幻惑の鏡

「ルカ。ここまで上達したのなら、飛行戦闘も経験しておきたいわよね」と言われたとき。レベッカの主旨を把握できなかった。


「いちおう飛空魔術も習ったけど、そのことかな?」

「そうじゃなくて、私たちみたいに、天馬ペガサスを駆りたいわよね」


 飛空魔術は、重力と風の操作を併せた複合魔術で、コントロールが難しい。これで空を飛びながら戦闘するとなれば、相当な訓練が必要だ。飛行を天馬ペガサスに任せられれば、戦闘に集中できるというものだ。


「まあ、それもそうだけど……」

「それなら、決まりね。ルカ専用の天馬ペガサスを捕まえなくちゃ。それも、とびきり優秀なのをね」


「……と言っても、どうやるの?」

「私に作戦があるの。そのためには、リリアナ姉さんの協力が必要だから、頼んでみるね」

「そうか、よろしく……」


 リリアナ・ステラーラは、 星空に輝くような紫の甲冑に身を包んだ戦乙女ヴァルキーエ。星座の兜が頭を覆い、天馬と共に夜空を舞う。二つ名は「夜の女王」。

  星の魔術を操り、敵を幻惑する。知恵と冷静さを持つ、頼れる貴婦人である一方、ミスてリアスで、どこが近づきがたい雰囲気をまとっている。戦乙女ヴァルキーエの能力も異色だ。そんな彼女は、戦乙女ヴァルキーエたちの中で、若干浮いた存在となっていた。


 まだ若くて世間ズレしていないレベッカは、そんなリリアナに抵抗感を持っていないらしい。リリアナの方も、容姿や能力から想像されるような気難しい性格というわけでもなさそうだ。

 レベッカは、すぐにリリアナの同意を取り付けてきた。


 レベッカとリリアナが考えた作戦は、こうだ。

 まずは、リリアナが魔法の鏡を用い、翠緑すいりょくの森に美しい幻惑を生み出す。僕は、その中で天馬ペガサスたちと向き合い、幻影の世界で魂の交流を図る。僕は、天馬ペガサスたちと現実と夢の狭間で心を通わせ、仲間にする、というものだ。


「無理やり捕獲しないところがいいね。嫌がっているところを、力で強要するのは、僕は好きじゃないから」

「へへん。ルカのことなら、私は何でもお見通しよ。いつもあなたのことばかり考えているんだもの」


 ――今、微妙なことを言われたような……なぜ僕に執着するんだ?


 レベッカは、僕の微妙な表情を読み取ったらしく、慌てて取り繕う。


「私は、粘着質な女じゃないから! 変に誤解しないでよね」

「ああ。わかっているとも」と言いつつも、彼女との関係をこじらせたら、明るい未来がないような気がした。


 翠緑すいりょくの森には、天馬ペガサスも聖エレシア山の霊気を求めて、中腹の翠緑の森につどい。霊気により強い力を得ている。

 冬季は、気候が厳しいことに加え、餌が減り、動物たちには厳しい季節。天馬ペガサスも例外ではない。


 天馬ペガサスは群を形成している。探索した結果、僕たちは、その中で一番勢いがありそうな群をターゲットにした。


「じゃあ、いくわよ」


 リリアナが魔法の鏡を用い、森に美しい幻惑を生み出す。天馬ペガサスの群れは、眩惑から逃れることはできない。

 眩惑の中は、春のような世界だった。芽生えたての木の芽や若葉に満ちている。群れは、僕には目もくれず、まずはそれらに飛びついた。まあ、それが本能的に自然だろう。


 落ち着いて、ようやく天馬ペガサスたちは、僕に興味を持った。

 群のリーダーらしき雄が、僕に警戒心を向けている。体は大きいが、まだ若そうな雄だ。


 僕は、ノア譲りの態度や居住まいで、まずは敵ではないことをアピールした。警戒心が薄まったと思われるところで、刺激を与えないように徐々に近づいていく。

 群からの攻撃のギリギリ射程外のところで、僕は横になってリラックスしながら、群れをながめる。攻撃の意思はないし、群れに対して興味や親しみを持っていることを態度で示す。


 数刻経つと、群れはほぼ緊張感を解いて、寛いだり、餌を食べたりといった日常の活動を再開する。

 念のため、さらに数刻待つ。そして、僕は、リーダーの若い雄へ近づいていった。


 慎重に、彼の攻撃の射程範囲へ入る。彼は、耳をピンと立てて、やや緊張していた。やがて両耳を小刻みにクルクル動かし始めた。何か思案しているのだ。

 寸刻後、僕を見つめるとブルっと鼻息を吐いた。ルナリアのときと同じだ。僕を挑発しているに違いない。


 もちろん、挑戦を受けることにする。僕は、飛空魔術で空へ飛び立った。

 それを見た天馬ペガサスの雄は、一瞬驚いた様子だったが、すぐに僕を追ってくる。


 ここは、空を飛ぶ早さ比べだ。両者の暗黙の了解ができたようだ。

 天馬ペガサスの雄は、僕に追いつき、難なく追い越した。何たるスピード! 羽ばたきだけでなく、風魔法も操ると言われているが、それにしても何たる早さか!


