第3話 武者の条件

 ◇


光乃みつの、また的を外したぞ!」


 よく太った巨躯の武者が、太い眉をひそめて雷を落とした。その声は、館のすぐ近く練習場の隅々まで響き渡り、光乃の耳にも容赦なく突き刺さる。


「申し訳ございません、師範……」


 光乃は、馬の背から項垂れ、頭を下げた。彼女の黒髪は、先ほどの疾走で乱れ、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


「申し訳ございません、では済まぬ!弓馬の道は、武者の道。ましてや、お前は織路家の姫だ。その体たらくは、武門の恥ぞ!」


 師範と呼ばれた武者の叱責はさらに激しさを増す。

 彼が雷を落とすたびに、肉付きの良い頬が、ぶるんぶるんと震え、太い眉が上に下に姿を変える。

 となりでは信乃しのがのんきな顔をして必死に笑いをこらえている。


「矢を射ることすらままならぬとは、情けない! まるで、米俵を抱えた豚が馬に乗っているようだ!」


「…っ!」


 ふひっ、どっちが米俵だよ、と信乃が噴きだしているが、怒りに震える師範には見えていないようだ。


「おい、光乃、もうじき元服ぞ? そんな体たらくで元服なぞ、織路の姫としてゆるされぬ!!」

 光乃は、師範の言葉に唇を噛み締めた。

 決して弓が苦手なわけではない。むしろ、幼い頃から織路の家の娘として、優れた師たちのもと、稽古に励み、人並み以上の腕前を身につけていた。


 しかし、騎乗して矢を放つという段になると、話は別だった。

 馬上で弓を放つとなると、わずか一瞬でつがえ、ねらい、はなたねばならない。


 高速移動している馬の上から、おなじく高速移動しているあやかしを射貫く――そんな戦場で、『どこを狙おうかな』なんて悠長に構えている余裕はないからだ。

 

 その一瞬の間に神力を十分にこめるということのむずかしさも、経験したものでないとわからないだろう。

 

 光乃の場合、その一瞬のあいだに上手く神力を籠めるということが得意ではない。

 生来の優柔不断さがゆえだろうか、とっさに何かをこなす、ということが苦手なのだ。

 馳射はせしゃ(騎馬で弓)の場合は、うまく神力を集中させることができずに雲散霧消してしまうか、神力を籠めるのに集中している間に的を外してしまうか、どちらかであった。


苛立ちながら師範が言う。

「信乃、手本を見せてやれ!」


 信乃は手綱を軽く引き、馬を走らせる。


 弓手ゆんで側(右側)の的を一撃で打ち抜くやいなや、体をくるりとひねって馬手めて側を射ちぬき、さらには押捻おしもじり(後方射撃)で一撃。

 鮮やかであった。

 梢にとまった小鳥すらも驚嘆している。


「みろ。神力を込めても矢が一切ぶれていない。矢を放つ前後も、神力が一切抜けていない」


「はい……」

 力なく光乃は返す。


 武者のだいいちの役割は、王や貴人、さらには人々をあやかしから守ることにある。

 鉄よりもかたいあやかしの体を射ち貫くのに、矢に神力をこめられず、では話にならない。

 陰陽師や僧であれば法術やら呪術が使えればよい。(むろんそれだって簡単ではない)

 だが、甲冑を身にまとい、弓を手に戦う武者がそれではまずい。


 太刀や大鎧に神力を通すことは問題なくできる。神力で己の肉体を強化することにも不都合はない。


「太刀なら使えるんだけど……」


「なにぃっっ!」


 思わず光乃がこぼした言葉は、師範の逆鱗に触れたらしい。


「……っ。申し訳ございません!」


「いいか。武者を絹布に例えるなら、弓が縦糸、馬が横糸、それが武者なのだぞ」


「……はい。わかってます。」


「いいや! わかってない! わかっていないからそんなことをいうのだ!」

 師範の声がますます大きくなる。

 館にいる母にも聞こえているかもしれない。


「小山ほどの大きさになろうかという大妖にもお前は近づいて斬りつけようというのか? これまでお前の倒してきた小妖格のオオネズミだとか、コツチグモだとか、そういうのとはわけが違うんだぞ!」



