第二部 棄てられ皇子の上京
帝都ギーデへ
ユーリと会ってから、程なくして秋になった。そろそろ入学試験に行かねばならない。
夕食時に、そのことを口にする。
「父さん。入学試験があるから、そろそろギーデへ行くよ。あまりギリギリに行くのも不安だからね」
「そうか。ルカが落ちることはないだろうが、体には気をつけてな」
「ソフィアも気を付けるのよ」と養母エレナが口にした。
「えっ? なぜソフィアまで?」
「あら? 聞いてないの? ソフィアも受験するのよ」
「そうなのか?」
「えへっ。兄さまを驚かそうと思って……」
確かに、ソフィアに勉強を教えることもあるが、彼女は優秀だ。秀才といっていい。合格する可能性は十分にある。一四歳というのは、あくまでも目安で、要は入学試験に合格すれば大学へは入れる。
「
「当たり前じゃない。兄さまと違う大学に行く意味がわからないわ」
出発の日がやってきた。
都市内部の道路は別として、一般道の路面の整備状況は、かなり粗雑だ。馬車を使う場合は、乗り心地がとても悪い。このため、貴婦人などを除き、旅人の多くは、徒歩で旅をしている。荷物は、駄馬やロバの背に積んで、自らは歩く。
僕たちは、駄馬を三頭用意して荷物を積んだ。さすがに、ルナリアは目立ってしまうので使わない。だが、密かに森の中を通って、追いかけて来ることになっている。
我が家からは、僕のほかに、ソフィアとユーリを連れていく。馬車は使わず、徒歩の旅だ。
帝国の森は広大で。森に囲まれた人気のない道では、
帝都ギーデでの生活に当たっては、従者が欠かせない。その意味では、ソフィアが行くことになったのは幸いだった。身の回りを世話する従者は同性が原則だ。男の場合は男の侍従が、女の場合は女の侍女がつく。僕が単独でユーリを侍女として連れていったら、事実とは無関係に、愛人だと解釈されることは避けされないところだった。
いよいよ出発する。
「では、行ってきます」
「気を付けるのよ。元気でね」と、養母エレナは涙ぐんでいる。
養父アレッサンドロと屋敷の者たちも、それぞれに見送りの言葉を口にして、手を振っている。
イリスも「いってらっしゃい」と言って見送ってくれた。その淡白さに、違和感を覚える。内心、泣かれたらどうしようかと悩んでいたのだが……。
前回、懲りたので、ノアにも別れを告げてきた。
「そうなの。いってらっしゃい」と、彼女の反応は淡々としていた。
花の妖精フレイヤとその友人のルルは、帝都ギーデへも来るつもりらしい。フレイヤは、花園がある場所であれば、瞬時に移動できる。ルルは、それに便乗する。
「おう。ルカ。一緒にいこうぜ」と、相変わらず声の大きいレオンが合流する。
職人などの世界では、成人すると、一度師匠から離れ、外で修行する習慣がある。それを支援するため、職業別に兄弟団が組織されている。レオンも帝都ギーデへ行き、格闘術道場で修行する予定だ。せっかくだから、同行してもらって人数が増えれば、旅がより安全になる。
それとは別に、ピクシーのカリーナが僕の肩に座っている。
(町の外はどんな世界なんだろう? 楽しみだなあ……)と、はしゃいでいる。彼女にしてみれば、大冒険なのだろう。
一つ目の宿場町には、かなり早く着いた。歩く速さは人それぞれ。宿場町の距離は、僕らのような若者からすると、かなり近い。頑張れば二つ行けるのだろうが、それは旅をしながら、おいおいい考える。
宿屋では、部屋割りでもめた。僕は、男女それぞれで二人部屋を二つと考えたが、ソフィアが頑固に食い下がる。長年の習慣を打ち消すのは、無理っぽい。
結局、レオンは一人部屋で、残る三人は四人部屋へ泊る。残念ながら、三人部屋は存在しない。家族別にすれば、それもありなのかと考え直した。
宿屋に荷物を預けた後、町を散策してみる。だが、隣町であるから、特に目新しいものも見られない。そして、ある建築現場を通りかかったとき……。
ビシッ!