 僕も負けじとスピードを上げる。僕には前駆物質アストラルを操作する原料の生命エネルギーが無尽蔵と言っていいほどある。だが、飛空魔術そのものが覚えたてで、まだコントロールが苦手だ。


 力任せに天馬ペガサスの雄を抜くと、やつも負けじと抜き返す。そんなゲームが楽しいと感じた。冷静になって、やつを観察すると、風の神カイラの加護を受けていた。己の肉体能力に加え、風を操ることで、高速での移動と俊敏な機動力を得ている。天馬ペガサスが神の加護を受けているとは、珍しい。がぜん、興味が湧いた。

 戦場ならば、これほど頼もしい味方はいない。


 だが、やつを従わせるためには、権威を示さねばならない。

 生命エネルギーを大量に注ぎ込み、どんどん加速していくと、ついにやつは追いつけなくなり、置き去りにされた。僕の完全勝利だ。


 やつは何度か再戦を挑んできたが、毎回、僕の勝利。やがて僕たちは、友達のようになった。ノアのように会話はできないが、しぐさや耳の動き、目を見れば、およその喜怒哀楽などの感情は理解できる。


 若い天馬てんまの雄は、僕をつぶらな瞳で見つめている。


「君に僕の従魔になってほしい。いいかな?」


 彼は、ヒヒ-ンと高くいなないた。賛同の意思表示と解釈して、従魔契約をする。


「気高き天馬の統領よ、我の声を聞け。汝の名はゼファー。我は汝との契約を誓う。汝は我が命令に従い、我は汝の忠誠に報いる。汝の名を我が心に刻み、我の名を汝の心に刻め。我らは一心同体となり、永遠に分かたれぬ。かくあれかしアーメン


 僕は、天馬ペガサスをゼファーと名付けた。西の地方の西風の神の名を借りた。西風は、強風ではなく、そよ風、優しい風だ。


 そして、空中戦闘についても、戦乙女ヴァルキーエたちに稽古をつけてもらうことができた。


 だが、問題が一つ。冬場に度々リーダを引き抜かれた群れは、餌の確保に苦労していた。これではゼファーに悪い。

 解決策を思案していたとき……


「お困りのようね」


 髪は深い翠緑色であり、瞳は輝くエメラルドのような緑色をした女性が、穏やかに微笑んでいる。緑色のローブをまとい、その上には葉や花で飾り立てられた装飾が施されていた。僕は、その優雅さに目を奪われた。


「あなたは?」

「私は、木の精ドリュアスのシルヴァナというの。そこの大きな木の精よ」


 彼女が指さす方を見ても、一瞬理解できなかった。なぜなら、遠近感が狂って見えたから。寸刻考えて、ようやく理解した。


「まさか、世界樹の精ですか!」

「そんなに驚かなくてもいいのに。ただ大きいだけの木の精だから」


「そのシルヴァナ様が、どんなご用でしょうか? もしや、僕を助けていただけると?」

「わたし、あなたが気に入っちゃったみたい。あなたに尽くせることが、私の喜びなの。でも、自然の調和を乱すことはダメよ」


「では、ゼファーの群れに、餌の在りかを教えてほしいのですが……可能でしょうか?」


「そんなことなら、お安いご用よ。植物にはネットワークがあって、すべて私につながっているから。まして、エレシア山なら、私の庭みたいなものよ」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」


 餌の在りかは、シルヴァナが教えてくれて、造作なく見つけられるようになった。

 天馬ペガサスたちも、心得ていて、空腹でも食べ尽くすことはしない。それは、餌場の消失を意味することを、本能的に理解しているのだ。


 シルヴァナには、感謝してもしきれない。

 ドリュアスの存在については、人間の見解が混乱している。単なる木の精霊という説もあれば、ニンフという下級神の一種という説もある。

 ニンフは恋愛に奔放ほんぽうであり、どんな男性の愛も受け入れると言われる。このため、裸体画の題材とされることが多い。


 僕は、後者の説は、男の身勝手な想像というか、妄想の産物だと解釈していた。

 ところが、シルヴァナを訪ね、お礼をしたいと申し出ると、後者を要求された。かなり驚いた。


 対価は既に受け取っているので、拒否するのははばかられる。結局、僕は彼女の要求を受け入れた。

 彼女は、エレシアほどではないにせよ、破格の生命エネルギーの持ち主であったことは付言しておく。世界樹の精ならば、当然だ。要は、並の男では太刀打ちできないということだ。それで、エレシアに鍛えられた僕へ興味を持ったのだろう。


「何かあれば、植物のあるところで呼べば、駆け付けるわ。いつでも待っているからね」

「わかりました。心に留めておきます」


 シルヴァナは、穏やかで優雅に微笑む。が、そこに凄みを感じてしまう僕だった。

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