コミモテノス聡明法

 聖エレシア山は、山頂へ向かうほど霊気が濃くなる。伝承によれば、山頂には、宇宙とともに生まれたと伝えられる根源の人竜エレシアの住まう壮大な神殿がある。アストラリス宮殿だ。霊気の源泉は、ここだと言われている。


 聡明法は、清浄な地で行うことが求められる。僕は、可能な限り山頂へ近づくべく、道なき道を登坂する。しかし、事前準備を通じて感覚が鋭敏になっていた僕は、気付いた。僕を追尾する不審な者の気配がする。


 ――一人……二人……三人? あるいは、それ以上か?


 ここは禁忌の領域。一般人がいるはずはない。村の住人が、僕を売ったとも思えない。ことさらに秘密にしていなかったし、人の口に戸は立てられぬということか……想定が甘かったと言わざるを得ない。


 目的は、僕がコミモテノス聡明法で力を得ることの阻止か? だとすると、ワトラム幽世領邦連合の手の者か? 帝国を盟主とするアデラム同盟と緊張関係にあるから、おおいにあり得る。あるいは、エレシア教に反発する邪教集団? 皇帝が脅威を排除しにきたとは考えたくないが……。


 数的不利があるので、ここは先制攻撃がセオリーだ。だが、手出しをしていない者をいきなり殺すのもためらわれる――甘いのかな、僕は……。


 念のため、グネグネと蛇行してみるが、明らかに追尾してくる。見逃してはくれないのだろうな。


 覚悟を決め、闘気を練ると鬱蒼うっそうと茂る森へ突進した。ここなら敵を分断して、各個撃破するチャンスがある。

 小声で詠唱しつつ、森をかき分けて進む。

風の精霊シルフィードセレスティアよ。我に力を貸せ……」


 敵の一人が前に立ちふさがる。黒鉄の剣は持ってきているが、刀身が長いため、森での戦闘には向かない。

 敵は短刀ダガーを腰に構え、僕に向かって突撃してくる。短刀ダガーをスレスレで避けつつ、カウンターで、敵のみぞおちに闘気を込めたこぶしをお見舞いする。みぞおちは、人体の急所の一つ。自らの突撃の勢いも上乗せされて、殴打の威力が増している。


 敵は、痛みに顔を歪めるとひざまずいた。不用意にさらされた首へ、渾身の手刀を放つと、ゴキッと鈍い音がした。首の骨が折れたのだ。


 同時に、詠唱を完成する。

「……風刀ヴェントゥス・グラディウス!」


 背後から忍び寄っていた敵の首を、風刀ヴェントゥス・グラディウスが両断し、ポロリと落ちた。切り口から血が噴き出す。


「マグナス! フェロックス!」

 

 従魔にしてから二年が経ち、二頭とも立派に成長したばかりか、群れを率いている。


 双頭の犬とダイアウルフの群れが、残る敵を襲う。

 敵は、さらに二人いたようで、計三人がズタズタに引き裂かれて絶命した。


 かなり遠くからガサッと音が聞こえたが、敵の監督者・監視者なのか、何かの動物が恐れて逃げたのか判断がつかなかった。


 死体を見分してみる。苦痛に歪んだまま固まって動かない青白い顔。嫌悪の感情が湧き上がり、激しい悪心おしんにみまわれた。たまらず口を押える。間違いなく自分が殺した。人を殺したのは始めてだ。


 寸刻の後。心を落ち着けて観察してみる。

 森で目立たないように、迷彩服を着ている。おそらくは、専門の暗殺者なのだろう。ベルトの留め具に、血のように赤い八本の矢印で構成された放射線状のシンボルがあった。


 記憶を探ると、たしかカオス教団という邪悪な教団のシンボルだったはず。混沌を理想とし、あらゆる秩序の破壊を目指す極端な無政府主義アナーキズムの教団だ。目的のためには、狂気じみた暴力や殺戮を是とすることで恐れられている。


 やっかいなやつらに目を付けられ、わずらわしい。だが、一度見失えば、果てしなく広がる翠緑すいりょくの森の中で一人の人間を見つけるなど、およそ不可能だ。

 気を取り直して、さらに山を登る。

 

 高地へ至れば、空気は薄くなり、気候も過酷になる。そして、何よりも濃い霊気=生命エネルギーが僕を悩ませた。生命に必要なものであっても、多すぎれば毒になる。

 酷い頭痛に吐き気が襲う。体の恒常性ホメオスタシスが崩れているのだ。


 無理に聖エレシア山を登った人間が、体中から血を噴き出して死んだという、古文献にあった記述が脳裏をかすめる。

 とにかく、急がず体を慣らしながら登るしかない。気持ちはくのに、体がついていかないことが、じれったい。

 

 聖エレシア山には、膨大で高濃度の霊気=生命エネルギーを求めて、動物、精霊、妖精などが集まってくる。これらは、中でも霊気が濃い中腹の翠緑すいりょくの森において環境に適応し、独自の進化を遂げて、特異な能力を獲得していた。

 これらには、凶暴な猛獣が進化したものもいれば、善良な妖精などもいて、玉石混交だ。墓戸の一族に残された記録から、僕は、そのことを知っていた。


「きゃっ! あなた、人間なの?」

「ああ。そうだけど……」

 

