人竜エレシア
「起きなさい……このまま落ちたら、死んでしまうわ……目を開けるのよ……」
だが、周りには一点の光もない漆黒の暗闇が広がっている。宙に浮いているようで、上下左右もわからない。そもそも、僕は目を開けているのか……。
意識が混濁して、はっきりしない。あの声も、幻聴なのでは?
「死んではダメよ……目を覚まして……」
本能的に死の淵にあることを悟り、
頼みの綱は、少女の声しかない。ひらすら声に意識を集中させる……声は、次第にクリアになっていく……。
「目を開けなさい!」
ひときわ大きい少女の声。僕の体は、それにビクリと反応した。ようやく覚醒したようだ。
おっくうだが、やっとの思いでゆっくりと
「よかった! 目が覚めたのね」
金色の髪と瞳を持つ美しい少女が、僕の顔を
「君は……?」
「私は、レベッカ」
「僕は……ルカだ。助けてくれてありがとう」
「私は、母さんに様子を見てこいって言われて、来ただけだから」
「それでも、君の助けがなかったら、僕は死んでいた」
「そんな、おおげさなことじゃないよ」
少し会話をして、正気に戻った。だが、状況を把握した僕は、思わず飛び起きた。
レベッカは、神秘的な光沢のある銀白のシンプルなワンピースを着ていた。スカート丈は膝上でかなり短い。僕は膝枕をされていたが、スカートがたくし上がっている。頭を乗せられていた部分は、生足だった。心地よい人肌の温もりの正体だ。
フォンターナにいたずらして後悔したことを思い出す。さすがに、初対面の美少女に、それはできない。
「どうしたのよ? 急に」と、レベッカはキョトンとした顔をしている。
「いや。何でもない……」
答えに詰まり、お茶を濁した。
帝国人女性が、ここまで足をさらすことはふしだらとされている。男の悲しい
「まあいいわ。その元気があれば、お母様のところへいけるわね」
「その……お母さまって?」
「エレシアっていうの。名前くらいは聞いたことがあるでしょう」
「は? というと、人竜の?」
「そうとも言うわね」
思わぬ展開に、僕は
「面倒だから、空を飛んでいくわよ」
レベッカがピューッと口笛を吹くと、純白の毛並みの
彼女は、僕を抱えると、あっという間に
レベッカが僕の前に騎乗し、空へ飛び立つ。落馬しないよう、背後から彼女にしがみつく――男女逆だな……かなり恥ずかしい。
空から見ると地形がよくわかった。
山頂付近は外輪山に囲まれている。内部の窪地には、大小の山が不規則に点在している。聖エレシア山は、古いカルデラ火山だったのだ。
外輪山の内側に入ると、突然、気候が変わった。春のような程よい暖かさで、空気も地上と同様に濃い。呼吸が楽になり、人心地ついた。
外輪山内部の
ふと気づくと、中央に想像を絶する太さと高さの気が生えていた。遠近感が狂ってしまったような奇妙な感じだ。あれはトネリコの木……おそらく世界樹というやつに違いない。
レベッカは、唯一の人工物と思われる建築物の前で、僕を降ろした。
伝承にあるアストラリス宮殿なのだろう。宮殿というよりは、神殿によく見られる
「ここが、私のおうちよ。さあ、母さんへ会いに行きましょう」
「は、はい……」
事がとんとん拍子に進み、心の準備が追い付かない。
おかまいなしに、レベッカは、宮殿の中をどんどん歩いていく。僕は、離されないように、これを追った。
途中、エレシアに仕えているらしき、女性たちとすれ違う。女性たちは、白いローブに包まれ、シンプルな花冠が頭に輝いている。清らかな雰囲気を醸し出す
彼女たちは、好奇の視線を向けてくるが、悪意は
ひときわ大きな部屋に通される。真正面で
王様のように、高いところから見下ろすのではなく、椅子は、フラットな位置にある。少し意外だが、権威主義とは無縁なのだろう。
彼女は、透明感あふれる白いドレスに身を包み、金の髪が優雅にたなびく。
何より、エレシアの容姿に見惚れて我を忘れた。僕は、そこに理想的な大人の女性像を見た。彼女は、僕が勝手に想像していた実母アリアや養母エレナの面影があり、そして僕自身にも似ているようにも感じる。
マザコンでナルシストのような気もするが、理想の女性像は人それぞれ。しょせんは、そんなものなのではないか?
