聖エレシア山へ
「イリスには、さんざんお世話になっているけど、ご家族にあいさつもしていなかったね。今からでもいいかな?」
「それなら、
「伯父さん? ご両親は、どうしているの?」
「両親は連合の首都に住んでいるの。
私は、聖エレシア山の霊気が浴びたくて、伯父さんを頼ってこの村に来たのよ」
「なるほど、そうなんだ」
イリスは、伯父さんの家に着くと、慣れた様子で縄梯子をスルスルと登っていく。
女の子に負けてはならじと、急いで後を追う。だが、スカートの中が見えそうになって、慌てて目をそらした。
イリスは、早速、紹介してくれる。
「伯父さんのアルヴィンと叔母さんのミーリエルよ」
「ルカです。イリスさんには、いろいろとお世話になっております」
「おう。君がルカ君かあ。なんだか、初めてあった気がしないな。
イリスから、あれやこれやと君の話を聞いているからなあ」と、アルヴィンは陽気にイリスを茶化す。
「伯父さんやめてよ。本人の前でそんなこと……」
イリスは、赤面し、恥じ入っている。
でも、否定はしないんだ……?
「あなた! イリスは花恥ずかしい年頃なんですから、からかうものじゃありません」
「おう。悪い悪い……」
ミーリエルに𠮟られて、アルヴィンはバツが悪そうだ。
会話が進むと、アルヴィンが明るくて気さくそうで、緊張が解けた。
ミーリエルは繊細で気品がある。
おおざっぱそうなアルヴィンを支える姿が目に浮かぶようだ。
「ルカ君は、ぜんぜんしゃべらないな。
何か気に障ることでも言ってしまったかな?」
「いえ。そんなことは……」
こちらこそ気分を害してしまったか……少しきまずい。
「ルカは、これが普通よ。
だまったまま無表情だと、怒ってるみたいだけど、そうじゃないから。
なまじ整った顔立ちをしているから、余計にそう見えちゃうのよね」と、イリスがフォローしてくれた。ありがたい。
「なんだ。そうなのか。
イリスは、そのクールなところに惚れたわけだな」
「だから! なんで、すぐそういう話になるの!」と、イリスは不機嫌な顔をしている。
そして、いよいよ本題のコミモテノス聡明法の話題になった。
「聡明法を修めるなら、長い間家を空けることになるでしょう。
ルカ君は、ご家族には相談したの?」と、ミーリエルに
「いえ。まだ、伝えていません」と、僕の歯切れは悪い。
「本当のことを言ったら、反対されるわよね。私だったら、絶対そうだもの」
「そうですね……」
返す言葉が思い浮かばない。
「何も、全部をバカ正直に話す必要はないさ。
いちいち母ちゃんの心配につき合ってたら、冒険なんざできねえぜ」
「それもそうですが、何かしら家を空ける理由を説明しないと……」
話を聞くミーリエルの憂いが、深さを増した。
罪悪感を覚えるが、折れるわけにはいかない。
「なら、この村で魔術の修行をする、とでも言えばいいだろう?」
「いいんですか?」
「もちろんさ。イリスが惚れた相手だ。
ここで一肌脱がなきゃ男が
イリスは恋人じゃないと否定すべきか迷った。だが、水を差すようで気が引けたので、流れに任せてしまう。
「ありがとうございます」
「なんなら、俺も一緒に行ってやるぜ。
口で言うだけじゃ、ルカの母ちゃんも心配だろうからな」
「そうしていただけると、助かります」
アルヴィンとイリスは、本当に僕の家まで付き添ってくれた。
両親の前で、さりげなく説明する。嘘がバレるかと、内心、ヒヤヒヤだ。
「なるほど。ルカの魔術の腕は、たいしたものだからな。極めたくなったか?」
「はい」
父アレッサンドロは、信用してくれたようだ。
だが、横で黙っている母エレナの顔はさえない。
「しかし、エルフ族の村に人間が滞在するなど、よろしいのですか?」
「エルフ族には閉鎖的なやつらも多いが、エレンディルは別格ですよ。
こちらから人間の町へ出向くのもしょっしゅうです。
それに、ルカ君の魔術の腕は、村でも評判なんですぜ。みんな大歓迎ですよ」