 と、そこに背後からモレイの声が聞こえた。


「ちょうどいい。どうやら昨晩、狐のあやかしがでたらしい。実際に中妖と戦ってみればわかることもあるだろう」


「おお、モレイ殿。よきところに現れました。」

 師範の怒気が一瞬にしてひっこむ。

 

 それもそのはず、モレイは家中第二位の実力者である。

 光乃と信乃が物心ついた時には、すでに家中で重きをなしていたから、そこから十数年たったいまは、それなりの年齢であるはずだ。

 だがその容姿は驚くほど衰えていない。

 肌の張りは20代前半のようにも見える。だが、ふと見せる表情は老獪そのもので、まったくもって年齢不詳である。

 

「妖狐があらわれたのですか。厄介ですな」


「うむ。伊那いな郷のクスノキ村のあたりで、三戸ほどやられたらしい。先ほど知らせがあった。若い狐だそうだ」


「ほほお、クスノキ村ですか。あそこの村には、たしかそこそこ弓を使う武者がいたような気がしますが、どうしたんでしょうかね」


「わからん。知らせに来たものが新参者らしくな、村の状況がよくわかっておらんらしい。ただ、どっちみち中妖格が相手となれば、村の武者程度には荷がおもかろう」


「ううむ、そんなものを使いにやらないでほしいですな。しかし、よほど混乱しているんでしょうか」


「おそらくな。さて、光乃、信乃。いい機会だ。妖狐とやら、倒しにいくぞ」


「うん! モレイ姉、支度してくる!」

 喜色を浮かべて信乃が返事をする。

 根っからの戦闘狂なのだ。


 モレイ姉、と二人は呼んでいるが実の姉では無論ない。


 それどころか、モレイは夷人である。

 だが、物心ついた時には、モレイが光乃と信乃の姉妹の面倒を見ていたから、姉妹は彼女を姉と慕っていたのだった。


 母、乃理香は信乃を産んでからこのかた、体を壊しがちであったし、父である満道は、公務に政治に権力闘争にと忙殺されていて二人の生育には口を出す余裕がない、というか基本的には家にはいない。

 

 自然、二人の養育は家中でもっとも信頼されているモレイにまかされることとなったのである。

 二人に弓馬の手ほどきをしたのもモレイであったし、武者としての生き方、心構えを叩き込んだのも、悪いことをしたときには叱り、良いことをしたときに褒めるのもモレイであった。




 ◇


 光乃と信乃は館に戻り、いくさ支度をするよう、下人に指示を出した。

 光乃は屋内に戻ると、狩衣かりぎぬの上から、ハバキや脛あて、籠手を着けていく。


 ”私がうまく弓を使えないのは、きっと捨て子だからなのだろう。だって信乃はあんなに上手だもの。それどころか、顔も姿も名前も知らぬ実の親は、武人ですらなかったのに間違いない”

 思念が駆け巡るにつれて、気分が落ち込んでいく。


「ねえねえ、お姉ちゃん、こっちとこっち、どっちの狩衣がいいかな」

 信乃が両手に衣を携えて現れる。

 正直、光乃は着飾ることに興味がない。しかも今は落ち込んでいる。

 さっと振り向いて適当に返す。


「そっちの赤いほうでいいんじゃない」


「でもでもー、こっちの花山吹の狩衣も、春らしくて心が華やぐのよねー。竜胆唐草りゅうたんからくさの文様も素敵だし」


「あら、私は赤いほうが信乃の髪色にもあっているし、いいと思うわよ。それに、あやかしを狩りに行くのにそんなに高級な衣を着ていくのも、抵抗があるわねえ」

 奥のほうから二人の母、乃理香のりかが顔を出す。


「お母さま! お体は大丈夫ですか?」

 二人は思わず駆け寄った。


「ええ、あんまり臥せっていると、かえって体に悪いわ。ねえ、そんなことより妖狐を狩りにいくんですって? 私のことなんかより、そっちのほうが心配よ」


「ええ、母上。大丈夫ですよ。私と信乃だけでなく、モレイ姉もついていますから」


「まあ、光乃ったら。母上なんて呼ばないでちょうだいな。肩がこっちゃってしょうがないわ。いつも言ってるでしょう」


「はい、ははう……お母さま」


「でもねえ、やっぱり心配よ。あなたたちに中妖なんて、まだはやいんじゃないかしら。モレイさんの実力を疑うわけじゃないけど、もっと郎党がいたほうがいいんじゃないの」


「奥方様、大丈夫ですよ。まずはクスノキ村に状況を確認しに行くんです。それで、三人で足りないようなら、いったん館に戻ってきますよ。あやかしはさっさと叩いてしまうことが肝心ですから急がないと」

 支度を終えたモレイ姉が庭先から声をかけてくれる。


「まあモレイさんがそこまで言うなら……。くれぐれも頼みましたよ」


「はい、奥方様。お任せください」

 と、見事な一礼。銀髪が風にそよいできらめく。

 なんということはない麻の水干姿だが、すらっと背の高いモレイが着ると実にさまになる。




 と、にわかに庭先を下人たちが忙し気に往来し始めた。


 ぴいっと、鏑矢に息を吹きかけて鳴りを確認する音や、「あれはどこだ?」だの、「こんなところに鎧櫃よろいびつおいといたのはだれだ!」だの、馬のいななきだのが聞こえだす。


「あの人だわ」

 乃理香は苦々しげに言う。

 ひょいっと庭の奥から、馬にまたがった満道みつみちが出てきた。


「いやな、都から急使が参ってな。武者をできるだけ多くつれて、急ぎ都に上られよ、ということで、あわただしくしておるのだ。なんでも大妖がでたとか。それも一匹ではどうやらないらしい」


「まあ、あなた様、なんということ! 都に大妖がでるだなんて! そんなことがあるんですか」

乃理香の声音は、どこかしらじらしい。


「うむ。こんなこと、俺もはじめてだ。きいたこともないな。北嶺寺ほくれいじの僧侶ども、ちゃんと仕事をしているのかといいたくなるわい。都の結界が緩んでるだなんてことがないといいんだが……」


「――ねえねえ、お姉ちゃん、ほくれいじのそうりょ、ってなんででてくるんだっけ…?」

 信乃がこっそりと光乃の袖を引っ張って聞く。


「あのねえ……この前教わったじゃないの。ほら、都に結界をはってあやかしから守っているのよ、北嶺寺の僧侶たちが」


「ふーん、陰陽師とは違うの?」


「私も詳しくないけど……、でも陰陽術よりはずっとずっと大規模なんじゃないかしら」


 とにかくだ、と満道は続ける。

「モレイ、赤名荘の守りは任せた。できるだけ多くつれてこい、とは言われたが、モレイと、そうだな、十一郎は荘の守りとして残しておく。頼んだぞ」


「ははっ」


「あと信乃、武芸もいいが、もうすこし勉強もしなさい」


「はーい、おとうさま」

 信乃はふてくされる。


「旦那様! 郎党一同、準備ができてございます」

 下人のひとりが声をかける。


「よし、わかった。者ども、行くぞ!」

 むちをひとあて、武者の集団が駆け出していく音が聞こえる。


 館が急に静まり返ったようであった。


「またあの人ったら」

 乃理香はみるからに不機嫌である。


「ふむ……いってしまわれましたか。何事でしょうかね、奥方様。まあいい。さ、光乃、信乃。さっさと支度していこう。あやかし退治は拙速を尊ぶというからね」


 モレイは、沈んだ空気から逃げるように光乃と信乃を連れて行った。


 ◇


 無秩序にひろがる田畑のあいだを、三人の武者が進んでいく。

 モレイ、光乃、信乃の三人である。

 馬の周りを跳ねまわるようにして、荒々丸があたりを駆け回っている。


 その後ろからは、甲冑や武具を背負った下人が何名か付き従っている。


「なんだかとってもいい陽気だねえ、お姉ちゃん。荒々丸もなんだか楽しそう」


「あなたねえ、これから中妖を狩りに行くというのに……。あなたのその緊張しないところ、うらやましいわ」


 どこか繕うような声音である。

 何を取り繕っているのかといえば、先ほどの満道・乃理香夫婦の険悪な雰囲気である。


「緊張しないのはいいことだ。が、だらしのないところは見せるなよ、信乃。もうすぐクスノキ村につく。村人たちに変なところをみられたら、よけいに不安がられてしまうからな」


 モレイも事情は分かっているが、あえて触れはしない。


 はっきり言って、満道と乃理香の夫婦仲は破綻していた。

 まずだいいちに仕事が多忙を極め、家族をかまう余裕がなかった、というのがある。

 それにくわえて、任地それぞれで女を作ってはそこに入り浸りがちであった、ということもある。

 妾がたくさんいる、というのは貴族においては普通のことであったし、満道のような地方長官を歴任する武者にとっては、現地の有力氏族とつながることには政治的な必要性もあった。

 が、だからといって乃理香の感情が素直にそれを許すかといえば、もちろん違う。

 いつの時代も、どこの場所でもよくあることである。


 二人の父である満道がいないとき――満道は基本的に館にいないのだが――いつも乃理香は満道への憎悪を口にした。

 

 信乃が生まれたくらいだから、きっとかつてはそこには愛があったのだろう。

 しかし、いつしかそれは憎しみに反転してしまったのだろう。

 母が言うように、満道の故意や過失もあったのだろうし、そうじゃない部分もあったのだろう。


 それより先のことはわからない。

 母に倣って父を憎むほどには、二人は幼くない。

 かといって地層のように積み重なった夫婦の感情を理解できるほどには大人でもなかった。

 ただ、憎悪や嫌悪とはすこし違う、複雑な距離感があった。



 館から半刻(一時間)強もかからなかっただろう。


 たどり着いたクスノキ村の館は、なかなかの惨状を呈していた。倒壊した家屋、散乱する家財道具、そして、乾ききった血痕が地面を染めている。村人たちは恐怖に怯え、憔悴しきった様子で三人を出迎えた。


「昨晩、夜更け過ぎに、あの化け狐が……」


 おそらくは長老なのであろう、一人の老人が震える声で語り始めた。


「皆で館に逃げ込んだのですじゃが、奴は堀を飛び越え、館の中にまで侵入してきたんで。館の主様が応戦しましたが、まるで歯が立ちませんでした。家畜やら女子供を食い散らかし、夜明けとともに山の方へ消えていきました……」


 長の言葉に、モレイは深く頷いた。


「ご無事で何よりです。我々が必ず、あの化け狐を退治してみせます」


 力強い言葉に、村人たちの顔にわずかな希望の色が灯った。


 モレイは、同行していた犬、荒々丸に視線を向ける。


「荒々丸、奴の痕跡を追え」


 荒々丸は、静かに唸り声を上げると、鋭い鼻を地面に近づけ、匂いを追跡し始める。


 光乃は甲冑を着こみながら小声でモレイに話しかけた。

「ねえ、モレイ姉。こんな被害、見たことないけど、私たちだけでどうにかできるのかな」


「この程度なら、北でも珍しくない中妖だよ。昼間なら私一人でも十分なくらいだ。なに、心配ならここで待っていてもいいさ」

 からかうようにモレイはそう言う。


「行くにきまってるじゃないの」

 ムッとしながら光乃はそう答えた。


 着こんだ大鎧が、なぜだかいつもより重い。

 まるで光乃をとじこめる牢屋のように感じられた。


 そうして、光乃は狐退治に出かけたのであった。




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