なによりも一番印象的だったのは、彼女の額にオウムの
「母さん。今、戻りました」
「ご苦労じゃった。ともかくも、生きたらむにはのう」
いきなりの古語には面食らったものの、エレシアの声はアルトボイスで、まるで歌っているかのように豊かな響きがある。何物にも動かしがたい安定感があって、頼れる感じだ。
「命を救っていただき。心から感謝申し上げます」
「礼は無用ぞ。アストラリス宮殿は、等しく誰にも開かれたり」
「それは、恐れ入ります」
「さるほどに、其方は、とにもかくにも、ここへたどり着きき。ここへ来し雄には、此方と交はる権利あり」
「は? それは、どういう……」
「なにぞと! 其方は、此方に種付けしに来ずや?」
「雄というのは、人竜のことですよね。僕は、人間ですが……」
「人竜の多きは確かなれど、種族は縁なし。千年前にも一人、人と交はりしところぞ」
「そうですか……」
帝国の初代皇帝の父親ということか……まさか、それも事実だったとは!
それにしても、人竜の性的な倫理観は、人間とは全く異なるようだ。しかし、それを一概に否定し、忌避するのもいかがなものか……?
「よも、其方は此方に欲情せずといふことか?」
どうやら、こうなってしまった以上、僕に拒否権はないようだ。そもそも、僕に、そういう欲望がないと言えば嘘になる。これは、いつかは経験にしなければならないこと。ここは、素直に彼女の慈愛に甘え、無償の愛に従うべきか。
「いえ! 決してそのようなことは……」
「そは
「それは光栄の至りに存じます。感謝の言葉もございません」
そして、その夜。僕は男になった。
だが、不覚にも、僕は、エレシアに溺れた。未熟で、欲望をコントロールできなかったこともある。
交わったことで、僕の欲望が増した。それは、あらゆる欲望に及んでいく。僕の霊力=生命エネルギーが格段に増した結果のようだ。
その疑問をぶつけてみる。
「エレシア様。僕は、エレシア様から霊力を与えられているのですか?」
「何もわかれるまじきにはぞ。天下は、陰陽の理に支配されたり。雌は陰に雄は陽。雄の種は霊力の塊ぞ。もらへるは此方の方ぞ」
「そんなことが! しかし、それでは僕の霊力なんて、あっという間に枯れてしまうのでは?」
「其方の体は、此方に種付けするために、天より懸命に霊力を集めたるにはろう。此方と交はり通じ、その才が底上げせられしぞ」
「本当に、そんなことが?」
「其方は皇帝の血筋。人は階級とやら作り、皇帝の血の入りし上位貴族はそれどうしのほかに交はらぬ。此方が一人目の人と交はりたりより千年より上経れど、その間、すがらに近親婚続けおったわけぞ。先祖返りはあやしくはあれど、起こるべくし起こりきとひふかむと。其方の額のオウムがそのしるしぞ」
「それは、認めざるを得ませんが……」
「種付けは肉体やうに種を注ぐばかりならず。魂のつながり伴ひ、かたみの霊格高め合ふものぞ。それに、其方は此方の心ばへ濃く受け継ぎて資質ありしのう」
「そうですか……」
「並の雄は、此方の霊力に忍ばれず、一晩に去にゆく。其方は、此方の霊力によほどならはむには。其方の一物も凶悪なるにはし、此方も飽けり。ここまで多く交はりしこそ初めてなれ」
そのまま冬に突入し、下山は難しくなった。
皆の心配を思うと心苦しいが、下山は雪解けの時期まで待つしかあるまい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます