろいろ見て回っていた次第です」


「はっはっはっ。さすがの法師殿も法力で寺を建てることはできませんでしょうからな」


「いかなる高僧とて、それは叶わぬことでしょう」

 源建は穏やかに微笑む。


「しかし寺ができれば、あやかしの跋扈も鎮まりましょう。我々武者もずいぶん楽ができそうです」


「いえいえ、この規模の荘園に僧侶も陰陽師もほとんどおらぬとは、いささか尋常ではございませぬ。さすがは天下に名高い織路家の郎党、並々ならぬ武勇の持ち主と拝察いたします」


「法師殿に持ち上げられるとこそばゆいですな。我々は館に戻ろうとしていますが、法師様はどうなさいますか」


「そうですね、もうだいぶ日も傾いて参りましたし、私も戻りましょう。ご同行させて頂けましたら幸いです」


「法師様、お夕飯も一緒に食べましょうよ。さっき獲ったばかりの兎があるんです」

 無邪気に信乃が声をかける。


「はは、お気遣い有難うございます。ただ、生臭ものは避けておりましてね。ご同席だけさせてください」


 堂々と坊主に獣を勧める信乃に、一同苦笑いであった。


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