図書館

 イリスは、時折村に顔を見せているが、大半を僕の屋敷で過ごしている。

 その心情を、どうくみ取ったものか? 村で過ごしていたとき、僕は思いの丈を吐露とろしたし、それに深く同情してくれていたことはわかる。同情が好意に変わったと? なんとも忖度そんたくしがたい。


 ソフィアは、結婚宣言をするほど僕に懐いている。イリスをライバル視して不仲になるかと懸念したが、的外れだった。二人は親密そうにヒソヒソ話をしている。いったい、何を話しているのやら……。


「イリスさん。私、兄さまの第二夫人か、第三夫人あたりを狙っているの。よろしくね」

「それは、気心が知れている仲だから、いいかもしれませんね」

 

「イリスさんは、兄妹なのにって言わないのね。エルフは兄妹でも結婚できるの?」

「そんなことはないわ。ルカが養子だっていう話は、聞いていたから……」


「へえー。兄さまは。イリスさんのことを、よほど信用しているのね」

「そう……なのかな?」


「イリスさんは、兄さまのことが好きなんでしょう。結婚したいの?」

「そうねえ……できれば」


「できれば……って?」

「種族が違うし、私個人の事情もあるから、簡単にはいかないかな?」


 ――これは! 自称嫁候補どうしの談合じゃないか?


 会話を漏れ聞いた僕は、反則だと思った。でも、喧嘩けんかされるよりも、ずっとましか……。





 

 イリスは気晴らしに町へ出かけたりしているが、やはり放置するのは気が引ける。

 試しに図書館へ入れないかチャレンジしてみた。一階の図書室は、僕が招き入れればイリスも入れるようだ。だが、地下は無理だった。


 イリスは、人間が読む本を興味深そうに眺めている。

 この図書館へ所蔵する本にタブーはない。どんな低俗な本であれ、当代に発行されたものは、全て所蔵されている。犯罪を助長するようなもの、邪教の書、官能小説や性行為の露骨な指南書まで……。それを考えるとヒヤヒヤものだ。


 結局、イリスは恋愛小説を見つけ、夢中で読んでいる。とはいえ、恋愛小説と官能小説の境界線は曖昧だ。かなり露骨な濡れ場もあったりするのだが……。


「イリスさんは、まだしばらく読んでいるよね」

「ええ。そうするわ」

 

「じゃあ。僕は、地下に行ってくるね。切れのいいところで戻ってくるから」

「うん。わかった」


 これは放置にならないのかと疑問をいただきつつも、僕は地下へ向かう。

 下の階層へは順調に進めているが、根を詰めると、脳がヒートアップを起こす。そんなときは、一階へ戻ってイリスに顔を見せる。


 いつものように、椅子を並べて横になった。


「ルカ。辛いの?」

「一気読みすると、知恵熱が出るんだ。子どもみたいだよね。ははっ……」


「ねえ。膝枕してあげようか? それじゃあ寝にくいでしょ」


 イリスの声に、蠱惑こわく的なつやを感じる。不意打ちだったので、ドキリとした。彼女には、清純で無垢むくなイメージを描いていたからだ。

 僕は、欲望に勝てない。エレシアと交わって強くなった欲望の中で、性欲が一番制御しにくい。とはいえ……


「いいのかな?」

「なに遠慮しているのよ。今さら……」


 確かに、彼女へは、普通なら人に言えないことまでさらけ出している。それに比べれば……。しかし、甘えて、もたれかかって……他人に、そこまで依存してしまっていいのだろうか?


