第2話 捨て子の光

 ◇


 光乃みつの信乃しのの姉妹は、天ヶ原国あまがはらのくに、第二の勢力を誇る武門、織路氏おりじのうじの娘としてともに育った。

 とはいえ血のつながった姉妹ではない。


 実のところ、黒い髪の姉、光乃みつのは捨て子であった。


 15年前の冬に捨てられていたところを拾われ、実の娘同然に育てられたのである。

 姉妹の父親である織路氏おりじのうじの棟梁、満道みつみちが、天ヶ原国あまがはらのくにの最北部、陸州りくしゅうの州次官を務めていたときのことである。


 陸州りくしゅうは、夷人いじんの領域との境目にあたる。州自体にも夷人いじんが多く暮らしていたことから、夷州いしゅうと呼ばれることも多い。

 まつろわぬもの、と彼らが呼ばれたのも今は昔。表立って反乱を起こすようなことはなくなったとはいえ、それでも反抗的な夷人が多く住まう。

 加えて、都から遠く離れていることもあって、強力なあやかしがよく出る土地である。

 したがって、陸州を治める役人には、満道みつみちのような、強力な武者が選ばれることが多かった。




 陸州の冬は長く、暗い。

 抜けるような青空に恵まれることはめったにない。

 一寸先も見えないような大雪が降っているか、さもなければ重たい雲が覆いかぶさるように空を埋め尽くしているか、大体どちらかである。



 都ではすっかり梅が咲き、人々が春の訪れを感じる頃合いであったろうか。


 その日の陸州は曇り空のほうだった。

 朝、州府の中心部にある、満道みつみちの館の門前に、一人の赤子が捨てられていた。

 ほつれて汚れた布にくるまれ凍えかけているのを、下人が見つけたのである。


 満道みつみちの妻、乃理香のりかは、それを聞いて、

「あらまあ、新しい衣に着替えさせなさい。しっかりあたためて、乳もたっぷりおやりなさい。」

 と家人に指示を出した。


 次いで館に詰める若い郎党を捕まえて、

十一郎といちろう殿、いいところにいたわね。ちょいと馬でひとっぱしり、寺までいって、翁殿をおよびしてきてくださいな」

 と使いに出した。



 捨て子とは、一般には神の子であると信じられている。

 より厳密に言えば、神の子の可能性がある、ということである。

 父親と母親のはっきりわかっている子の場合は、神の子である可能性というのはまずない。

 しかし、捨て子の場合は、親がわからないものだから、人間の子供かもしれないし、あるいは神の子供かもしれぬ。


 現に、捨て子を育てたところ、長ずるにつれて不思議な力を発揮しただの、あやかしを退治しただの、家に金銀財宝をもたらしただのといった伝承には事欠かない。


 一方で、人間の子供ではない、ということはあやかしの化けた姿である、ということも考えられた。


 だから、それなりの家で捨て子を拾う場合は、僧侶を呼んであやかしか否か、さらには吉凶そのものを見てもらうことが普通であった。



 さて、この時「翁をおよびしてくださいな」といって呼ばれたのは、もう御仏に片足を突っ込んでいようかという老齢の僧侶である。


 もとは都でも名うての僧侶だったという。本人は黙して語らないが、数十年前に九尾の狐が都で暴れまわったときにも、調伏に駆り出されたと、世の人は噂する。

 その後どのような経緯で、陸州のような最果ての地にたどり着いたのかは誰も知らない。ただ、僧自身のみが知るところである。


 円仁えんじんという名があるが、あたりの人々は、親しみを込めて、

おきな殿」

 と呼ぶ。



 このとき使いにやられた。十一郎なる郎党、武者らしく身なりはそれなりに立派だが、ずいぶんあわてものだったとみえる。


「はは、承知つかまつりました」

 と答えるや否や、用件もきかずに走り出した。


 寺に着いた頃に、

「はて、なんで翁をよぶのだろうか」

 と思いいたったが、今更館に戻るのも決まりがわるい。


 だから翁が、

「ほうほう、いったいなんの用件かの」

 と訊ねても、わかるわけはない。


「ははっ。奥方様が、翁殿をお呼びしてまいりなさい、とのことで、とるもとりあえず参りました次第にございます」


「はて、一体何事かのう……」

 と首をかしげるが、なんぞ急ぎの用件には違いなさそうである。

 下人に用意させた馬に、年を感じさせぬ洗練された所作でまたがると、満道の館へと向かった。




 郎党に先導された翁が、館の門をくぐったとき、


 ぱああっ


 とあたりを包み込むように光が満ち満ちた。


 振り返り仰ぎ見ると、曇天の切れ目から太陽が、青空がのぞいている。


 雪深き北国である。

 普段は暗い。

 けれども、一度ひとたび太陽が姿を表すと、一面の雪が眩いばかりに輝いて、すべてが光に満たされ、包まれるのだ。


 "いったい何事かはわからないけれども、どうやら吉兆だろう"

