墓戸の一族

「ルー坊は才能があるし、優秀じゃな。真面目に修練もしておるし、墓戸はかべの一族は、安泰じゃて」


 僕、ルカ・デ・ガウデンツィの祖父ジャンニ は、カッ、カッ、カッとしわがれた大声を出して哄笑こうしょうした。

 子爵家当主の座を父に譲った祖父は、僕に魔術を伝授してくれている。


 品のない感じがして眉をひそめそうになるが、これを押し留めて無表情を装う。

 いつものことだし、慣れたものだ。


「優秀……か……」


 祖父が帰った後、一人残された僕は、忍びひとちた。

 祖父の言葉に、悪気はない。だが、手放しでは受け入れられなかった。


 わかっている。

 僕は、生来、極端に気が弱い性格で、何をするにも惰弱だ。

 あの聖母のように優しい母でさえ、声をかけるには勇気がいる。


 武術や魔術の修行や勉強も、叱責されるのが嫌で、流されるままに行っているだけ。

 祖父の指示に素直に従うのも、反抗する勇気がないからだ。


 その結果が「優秀」という評価。

 気がめいるばかりだ。


 自分も男であるから、物語の英雄譚えいゆうたんなどを読むと、心がおどる。

 だが、読み終わって、空想の世界から現実に戻ったときの空虚感といったらない。


 今のままでは、いけないと思うものの、何をどうしたらいいのか、雲をつかむようでわからない。

 主体性の欠如に幻滅する。


 それでは、僕は不幸なのだろうか? いや、そんな考えは贅沢なのだ。


 もっと不幸な人々は数多く存在する。

 食うに困る下層民や奴隷、異なる容姿だけで差別や迫害を受ける獣人種など、いくらでも例は挙げられる。


 このような状況下で、僕は周囲に迎合し、ただ流れに身を任せる生活を送っていた。




一〇


 一〇歳となったある日。魔術の修養のときに、祖父は言い放った。


「ルー坊は、もう一〇歳。そろそろ従魔の一匹や二匹は従えられるじゃろ。やってみなさい」


 従魔の召喚術は学んでいるが、自信がない。

 率直に尋ねる。


「悪魔エリゴモリーの眷属けんぞくあたりで、よろしいですか?」

「何じゃと?」と祖父の眉に皺がよるが、その後黙り込んだ。


 ──ちょっとレベルが低かったかな?

 

 しかし、否定されなかったので、早速詠唱に移る。

 まごまごして叱られたら大変だ。


「悪魔エリゴモリーよ、我が声を聞け。

 我は汝の友であり、汝は我が味方である。

 我が敵に恐怖と混乱をもたらす機会に、その凶悪な音を響動どよめかせよ。

 鳴り響け、鳴り響け、鳴り響け!

 今ここに汝が眷属けんぞくをつかわし、我が従魔とせしめよ!

 世々限りなきエレシアと神々の統合のもと、実存し、 君臨する冥界女王へサロアを通じ、ルカが命ずる。喚起エヴォカティオ!」


 地面に魔法陣が浮かび上がり、黒い霧が立ち込める。


 その中から漆黒の毛並みを持つ大型犬が姿を現わした。その頭胴長は、長身の男性をも凌駕している。

 最も特筆すべきは、双頭であることだ。これは明らかに冥界にむ犬の特徴だ。


 犬は、鋭い歯を見せつけながら唸り、威嚇してくる。

 しかし、惰弱な僕は、これを凌駕りょうがするような覇気を持ち合わせていない。


 従魔は、召喚して終わりではない。

 従えるには、主人としての強さ示し、契約を結ばなければならない。しかし……


 犬はこちらを格下とみなし、僕へ襲い掛かる。


「くっ!」


 前足の爪でひっかこうとしたろころを避ようとしたが、ぎりぎりのところで左腕の二の腕の肉をえぐられた。

 焼けるような痛みが、全身を駆け巡る。


 墓戸の一族は、格闘術などの武術をひととおり学ばされる――剣でもやりでも武器を持ってくるべきだったか!


 魔術の訓練と思い込みすぎて、何も用意していない。

 なんと浅はかな……後悔先に立たずとは、このことだ。


 忍び寄る死の影を感じる。


 反面、肉体は高揚感を覚えていた──防衛本能ってやつだ。


 あとは、己の肉体を武器に戦うしかない。

 しかし、死線を潜るような戦闘は初めて。訓練では、ここまでやることはなかった。だが……


 ──急所は、人間であれ犬であれ同じだ!


 今度は、こちらから攻撃する。

 体は、格闘術を覚えていた。


 僕のこぶしや足は、確実に急所を突いていく。

 命の危機だというのに、いつの間にか、愉悦を感じていた。


 薄ら笑いを浮かべている自分に、違和感を覚える。


 気づけば、冥界の犬は血まみれとなり、息も絶え絶えに服従のポーズをとっていた。


 我に返り、従魔契約の詠唱をする。


「冥界の犬よ、我が声を聞け。

 汝の名はマグナス。我は汝との契約を誓う。

 汝は我が命令に従い、我は汝の忠誠に報いる。

 汝の名を我が心に刻み、我の名を汝の心に刻め。

 我らは一心同体となり、永遠に分かたれぬ。かくあれかしアーメン


 これでマグナスと名付けた冥界の犬が従魔となった。


 マグナスは、手のひら返して甘えた声をあげている。


「わかったよ。今、傷を治してやるから」


 マグナスを治癒魔術で回復させると、緊張の糸が切れたのだろう──左の二の腕が痛み、思わず顔をしかめた。

 これも魔術で治す。


 これで終わりだと、祖父を見ると、心ここにあらずといった様子だ。


「おじいちゃん?」


 祖父は、はっと目が覚めたかのようだ。

 

「やはり、ルー坊には才能があるようじゃの。だが、これに慢心せず精進しなさい」


 その言いぶりは、心がこもっていないようにも感じる──なんだかんだ言って、まだ未熟者ということか?