「では、お言葉に甘えて……」


 やわらかい太ももの感触、心地よい人肌の温もり、そして異性の発するオーラ……。


 ――異性の発するオーラには、癒しの力があるのだな……。


 僕は、それを実感した。

 気持ちよくなって、ウトウトしながら薄目を開けて、イリスの表情をうかがった。かすかに口角を上げた聖母のような上品な笑み。これで撃沈されない男がいるなら、見てみたいものだ。

 これを自然とできてしまう女の母性の凄みを思わずにいられない。逆立ちしても、男にはできないことだ。


 復活した僕は、再び地下へと進んでいく。


 こんな日常が定着し、永遠に続いていくように思われた。


 三〇階層を超えた頃。僕は驚いた。帝国初期に建造されたという伝承は、間違いだった。まだ、先がある。帝国は、既存の施設を利用したに過ぎなかったのだ。


 さらに、途方もなく続く。千年、二千年……人類の愚かさを痛感した。

 文明を発達させては、戦争による破壊が訪れる。その繰り返し。


 努力を続ければ。右肩上がりで文明は発達し、いつか理想世界へと到達する。そんなものは、無邪気な幻想だ。

 人類の敵は、他でもない人類。良心的な人々は、幾度となく人類が一体となって団結することを夢見る。が、その度に夢は破れた。


 正直者が損をする。裏返せば、ルールに従わないものが得をする。この構図がある限り、無理なのだ。かといって、国家が徹底的に管理しようとすれば、人々は抵抗する。


 ――結局は、人の欲望は、何者も制御しがたいということか?


 疑問を抱きながら、さらに深い階層を目指す。あるかないか、わからない回答を求めて……。


 ついに三〇〇階層を超えた。もう少しで一万年を超える。終わりはあるのか……。


 螺旋階段を下り、次の階を訪れたとき。僕は、目を見張った。蔵書が全くない部屋だ。

 そのとき、カチャリと扉が開いた。別室から女性が入ってきて、第一声を発する。

 

「お待ちしておりました。閣下ドミヌス メヌス

「えっと……それは、どういうことですか?」


 彼女は、執事が着るような黒いスーツに身を包み、銀色の髪をショートカットにしている。切れ長の目が印象的なクールな美少女だ。

 女が男の服を着ることは、帝国では非常識だ。それに「待っていた」とは? 「閣下ドミヌス メヌス」は、端的には「我があるじ」を意味するが?


「私は、図書館を制覇した者の所有物となるよう、プログラミングされています。閣下が現れる日を、ずっと待っていたのです」

「まさか、こんな場所で孤立して、一万年以上待っていたというのですか?」


「そのとおりです。今や、私は閣下の所有するところとなりました」

「そんな言い方……あなたは、人間なのですよね?」


「私は五R二三型サイボーグ、個体識別番号一三二八八番です」

「……ということは、元は人間なのですか?」


「脳と脳幹以外は、私のオリジナルではありません。ですが、九割程度は生体部品を使っていますので、素材構成的には、ほぼ人間と言えるかと……」

「ならば、どうやって一万年も過ごしてきたのですか?」


「別室でコールドスリープをしておりました。ですから、私に時間が経過した感覚はありません」

「そういうことですか……」


 帝国人には、チンプンカンプンな会話なのだろうが、直前の時代の書籍を記憶している僕には意味がわかる。だが、知識と現実は別だ。聞きたいことは山ほどあるが、まずは肝心なことからだ。


「図書館は、ここで終わりなのですか?」

「閣下! 私に敬語は不要です。周囲の者に示しがつきません」


 少し強い口調で言われて、ギクリとした。


「わかった。もう、蔵書はないのか?」

「より古い時代の情報は、この施設に整備されている大型量子コンピュータシステムを構成するストレージに保存されています」


 本ではないが、情報はあるということだ。終わりでなくて、安心したような、そうでないような……。


 話しかけようとして、戸惑った。「一三二八八番」では味気ない。それでは、まるで人権を制限された囚人ではないか。


「君に名前はないのかな。識別番号ではなく……」

「私の元の名前は、記憶から消去されました。必要ならば、閣下が命名願います」

 