 花びらや葉っぱでできた小さな体をした妖精が、大きなフキの葉の上にチョコンと乗っていた。気づかなかったら、振り落としていたかもしれない。


「驚いたわ。人間なんて、何百年ぶりかしら?」

「君は、もしかしてナンフなの?」

「ええ。そうよ」

 

 ナンフは、花の精霊として知られる聖なる存在で、植物の力を持つ。霊的波長が高いので、霊感の強い者にしか見えない。


「それは、神聖な精霊に会えて、光栄だよ」

「エッヘン! 人間に姿を見せることなんて、滅多にないんだからね。感謝なさい」 と、小さい胸を張っている姿がほほえましい。


 だが、怪物の類には悩まされる。

 ライオンのような肉食獣ティラコレオ、サーベルタイガー、ニグルムジャガー、巨大なサイのエラスモテリウム、毒蛇のセラティスヴァイパーなどの猛獣に次々と遭遇する。


 僕は、墓戸の一族に伝わる黒鉄の剣「黒炎ニグラフランマ」を使い、併せて魔術を駆使しつつ戦う。

 黒炎ニグラフランマは、刃は鋼鉄で、毒に浸して焼きなまし、戦の血潮を触媒に死霊魔術ネクロマンシーで強化した剣。使い手の魔力に反応して暗赤色に発光するが、使い手を選ぶ。


 ワーグという狼に似た大型の犬は、群れで狩りをする。知性が高く、言語を解するため、狼以上に巧妙に連携した攻撃がやっかいだ。

 マグナスとフェロックスの協力なしには、対抗しえない。


 そうこうしながら、修行できそうな場所を探す。

 ようやく、天に向かって突き立つ剣のような岩場を見つけた。コミモテノス像を整え、そこを修行場とし、コミモテノス聡明法を実践していく。


 日々、山の厳しい気候に立ち向かい、神聖な真言を唱え、自らの限界に挑戦する。


「オン コミムタノス アハルラ フナオ メッカ ボデルラ ハンダマ ジンバルラ ハラルブリティア オン」(コミモテノスの神よ、無限の知恵と慈悲をもって、我に無限の知恵を与え、我を悟らせ、光明をもたらし給え)


 だが、徐々に体は衰弱し、疲労が蓄積していく……。

 

 自分の出自、己の心の弱さ、神託で示された父殺しの運命、墓戸の一族として忌まれる自分、ノアへの憧れ、リリアへの愛の不条理な喪失、神秘的なエルフ・イリスとの出会い……様々な思いに、僕の心は揺り動かされる。

 それに悩みながら、瞑想を深めていく。心の小宇宙ミクロコスモスを探るのだ。深く、深く……深淵の底へ……。


 体の感覚がなくなっていく。食事もしていない。時間の感覚がなくなり、何日経ったかもわからない……。

 それでもかまわない。向き合うのだ。人のエゴを越えた無意識を、さらに深いところにある本能を……。


 ふと、線と線がつながった感覚を覚えた。


 肉食獣のごとき残虐な本能。その苛烈さを自覚した。命持つ者を傷つけ、命を奪うことを、たまらない快楽に感じる。男ならば、何かしらの狩猟本能は持っている。ところが、それが異常なまでに強い。

 実父の、暴君の血が確実に体に流れている事実に、そのおぞましさに痛切な衝撃を受ける。

 

 それを無意識に恐れ、心を閉ざした。気が弱いのも、感情を表に出すのが苦手なのも、そのためだ。結果、人間関係をこじらせ、袋小路にはまっていた。これでは、自爆もいいところだ。


 そこまで思い至り、僕の意識は覚醒した。時計を確認すると、ちょうど一〇〇日目だった。

 しかし、これでは終われない。まだ、原因がわかっただけ。やっとスタートラインに着いたようなものだ。


 僕は、より清浄な地を求めて、山を登る。体が弱り、黒炎ニグラフランマがやたらと思い。


 ナンフが姿を見せた。陽気で好奇心旺盛な性格なので、僕に興味を持ったのだろう。


「あんた、だいじょうぶなの? 今にも死にそうだけど……」

「山の清浄な霊気が僕を癒してくれる。僕は、死んだりしないよ」

「ふ~ん。ま、それも、そう……か……」


 久しぶりに誰かと言葉を交わして、心が軽くなった。ナンフのかわいらしい姿も癒しだ。


 ライオンの体と人間の顔、蠍の尾を持つマンティコアと交戦する。尾から毒針を飛ばして攻撃してくる。正直、肉弾戦は体がきつい。魔術主体の攻撃となるが、詠唱のキャストタイムが惜しい。マグナスとフェロックスがいなかったら、とっくに死んでいる。


 気づくと、頭にイメージを描くだけで魔術を発動できるようになっていた。ならば……

 試してみると、風刀ヴェントゥス・グラディウスを二つ同時に操れる。それは、上達するにつれ増えていき、六つ同時も可能になった――これが限界か?


 一つ目巨人のサイクロプスの仲間に遭遇し、鷲の翼と頭、獅子の体を持つグリフォンにも襲われた。知らずに縄張りを侵してしまったようだ。だが、六枚の風刀ヴェントゥス・グラディウスの敵ではなかった。

 

 かなり登ったところで、太い古木を見つけた。高いところの枝の付け根に、いい感じのうろがある。

 そこを第二の修行場にして、聡明法を再開した。

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