 徳を積んだ翁ならずとも、そう思ったことだろう。



 ◇


「あらあら、すみません、私がちゃんと用事をつたえなかったばかりに、ずいぶんお手間をおかけしてしまったみたいで」

 乃理香が申し訳なさげにそう言うと、


「いやいや、もう儂もこの年じゃ。聞いてもどうせ忘れてたろうから、問題ありませぬ。さて、その子がくだんの捨て子ですかな」


「ええ、そうなんですよ。神の子か、人の子か、はたまたあやかしの子か。翁殿にみてほしくって」


「ははあ、わかりました。見てみましょう」


 そういうと翁は赤子を受け取り、しわくちゃな手で体を調べ始める。


「髪が黒いのは、夷人の血ではないでしょうかの……。ふうむ……。体や顔には、なんのあとも印もない様子。おそらく、神の子でもなければ、あやかしの化けたものでもありませぬ」


 ただ、と翁は言葉を続ける。

「ただ、この青い目の美しさ。また、さきほど門をくぐったときの晴天をふまえても、なにかしらの吉事の兆候ではないかと思いますじゃ」


「そうすると、拾い子として大事に育てた方がいいんでしょうか」


「うむ、その通りじゃ。乃理香さん、あなたが育てなさい。あなたのお腹の中の子供にも、きっと福をもたらすじゃろう」


 この時、乃理香の腹の中には、今にも生まれようとする赤子がいた。


「わかりました。家中にも伝えておきましょう。もしよければ、翁殿、あなたが名前をつけてくださりませんか」


「そうじゃの、先ほど差し込んできた光、そこにあなたのお名前、乃理香の乃で、光乃みつのとしなされ」



 ◇


 その日から三日間、晴天が続いた。

 州府はにわかに春の風に包まれ、府中の人々も、どこかこころ安らかな表情を浮かべていた。


 晴天の続いた3日目の日の暮れ、満道の妻、乃理香が産気付いた。

 乃理香は生来病弱なたちで、難産になることが予想された。


 中級貴族の出でありながら、らしからぬ雅びさと教養、そして親しみやすさを兼ね備えたこのご婦人は、家中だけでなく、州府じゅうに慕われていた。

 所詮は州次官の妻の出産など、大したことではない。ないのだが、かくも慕われていたために、立ち並ぶ家という家から、安産祈願が聞こえてきたという。


 府中の人々の安産祈願がきいたのか、はたまた捨て子の光乃がまさに瑞兆ずいちょうだったのか、初産にしては稀に見るほどの安産で、同日未明に無事姫が生まれた。


 そうして生まれた、満道ゆずりの燃えるような赤髪の姫は信乃しのと名付けられた。


 光乃と信乃の2人の姫は、血は違えども、まるで一房の中の二つの豆のように一緒に育てられた。




 実際のところ、この黒髪の姫は織路の家に吉事を呼び込んだらしい。


 だいたいが織路氏おりじのうじ、というのはそれまで箸にも棒にも引っかからないような武門であった。


 実際、満道の父、すなわち光乃の祖父は、数十年前の九尾の狐の討伐に参加しているが、あまりにも不甲斐なかったがために、

「いまだつわものの道に練れず」

 と、ようするに

「武者として半人前である」

 としてみやこびとから嘲笑われたという。


 血筋、家格にかんがみれば、満道の出世の頂点は、光乃をひろった14年前の陸州次官がせいぜいだったはずである。


 それが今に至るまでの15年で、都のすぐちかく、摂州をはじめとした三州の長官を務めたうえ、陸州長官兼、北鎮将軍という武官の位を極め、国内第二位の武門とまでよばれるにいたったのだから、ただ事ではない。


 もちろん運がよかった、というだけではない。


 まず第一に、織路満道おりじのみつみちがとてつもなく強い武者だった、ということがある。

 都びとから馬鹿にされた父に似ず、満道は幼少のころから類まれなる武人の才覚を発揮した。

 元服(成人)してしばらくするころには、その強さは四海に響き渡っていた。

 彼が弓弦ゆづるをはじいて鳴らすだけで、おびえた中妖が逃げ出した、という。


 第二に、武者でありながら政争、謀略のたぐいにも長けていた、ということもある。

 十年ほど前、都の大貴族どうしの政争にかこつけて、当時国内第二の武門だった魚名うおな家を徹底的に没落に追いやった手腕は、いまでも語り草である。


 そして第三に、強力な武力をもつ夷人たちを組織化して、武士団として織路家の下に統制することができた、ということがある。

 おそらくそれには、満道がみずからの娘として、夷人の血をひく光乃を養育したことも手伝ったであろう。

 大柄で、弓馬の道につうじる夷人たちの忠誠を獲得できたことは、武門としての存在感を著しく向上させた。



 それでもやはり、神仏の類が味方しなければ、ここまでの出世はできなかったはずだ。

 当初は光乃の青い目を不気味がるものも家中にはあった。謂れのない陰口で傷付けられることもあったろう。

 だが、満道が出世の階段を駆け上がり、ひいては家中の人々の暮らし向きも良くなるにつれて、そのようなことをいう人はいなくなった。

 だれもが、

「あの翁殿が言った通り、彼女は織路の家の吉兆であったのだろう」

 と思うようになったのである。


 ◇


 さて、それから十五年の月日が流れた。干支一回りとすこしが過ぎた。

 光乃と信乃の姉妹は、生まれ落ちた陸州から遠く離れた、都近くの赤名荘あがなのしょうにいた。

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