血よりも濃い絆のために~捨て子の姫武者は権能”死に戻り”で家族を救いたい。そのためなら一万回でも死んでやる

さえずるかつお

第一章 九尾の狐

第1話 妖狐との遭遇

 ◇

 

 馬ほどの大きさの狐が、時折り後ろを振り返りながら、シイやカシの生い茂る森の中を疾走している。

 月明かりの下であれば誰もが目を奪われるであろう、その見事な白銀の毛並みも、今は土汚れや泥汚れが太陽の光で目立って、かえって狐の苦境を際立たせている。


 もしかしたら、風にたなびく尻尾の数が、一本ではなく三本であることに気づく人もいるかもしれない。

 身の丈ほどはあろうかという立派な尾が三本、だろうか。

 疾走し、時には跳ね、時には身を沈めているからわかりにくい。だが、確かに三本あるように見える。



 化け狐である。



 森羅万象あらゆるものに自由自在に変化し、強力な妖術で山をも動かすという化け狐のことである。三尾とはいえ、尾を一本しか持たぬような並の妖狐とは比べものにならないほどの力をもっているはずだ。

 それが薄汚れたネズミのように追い立てられているとは、一体なにごとであろうか。


 さらによくよくみてみると、三尾のうちの一尾は半ばからちぎり取られたかのようにみじかくなっていて、露出した赤い肉からは血が垂れていて、時折日の光を浴びてきらめいている。



 転がるようにして走る狐のうしろに、少し距離を開けて二頭の馬と一匹の犬がいる。まるで傷ついた獲物をいたぶるヤマネコのように、つかず離れずの距離を保っている。

 森、というからには道があるわけもなく、そんなところを妖狐に負けぬ速度で駆け抜けているのだから、尋常の馬術ではない。馬への指示を誤れば、下草や木の根に足を取られて落馬さえしかねないのである。

 げんに、犬のほうはついていくのがやっと、というありさまでぶきっちょに二頭の馬を追いかけている。


 先を走る黒毛の馬には、見事な黒糸威くろいとおどしの大鎧に身を包んだ黒髪の少女がまたがっていた。

 黒糸おどしの大鎧もみごとならば、その弓手(左手)にもつ弓もみごとな細工の施された逸品である。


「よし、ここから先はもう手出しをしないぞ、光乃みつの!」

 後続の馬に乗った、すこし年かさの女武者が叫ぶ。


「あとは、おまえら姉妹の力だけであいつを射止めて見せろ!」


「わかったよ!モレイ姉ぇっ!」

 黒毛の馬が、ぐんっと加速する。



 瞬間、視界が開けた。



 まるで一匹の狐と、一頭の馬が、黄金の海に飛び込んだかのようであった。

 森がきれ、腰ほどの高さのあしが生え並ぶ草原にでたのである。


「よしっ」

 光乃みつのとよばれた黒髪の少女が、おもわずそうつぶやいた。

 ”このままいけば、上手いこと挟み撃ちにできるはずだ。”

 そうおもった。



 ◇


 話は半刻(一時間)ほどさかのぼる。太陽がすっかりのぼりきった昼下がりのことだった。

 一匹の犬――名を荒々丸という――が、鼻を鳴らして走り出した。南中を過ぎてなお薄暗い森の中で、狐のねどころを嗅ぎ当てたのである。荒々丸の後ろに、三人の騎馬武者がついていく。


 期待をたがわず、妖狐は大木のうろにおさまるように丸くなっていた。その体がわずかに上下している。おそらく寝ているのであろう。あやかしどもは、だいたい夜に乱暴を働き、昼に眠る。


 三人の武者のうち、最も年かさの女武者、モレイは、残る二人の姫武者を傍らに呼び寄せて、大事なことを教えよう、とささやいた。


「挟み撃ちだ。とにかく挟み撃ちにするんだ……」


 モレイはその名からもわかる通り、夷人である。

 が、夷人にしてもめずらしい、つややかな銀髪がきらめく。まるでおとぎ話に出てくる白狼のようだった。


「おそらく狐のやつは中妖格だろう。これまでに倒してきたネズミどもやムシどもに比べれば少し手ごわいだろうが、太陽の下であればやつめの力も半減……。不意を突けば必ず倒せる!」


「わかったよ、モレイ姉。」

 興奮で声が上ずるのを抑えながら、年若い姫武者、信乃しのがささやいた。


「いいか、この森をぬけたさき、赤名川あがながわの岸辺あたりに葦の野原が広がっているだろう。」


「うん、いつも遠乗りで出かけるあたりだね、モレイ姉。」


「そうだ。そこなら弓馬の術を最大限に活かすことができる。信乃しの、お前が待ち伏せ役だ。赤名川あがながわの川岸のくぼみに先回りして身を潜めておけ。光乃みつの、お前は追立て役だ。野原のなかばまで狐をおいつめたら、鏑矢かぶらや信乃しのに合図をするんだ。そうしたら……。」


 モレイは、ぱん、と弓掛ゆがけ(皮手袋)をつけた両のこぶしを打ち合わせる。


「わかったな?」


「もちろんだよ!」


 そう答えた信乃が本当に理解しているかは正直ちょっと怪しい、黒髪の姫武者、光乃はそう思った。

 けっして血の巡りが悪いわけではない。だが、信乃には人の話をちゃんと聞かずに、自分の思い込みで行動する節がある。


「私が追い詰めて、信乃が挟み撃ち。鏑矢の音が合図だね。」

 光乃が確認するように言った。


「そうだ。その通りだ。まずは私が一撃食らわせよう。そうしたら作戦開始だ。」



 ◇


 まだ妖狐は眠っている。風下をとれているのも幸いした。


「三尾の狐か……厄介だな。」

 とモレイはつぶやく。


 彼我の距離は三十間(50メートル)ほどであろうか。森の中だが射線は通っている。

 あやかし、武者の双方が静止状態であれば、十分に弓の間合いである。

 歴戦の武者の放つ、神力の込められた矢であれば、一撃必殺とはいかずとも、大きな手傷を負わせることができよう。


 モレイは、狙いを定めやすいように兜をぬぐと、ゆっくりと矢をつがえた。

 口中で何事かを唱えている。己の信ずる神への祈りでも捧げているのだろうか。

 深く、深く息をすいながら、ゆっくりと弓を引き絞る。神力のこめられた馬手めて(右手)がうっすらと発光する。弓弦ゆづるがきしむような音を立てる。

 

 すうっ、とモレイが息を止めた。

 光乃みつのもつられて息を止めてしまう。そうする必要もないのに。


 風のそよめきも、木々の葉も、こもれびも、すべてが止まる。



 ふっ、と息を吐きだすと同時に、モレイは矢をはなった。

 時が流れ出したかのように、ふたたび風がそよめき、葉がざわめきだした。

 弓弦ゆづるの鳴らす「びいんっ」という音すらも置き去りにして、矢が一直線に飛んでいった。


 瞬間、妖狐が立ち上がって身をひるがえし、走り出した。


「くそっ!気取られたか!」

 モレイがそう叫ぶと同時に、しかし見事に、妖狐の三尾のうち一尾が半ばからちぎれ飛ばされた。



 ◇


 そこからは、必死で逃げる狐を、騎馬武者二人で追い回した。

 モレイと光乃みつのは、時折矢を放ちながら、あるいは馬で駆け寄るしぐさを見せながら、信乃の待ち伏せる葦の野原へと、巧みに狐を誘導していく。


 そして、葦の大海原に飛び込んだ瞬間、光乃みつのは勝利を確信した。

 疾走する馬の上で、しかしゆるりと、鏑矢かぶらやをつがえる。


 ”まだはやい、まだはやいぞ。”

 急く心をなだめすかしながら、機を見計らう。


 ”あともう二呼吸したら……。”

 胸の鼓動すらも、「ばくっばくっ」と聞こえるような気がする。




 ぴいぃーんっ!




 その時、なぜか斜め前から鏑矢の音がした。むろん、光乃みつのの鏑矢はまだ手の内にある。

 おもわぬじたいに、光乃みつのは姿勢を崩し、落馬しかけた。


 ”いったいなにが? いや、だれが?”

 そんな疑念は、次の瞬間、さっそうと現れた騎馬武者の姿をみて氷解した。


 なぜか信乃しのは、のである。


 ”あのまぬけ、あんなに言ったのに聞いてなかったの!”


「なにやってるの!!作戦が台無しじゃない!!」

 光乃みつのが叫ぶ。


「お姉ちゃん、挟み撃ち成功だよ!!」



 いや、失敗である。



 突如として前方に現れた信乃しのの姿をみるやいなや、狐ははじかれたように左へと方向転換をして逃げ出した。

 あわてて弓に矢をつがえる信乃しのの顔には「やらかしちゃった!」とありありとかいてある。

 まだ信乃しのと狐の間は、二十間は離れている。まともに当たる距離ではない。事実、信乃しののはなった矢はかすりもしなかった。地面につきたった信乃しのの矢から、神力が光を放って霧散する。


 光乃みつのは鏑矢を投げ捨てると、馬手(右手)で手綱をにぎりこみ、左へと急旋回した。

 自然、狐と並走する形になる。


 その時、ぐん、と一匹の犬が加速して光乃みつのの馬を抜き去った。


 荒々丸だ。


 急な方向転換で、狐の速力が落ちているのを見逃すような甘ったれた犬ではないのだ、奴は。

 放たれた矢のように、荒々丸は狐へと疾駆する。そして、跳躍すると、半ばまでちぎれた狐の尾にかみついた!


 ――コーンっ


 悲痛な声を上げて狐が尾を振り払う。弱ったりとはいえ、そこは中妖である。ただの犬がかなうはずもなく、荒々丸は吹き飛んでいく。


 しかし、幸か不幸か、今の一瞬で、光乃みつのはぐいっと狐との距離を縮めることができた。もう指呼の距離だ。


 ”ああっ、近いのに、位置取りが最悪っ!”

 光乃みつのは心中で叫ぶ。


 弓というものは弓手、すなわち左手で持つ都合上、右側を射るのにはすこぶる向いていない。

 敵を弓手側、みずからの左半身側にとらえ続ける能力、それが武者にとっての馬術の肝である。

 ところが、いま狐は光乃みつのの右側にいる。


 このまま射るか。

 でも、このまま射ても、威力が出ないし、もしかしたら毛皮すら貫けないかもしれない。


 それとも、弓手側に位置取りしなおすか。

 でも、弓手に回りなおしたら、距離が開いてしまうし、もしかしたら取り逃がしてしまうかもしれない。


 光乃は悩む。

 ”釈迦如来しゃかにょらい様、大日如来だいにちにょらい様、八幡大菩薩はちまんだいぼだつ様、どうすればいいですか。”


 

 悩んでいるうちに、葦の野原は途切れ、森が近づいてきた。もう選択の余地は無くなっていた。

 今から弓手側にまわるのは無理だ。

 光乃みつのに残された道はそのまま射ることだけだった。

 

 決めきれずに指した一手が吉と出ることは滅多にない。今回もそうだった。


 ”この距離なら外しはしない……でも……。”

 光乃みつのは矢を引き絞る、そして……。


 その瞬間、狐と目が合った。狐の尾が、まばゆく光る。

 集中力が切れる。光乃みつのは矢を放ちながらも、神力が矢から抜けていくのを感じた。

 狐の尾から放たれた火の玉が、光乃みつのの放った矢と交錯するように飛んでくる。

 光乃みつのの放った矢が、狐に命中する。しかしその矢は、狐の毛並みを少し乱しただけではじかれて、傷一つつけることができなかった。


 彼女はとっさに大袖(大鎧の肩についている盾)に神力を通し、狐の火の玉から身をかばう。

 


 爆発。

 


 火の玉の熱量は大鎧が吸収しきった。だが、衝撃までは、とっさのことで殺しきれない。

 光乃みつのは姿勢を崩し、鞍から放り出され、宙を舞う。


 視界が大きく回転する。一瞬、目の前に広がるのは、箒でさあっと掃いたかのような、まき雲。それは、どこか風にたなびく馬の尾毛にも似ていた。


 しかし、その美しさに浸る間もなく、重力に引かれた体は容赦なく地面へと叩きつけられた。鈍い衝撃が全身を襲い、意識が遠のいていく。

 風の音、馬の嘶き、妹の叫び声…様々な音が、次第に遠ざかり、やがて静寂に包まれる。

 意識を失う前、最後に見たのは血相を変えて駆け寄ってくるモレイの姿だった。

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