聖エレシア山
友達がいない僕の遊び場は、もっぱら聖エレシア山だ。
山は、それ全体が大神殿を治める大司教領とされていて、許可なく立ち入ることが禁じられている。だが、墓戸の一族は別だ。
山麓には、広大な森が広がっている。
手つかずの森は、大自然の宝庫であり、ここの動植物には興味が尽きない。
聖エレシア山は、神聖な霊気に満ちている。
霊気は、すなわち生命エネルギーと言い換えてもいい。生物は、これを取り入れて生きている。
熟練した戦士は、生命エネルギーを取り入れて闘気となし、尋常でない力を発揮する。
魔術師も同様に、これを取り入れて魔力となす。これを用いて、精霊などの不可視の存在の力を借りつつ、自然現象に介入して、これを操る。
人間以外も例外ではない。
聖エレシア山には、膨大で高濃度の霊気=生命エネルギーを求めて、聖なる動物、精霊、妖精などが集まってくる。
そして、僕には、精霊、妖精、死霊などの不可視の存在が小さな頃から見えていた。これは、生まれつきのものらしい。
このことは、家族も含めて、ことさらに他人へ話したことはない。
ある日。聖なる獣として名高いユニコーンと森で出会った。
ユニコーンは純潔を
ユニコーンは、優美な姿に反して
ユニコーンは、僕を目にするとブルっと鼻息を吐いた。
人間ならば、鼻で笑ったといったところか。
僕は見下されたように感じた。さすがに、動物にまでバカにされては不愉快だ。
できるものなら、乗りこなしてみろよ──そう挑発された気がした。
殺し合いならば、魔術を駆使すれば僕がなんとか勝てそうだ。だが、それではつまらない。
――ならば、挑戦を受けてやるさ。
深呼吸をすると、闘気を練った。
気を張ってユニコーンの脇まで疾走すると、脇に生えている立木のコブを足場にして、跳躍する。
ユニコーンは、意表を突かれたようだ。
なんとか背に
首に手を回し、しがみつく。
ユニコーンは、後ろ脚を激しく蹴り上げたり、体を左右に揺すったりと抵抗を続ける。
馬術の訓練では、父に相当しごかれているが、こんな暴れ馬は初めてだ。
結局、5分ももたずに振り落とされた。僕の惨敗だ。
ユニコーンは、何事もなかったかのように、悠々と去っていく。
一〇日後。再び相まみえる。
今度は、一〇分ほどもったが、やはり振り落とされた。
しかし、コツをつかめた気がする。
基本は、体幹をキープすること。
あとは、手でしがみつくだけではなく、足など全身を使ってバランスをとる。
勝負にこだわるあまり、基本がないがしろになっていた──今度こそは……。
一週間後。ユニコーンは、すんなりと背に載せてくれた。
やつも勝負を楽しんでいるのか?
三度目の正直とばかりに、冷静に基本を守る。
今回は一段と激しく抵抗してくるが、こちらも慣れてきた。
バランスをとる動きを、次第に体が覚えていく……そして、いかほど時間が経っただろうか……。
ユニコーンは、突然に動きを止めると、ヒヒーンと一段と高くいなないた。
怒っているのか、それとも悔しいのか……?
僕が背から飛び降りると、ユニコーンは、頭をすり寄せてきた──こいつ……実は、友達が欲しかったんじゃないのか?
ユニコーンは希少種で、個体数も少ないはず。
あながち、的外れではないのかもしれない。
ユニコーンにはルナリアと名付け、従魔契約をした。
普段は、自由に森を駆け回っている。乗りたいときは、呼べば、どこからともなく現れるので不便はない。
◆
山で森を散策していたとき……。
──んっ? ここは、さっき通った場所だ……。
「クックックッ……」と、
気配で居場所の察しはつく。
あんなに悪意をむき出しにしては、見つけてくれ、と言っているようなものだ。
ひそかに闘気を練りながら、迷ったふりをして、少しずつ近づく。
不意を突いて突進すると、あっけなく捕まえられた。
予想したとおり、いたずら好きな妖精のピクシーだった。
ピクシー・レッドという混乱状態にさせる能力を持ち、道に迷わせたりすることで有名だ。
「ちくしょう! 放せ! 放してっ!」
大きさは手のひらサイズで、よく見ると女の子のようだ。
緑色のドレスを着ているし、ちょこっとした胸のふくらみもある。
肩までの長さの金髪は、花やリボンで飾っている。耳がとがっていて、ピアスをつけている。
弱い子を虐めるガキ大将のようで、いやな気持ちになった。女の子なら、なおさら可哀そうだ。
「いたずらしないと約束したら、放してやるよ」
「わかったから! 約束するっ!」
なんだかヤケクソな言い方で、信用ならないが……まあ、いいか、と彼女を放した。
「もうっ! 人間の男の子って、乱暴なんだからっ!」
反省の色が見えないな。
「いたずらした張本人が、どの口で言うのかな?」と軽く脅しをかける。
「ひえっ! あたし、小さくて弱いから。簡単にプチッって、潰れちゃうんだからね」と、彼女は怯えた。少し薬が効き過ぎたかな……。
ピクシーには名前がないというので、カリーナと名付けた。
従魔契約はしていないが、名付けだけでも、それなりの効果はある。
カリーナを花の妖精リリたちに紹介すると、すぐに仲良しになった。
カリーナは、いたずら好きで、ひょうきんで、一緒にいても飽きない。
冒険好きで、ときどきふらっといなくなっては戻ってくる。
そんなことで、彼女の靴は、いつも泥で汚れている。
僕は、呆れながら泥を拭き取ってあげるのだった。
友達になった妖精の中で、一番僕に懐いたのはカリーナだ。
冒険から帰ってくると、いつも僕に付きまとってくる。森の外まで付いてくる始末だ。
一人では怖いが、僕が一緒なら大丈夫らしい。
彼女の姿は霊感のある者しか見えないが、そうそういるものではない。
「へえー! 人間の町って、面白そうなものがいっぱいだね!」
「お店の売り物を勝手に食べたりするなよ」
「えっ? 売り物って?」
──そこからかよ……。
僕は、軽くため息をついた。なんとも、手のかかりそうなやつだ。
◆
山には、
そこであの人と出会った。
「まあ……両手に花なんて、いい御身分ね」と、
ちょうど、花園で、右腕に花の妖精リリがすがり、左肩に
確かに、言われてみれば、ちょっとしたハーレム状態だ。
彼女は、20歳前後の年齢に見える。男とはいえ、まだ10歳の僕よりは、だいぶ身長が高い。
黒髪に黒目の彼女は、目を見張るほどの
長い髪をシンプルにまとめ上げた頭には、深紅の薔薇を飾っていた。赤と黒の対比が優雅さを感じさせる。
ドレスはノースリーブで、スカートは膝丈。タイツは履いておらず生足だ。
令嬢にしては、肌の露出が大きく。大人のエロスのようなものを覚え、頬が熱くなった。
服装からすると貴族の令嬢だが、従者も連れずに、こんな場所に一人? 場にそぐわないな。
それはともかく、何か答えないと……。
「そんなつもりじゃあ……」と、口ごもってしまう。
「まあ。かわいいのね。少しからかってみただけよ。
両手に花は、あなたが好ましい人物なことの
私はノア。ご一緒してもいいかしら?」
「かまいませんよ。僕はルカです」
ノアは、一人分離れた場所に腰を下ろす。
初対面で、親密とはとてもいえないが、距離感を示されたようで、ちょっとだけ気に入らない。
「ルカ。動物は好き?」
「好きで、よく遠くから眺めていますよ。
でも、警戒心が強いから、触れ合うのは難しいですよね」
「そうなのね。でも、動物のことを理解すれば、そんなに難しくはないのよ」
「そうなんですか?」
彼女に連れられて、森へ踏み入る。遠くに鹿の群れが見えた。
その直後、僕は目を見張った。ノアが鹿に変身したのだ。
──ノアも人外の存在だったのか!
不自然さはあったが、人間にしか見えなかったので、予期していなかった。
変身したノアは、鹿の群れに向かう。
そのうちの1頭と会話をしているようだ。
僕には理解が及ばないが、ノアは動物の言葉が話せるらしい。
ノアは、人間の姿に戻ると、手招きしながら囁いた。
「こちらへいらっしゃい。驚かせないように、静かにね」
ノアの指示で用意しておいた
鹿は、じっとこちらを見ているが、逃げる様子はない。
たどり着いて、若葉を差し出すと、僕の手から直接食べてくれた。なんだか癒される。
ノアの手ほどきのおかげで、態度や居住まいで、動物とある程度の意思疎通ができるようになっていく。
さすがに、動物の言葉は無理だったが。
ケガをした小鹿を治癒魔術で治してやったこともある。
だが、その後、動物の世界の厳しさを痛感することになった。
ノアの導きで、
狼は、連携して鹿の群れを追い立てると、逃げ遅れた弱い小鹿に狙いをつける。
親鹿の牽制も力が及ばない。そのとき犠牲となったのが、僕が助けた小鹿だったのだ。
ケガは治したものの、それにより弱った体力は戻せなかった。
自然淘汰の容赦ない厳しさが、僕の胸に深く刻まれた。
ノアは、涼しい顔をしているし、あえて何も語らない。
子どもは親に守られているが、いつか独り立ちするもの。
そうなってから慌てても、取り返しがつかない。
ノアの無表情は、逆説的に強烈な説得力があった。
◆
ある日。森で、生まれて間もない黒い子犬を見つけた。
弱っていて、今にも死にそうだ。
「なんとか助けられないでしょうか?」
「あなたも懲りないわね。
助けたとしても、森に返したら死ぬ運命なのよ。
それとも、ずっと面倒をみるとでもいうの?」と、ノアは厳しいことを言う。
「できるものなら、そうしたいけど……」
「その子は、ダイアウルフよ」
「えっ! そうなんですか? でも……」
ダイアウルフは、魔獣の一種だ。
通常の狼の体長は成人の半分ほどだが、ダイアウルフは、その倍以上に成長する。
顎が発達していて、鋭く長い牙がある。
特徴は、魔力を操り身体強化・身体能力強化できること。魔獣と言われる
このため、通常の狼よりも、よほど恐ろしい。
体毛は、白色,浅黄色,柿色,灰色、黒色が混合しているが、この子狼は、黒一色。
特異な個体だから、親に見捨てられたのか?
「そもそも、まだ生まれたてだから、乳で育てる必要があるわ」
「う~ん。そうですか……牛乳じゃダメですかね?」
「それは、なんとも言えないわね」
そのとき、マグナスの意思を感じた。
影から出たがっている。
従魔は、主人と魂のパスがつながっているので、意思疎通ができる。
「マグナス!」
呼ぶとマグナスが勢いよく影から出てきた。
見れば、体が一回り小さい犬が付き添っていたので、驚いた。
──ちゃっかりと、
そして、マグナスの意図を把握した。
番の雌は、乳房が張っている。
子どもを産んだ直後なのだろう。乳を分けてくれるつもりなのだ。
牛よりも犬の方が狼に近いから、育ってくれる可能性は高い。
「マグナス。ありがとう」と、声をかける。
ツンと上を向いているマグナスが、誇らしげに見えた。
子狼に魔術で少しだけ生命エネルギーを分けてあげる。
そっと抱き上げ、横たわっているマグナスの番の乳首の脇に、そっと置いた。
後は、自力で飲むことを祈るばかりだ。
子狼は、しばらくクンクンと臭いを嗅いでいる。
その様を、固唾をのみながら見守る。
そして、ようやく乳首の場所を探りあてると、しゃぶりついた。
前足で乳房を踏み踏みしているが、動きは弱弱しい。
ちゃんと飲めているのだろうか?
幸い、子狼は順調に育ってくれた。
二週間もすると、死にそうだったのが嘘のように元気に走り回っている。
マグナスの子どもたちに混じって遊ぶ姿は、やんちゃで元気があり余っている。
ある程度成長したところで、フェロックスと名前を付け、従魔契約をした。
「よかったわね。これも、あなたの日頃の行いがいいからよ」
「そうでしょうか?」
いつもはクールなノアが褒めてくれたので、僕は、照れて赤くなった。
嬉しい反面、不安もある。
ノアは、なぜ良くしてくれるのだろう? こんな僕のために……。
まだ
ノアも、それを語ろうとはしなかった。
ノアの美しさは完璧で、透き通るような肌に、スレンダーな体型、
だが、どこか影があり、
気高く、謹厳な教育者といった感じだ。
親しくなりたい願望はあるものの、恭敬の念を覚えてしまい、一歩が踏み出せない。
僕はノアに憧れたし、それ以上の感情を抱いた。
それは恋なのか、何なのかわからない。
とにかく、好意には違いない。
彼女の姿を思い浮かべると、胸がほんのり暖かくなるが、少し苦しくもある。
歪んだ鏡に映った像のような、不定形で朦朧とした感情だ。でも、嫌じゃない。
これが恋なら、初恋だった。
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