 

 いつもは、早朝から朝にかけて魔術を修練し、続いて武術の鍛錬をする。

 それが終わったら、自宅に帰り正餐せいさん(昼食)になる。

 そして、午後は自由時間であり、各々の趣味をして過ごすのが貴族のライフスタイルだ。


 今日は、従魔の関係で手間取り、正午の正餐せいさんの時間に遅れて帰宅する。


 自宅の前では、母エレナと妹ソフィアが落ち着かない様子で待っていた。


 母は、僕の姿を認めると、一目散に駆け寄ってきた。


「ルーちゃん! ケガをしたんでしょ! 大丈夫なの?」


 傷は治したものの、服が血で汚れてしまっている。それで心配をかけてしまった。

 申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。


「ごめんなさい。従魔を従えるのに手間取ってしまって……。

 でも、傷は自分で治したから、何ともないよ。少し血が出ただけだから……」


「それなら、いいけれど……剣術の鍛錬にも来なかったっていうし、なかなか帰ってこないから、母さん心配したんだからね!」

 

 有無を言わさず、母は僕を抱きしめる。

 胸に押し付けられた乳房の感触が、何とも言えずなまめかしい。もう、そういうことに敏感なお年頃なのだが……僕は。


 母は、家族のひいき目を差し引いても美人だ。

 金髪と緑の瞳で、スレンダーな体型なのに、胸は大きい。

 

 そんな母は、幼少の頃からずっと僕を溺愛している。こんな寡黙で不愛想な子供のどこがいいのか? 謎だ。


 脇からは、ソフィアが僕の腕にすがり、泣きじゃくっている。


「兄さま……心配させないで。あたし……絶対に兄さまのお嫁さんになるんだから……いなくなったら許さないのよ」


 ソフィアは、幼い頃から異常なまでに僕に懐いている。

 未だに風呂へ一緒に入ったり、眠れないといっては僕のベッドに潜り込んだりしているほどだ。


 彼女は、もう8歳──あと1、2年もすれば兄離れしてくれるのだろうか?


 僕は、社交性が皆無だ。

 対して、妹のソフィアは、好奇心旺盛で社交的。友達が多い。

 

 町でのうわさ話などは、もっぱら彼女から仕入れている。

 彼女には、懐かれる一方で、コンプレックスも抱いていた。


 茶髪と茶色の瞳の彼女は、母に似て顔立ちは整っている。

 ふくよかな体形で、美人というよりは、かわいくて愛嬌あいきょうがある印象だ。




 騒動が収まり、正餐せいさんが終わると、父アレッサンドロが厳かに言った。


「今日は従魔を従えたのだろう。どんなやつか見せてみなさい」


 父は、黒髪と青い瞳を持ち、筋肉質な体格をしている。まさに騎士そのものの風貌だ。

 性格も正義感が強く、頑固だ。


 剣術や馬術は、父に習っている。

 墓戸の一族は、「黒鉄の剣」という死霊魔術ネクロマンシーで強化した剣を使う。


 さすがに、室内で見せるにはマグナスは大きすぎたので、家族そろって庭へ出た。


「マグナス!」と命じると、僕の影からマグナスが瞬時に現れた。

 影に自由に出入りできるようだ。


 その様を見た、祖父以外の家族は呆気あっけにとられている。

 その理由は、にわかには理解できなかった。


 だが、マグナスの存在といい、影に出入りできることといい、どうやら異例ずくめだったようだ。




 ◆




 ガウデンツィ家は、古語ではガウデンティウス家といい、古来から墓戸はかべ、すなわち墓守に任ぜられた一族だ。


 コームルス帝国には、聖エレシア山がある。周辺の山々を圧倒する高さで、山頂には宇宙の創成とともに生まれたとされる人竜エレシアが住まうと信じられている。


 人竜は、普段は人形をしているが、竜に変化へんげする能力を持つ。その強大な力は、計り知れない。


 山麓に聖エレシア大神殿があり、帝国の国教であるエレシア教では、最高位の格付けとされている。

 神殿の背後に「王家の谷」があり、そこに歴代皇帝の陵墓がある。


 陵墓の豪華な副葬品は、盗賊や、戦乱期においては軍隊にすら狙われる。

 墓戸の一族は、これを死守しなければならない。


 このため、墓戸の一族は、寡兵をもって敵を打ち破る武術・魔術や戦略を発達させてきた。


 魔術には、禁忌とされ、他家には許されない死霊魔術ネクロマンシーをも含まれている。

 これにより、歴代皇帝とともに殉死した兵の霊などを使役するのだ。


 ガウデンツィ家は、大神殿があるプロテクテレシエの町の領主でもあり、子爵位を持っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る