「ひゃっ!」と声をあげて、ソフィアが僕の後ろに隠れる。
「おらっ! 根性入れて働きやがれ!」
平均的な帝国人男性の一・五倍はあろうかという大男二人が、大黒柱のような太い木材を担いでいた。そのうちの一人が鞭打たれた音だった。腰を覆う粗末な短いパンツしか身に着けておらず、上半身は裸だ。汗まみれで、苦痛と疲労に顔を歪めている。
「兄さま。あの方たちは……?」
「
「あれじゃあ可哀そうです」
「気持ちはわかるけど、奴隷の
とは言うものの、僕も気分が悪い。
実際のところ、帝国住人の半分以上は、奴隷身分の者が占める。その労働力を搾取してこそ経済が回っているとも言える。土地に縛り付けられ、耕作を強制される農奴など種類がある。
中でも、一般奴隷は、簡単に言えば人間の家畜であり、強制的に
奴隷は、亜人種や人間でも異国人、異教徒が好まれる。差別思想から、相対的に優越的地位に立てるからだ。
とにかく、居心地が悪いので、足早にその場を去った。
そういう目で見てみると、猫型獣人のフェリス、ウサギ型獣人のラピス、イノシシ型獣人のボアール、トカゲ型獣人のリザードマンや人間の半分ほどの身長のハーフリングなどの姿が目に付いた。見た限りでは、皆奴隷のようだ。
プロテクテレシエの町にも奴隷は多くいる。ただ、性質上、いざという時は、町が一丸となって敵と戦わねばならない。このため、奴隷も、必要以上に虐げたりしないことが伝統になっていた。それに比べ、この町の扱いは酷い。
奴隷の扱いを見れば、主人の品格が疑われそうなものなのだが……町それぞれの慣習があるのだろうな……。
やりきれない気持ちが晴れないまま手ごろな店を見繕い、夕食となった。
やや混んでいるが、満席というほどではない。
そして、注文した料理を待っていたとき……。
「お兄さんたち。相席させてもらっても、いいかしら?」と、女性から声をかけられた。
二〇代前半くらいの黒髪黒目のお姉さんだ。紫色のミステリアスな衣装を着ているが、やたらデザインが凝っている。襟ぐりが広く開いていて、目のやり場に困る。ペンダントで下げている真っ赤なルビーが印象的だ。
大人の女性に「お兄さん」などと声をかけられ、照れくさくもある。いろいろと悟られないように、やや
「もちろん。かまいませんよ」
「ありがとう」と言いながら、お姉さんは、僕の真正面の席に座った。
ちょうどそこに、注文した料理が運ばれてくる。お姉さんは、その従業員をつかまえて、注文を伝えている。
「あなたたちは、飲まないの?」
「では、一杯だけお付き合いします」
アルコールは思考を鈍らせるので、あまり好きではない。だが、こういうことも一つの経験だ。
「なら、俺も」と、レオンが続く。
「それなら、私がおごるわ。エールでいいかしら?」
「恐れ入ります。ご馳走になります」
「まあ。礼儀正しいのはいいけれど、ちょっと他人行儀ね」
お姉さんに、思わせぶりな視線を送られたような……自意識過剰か? ノアを情熱的にしたら、こんな感じなのだろうか……?
エールが運ばれて来たので、乾杯をする。皆の視線が僕に集まったので、
「では、これからの旅の無事を祈念して……商業と旅の神メリスに捧げる!」
「商業と旅の神メリスに!」
グラスをぶつけ合い、僕はエールを一口飲んだ。歩いた疲れがあるのか、
プハッ! と、レオンがエールを一気飲みした。早速、お姉さんに男ぶりをアピールしたいようだ。素直というか、単純というか……。
「おっ! いい飲みっぷりだねえ」と、お姉さんもはやし立てる。
レオンにおかわりのエールが来て、席が落ち着いたところで、お姉さんが話し始める。
「あたしは、旅の占い師のヴァレリアっていうんだ。よろしくね」
あのこれ見よがしの衣装は、商売用ということか……と
そして、僕たちの旅の目的などを話した。
「あたしも帝都ギーデに向けて旅をしてるんだ。でも、同行させてもらった隊商とはぐれちまってさあ。女の一人旅は心細いから、ギーデまで同行させてもらえないかな?」
「急ぐ旅ではありませんので、僕はかまいませんよ」と言った後、チラリとレオンに視線を送り、答えを促す。
「俺も、かまわねえぜ」
横でソフィアがむくれているのが、気配でわかる。だが、ここで断るのも男が
こうして、旅の占い師ヴァレリアさんと一緒に旅をすることになった。
その夜。案の定、ソフィアの機嫌が悪い。当然、ベッドに潜り込んでくるが、強い言葉はかけられない。
隣で横になっていたソフィアは、突然、僕の胸に顔を埋める。しばらくして、フッとため息をついた。
「兄さま。浮気は許しませんからね」
「なんだよそれ。僕は、そんなつもりじゃあ……」
「まったく、兄さまときたら、次から次へと……」
「何がだよ」
「優しいお兄様は大好きだけれど、それでも限度というものがあるんです」
「そう言われても、人に冷たく当たれないのは、僕の性格だから」
「その気はなくても、女は、優しくされたら勘違いしてしまうんです。ましてや、兄さまは、ハンサムで、頭が良くて、強くて……とにかくダメなんですからね」
「しかし、ソフィアさんも、ちゃんとした伴侶を、いつか見つけてほしいんだけど……」
「あたしは、絶対に兄さまと結婚するの! 逃がしませんからね」
「ソフィアさんのことは愛おしいけれど、結婚は別だよ。ソフィアさんに対して、そういう欲望は湧かない。兄妹だからね」
「それは……あたしは、まだ子供じみてるけど、成長したらヴァレリアさんにも負けないんだから」
「そういう問題かな……?」
「そうよ。決まってるじゃない」
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