「そうですか。それなら、よろしくお願いいたします」
「伯父はこんなですが、私と叔母でルカさんの面倒はちゃんとみますので、ご安心ください」と、イリスが折り目正しく答える。
「これは、こんなにしっかりしたお嬢さんに面倒をみてもらえるとは、一安心ですな」
「はい。お任せください」
値踏みをするようにイリスを見る母の目が、不機嫌そうだ。
それをわかって受け流し、ツンとすましているイリスも、相当なものだ。
女の怖い側面を垣間見た気がする。
とにもかくにも、なんとか家を離れる口実ができた。
◆
善は急げとばかり、アルヴィンとイリスとともに村へ戻る。
とはいえ、いきなり本番というわけにはいかない。
急激に食事制限をしては体がもたない。俗世から離れて、精神を統一し続けるには、慣れも必要だ。
村から離れた場所に仮の修行小屋を作り、そこで慣らしていく。
食事の面倒は、イリスがみてくれる。小屋には、彼女以外の者が近づかないように配慮してもらった。
食事は、肉などを断ち、穀物も小麦から雑穀に切り替えて、最終的には山菜や木の実などだけの生活にしていく。
食事制限は、まず精神に影響した。
イライラが積もり、イリスがかけてくれる
「ルカ。辛いだろうけど、頑張ってね」
(頑張っているところに、頑張れなんて言うなよ! これ以上追い詰めないでくれ!)
不満をぶつける言葉がのどまで出かかるが、必死に耐えた。
表情へ出ないようにしたつもりだったが、イリスは苛立ちを察して、当惑した様子だ。
彼女は見られまいと顔を伏せたが、その瞬間が見えてしまった。
彼女へ心労をかけた罪悪感で、焦燥に駆られる。
とにかく心を落ち着けようと、瞑想に集中する。
瞑想は、魔術の基本でもある。
これを行使する際、魔術師は、自らの意識=
このためには、人の持つエゴを究極まで薄めなければならない。
これには、覚醒時には自覚していない、意識深層の無意識と向き合うために、深い瞑想が必要不可欠だ。
周囲から魔術が得意だと評価されていた僕は、瞑想もお手の物と思い込んでいた。なのに……
(成長期のガキが食事制限なんて、無理に決まってるじゃないか)
(それでも、僕はやるんだ!)
(もっともらしい理由を言っていたが、本当は、イリスの前でいい恰好を見せたかっただけじゃないのか?)
(違う! 本当に、生きる意味を探したいんだ!)
(聡明法なんて効果が怪しい。自虐趣味を自慢したい惑乱した魔術師が考えたものじゃないのか?
やめちまえよ。どうせ意味なんかないんだ。楽になるぜ)
(長老様たちが教えてくれた聡明法を、僕は信じる!)
次々と否定的な考えが浮かんでは、これを打ち消す。そんな日々が続く……。
気持ちを切り替えて、雑念は浮かぶに任せる。
瞑想の基本は呼吸だ。吸う息よりも吐く息を倍くらい長くする。人は、息を吐くときに緊張が緩むからだ。
ひたすら呼吸に集中し、心を静めていく……。
そうこうしながら二月が経ち、四月になった。ようやく食事制限にも慣れ、孤立した環境でも、精神は落ち着きつつある。
季節は春。仮に二〇〇日行をするなら、そろそろ本行を始めないと、終わりごろには冬に突入してしまう。
僕は、決心をイリスへ伝えることにした。
イリスは、伏し目がちで、ちらりと僕の様子を
これまでの
「まだ自信はないけど、秋までに終えたいから、明日から山へ入るよ。今まで、ありがとう」
「そう。それもそうね。でも……無理はしないでね。死んでしまっては、元も子もないんだから」
イリスの顔は青ざめ、憂色を濃くしている。
「わかったよ。完遂できるかは、わからないけど、必ず生きて戻ってくるから」
「約束だからね。戻ってこなかったら、許さないんだから」
「ああ……」
僕は、
イリスの頬を熱いものが
そのまま振り返えらず、聖エレシア山を登っていく。
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