 ハーッと軽くため息が出た。脳があるなら人間と変わらないのに、ほぼ物扱いとは。一万年前の人権意識の低さには呆れる。


「ならばユーリでどうかな」

「かしこまりました。今から、個体識別番号一三二八八番は、ユーリと名乗ります」


「じゃあ、ユーリ。情報は、どうやって見たらいいのかな?」

「情報は、そちらのディスプレイへ表示されます。操作は机の上のキーボードとマウスを使います。GUIとなっておりますので、ほぼ感覚的に操作可能です」


「一セットしかないね。ユーリの分のキーボードやマウスはないの?」

「私は、このイヤリングを経由して、脳から直接量子コンピュータへアクセスしています」


 確かに、ユーリの両耳には、銀色のイヤリングが輝いている。あれが、そんな優れものだったとは。

 

「お望みならば、閣下用のイヤリングもございます。アクセススピードが速く、より感覚的に操作できますので、そちらの方がお勧めです」


 物欲しそうな顔をしていたのだろうか? だが、男にイヤリングはハードルが高い。


「イヤリング以外にはないのかな?」

「ほかには、体内に埋め込む方式のデバイスもございますが……」


「じゃあ、イヤリングで」と即決した。よほど追い込まれない限り、体内埋め込みはない。

「かしこまりました」


 ユーリにイヤリングをつけてもらい、操作を試みる。

 すると、脳内に少女の姿が思い浮かんだ。服装は、帝国ではありふれたものを着ている。僕より少し年下の、ソフィアくらいの年齢だろうか? 茶色の髪と瞳で、可愛らしくチャーミングな少女だ。


「システム搭載AIのイザベラと申します。全面的に閣下をサポートいたしますので、何なりとお命じください」


 その日。僕の世界は一変した。聡明法で無限の知恵に触れたものの、扱いかねていた。大量の過去の知識とその処理を助けてくれる大型量子コンピューターシステム。無限の知恵に向き合うための、頼もしいツールを手に入れたのだ。


 意気揚々と帰ろうとしたとき、疑問に思った。これからユーリをどう扱ったものか?

 

「さすがに、ユーリをここに置いてはいけないね」

「コールドスリープから目覚めた以上、私は、機体維持のために、水分と食料を摂取する必要がございます。ご負担をおかけすることになり、申し訳ございません。閣下」


「いや。気にしなくていいから」


 そこから上階へ行くが、なんと地下一階への直通エレベーターがあった。これは、楽ちんだ。


 一階の図書室へ行くとイリスが目を見開いた。


「ルカ。そちらの方は、どなたかしら?」


 口調は穏やかだが、言葉に棘がある。


「え~と……図書館の司書……みたいな」

「みたいなって、何なの! そんな曖昧あいまいな」


 会話にユーリが割り込んだ。


「失礼いたします。ユーリと申します。以後、よろしくお願いいたします」

「私はイリスよ」


 露骨に嫌そうな顔ではないが、不機嫌さがにじみ出ている。


「イリス様は、閣下の恋人でいらっしゃいますか?」

「えっ! そう……なるのかな?」


「ご不興を買ってしまい、申し訳ございませんでした。私は、閣下の単なる所有物ですので、路傍の石とでも思って、お捨て置きください」


「所有物ですって! ルカ! どういうことなの? 彼女は奴隷なの?」

「いやっ。そんなことはないよ。ユーリは、図書館の司書で……僕の……従者なんだ」


「本当かしら。怪しいわね……」

「嘘じゃないよ。受験勉強を手伝ってもらっているんだ」

 

 会話の成り行きで、なんとなくシナリオができてしまった。

 緊張感ただよう重い空気のまま、自宅へ戻る。


 当然に、養母エレナにも不思議がられた。

 

「母さん。報告が遅くなってごめん。受験勉強を手伝ってもらうのに、個人的に従者を雇ったんだ。ユーリっていうんだけど」

「あら。そうなの。ルカにしては、珍しく抜けてるわね……」


 母さんは僕に甘いから、素直に信じてもらえた。ありがたい。

 

 そうこうして、なんとか事態は落ち着いた。


 イリスの機嫌が直ったのは、ソフィアのおかげらしい。


「フフッ。イリスさん。兄さんの性格で、女の人を物扱いなんてできるはずがないわ。何かちゃんとした事情があるのよ」

「それもそうね。ソフィアがそう言うなら、信じるわ」

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