第2話

 “キャーーーーーーーーーー!!!”


 薄ピンク色のタイルが敷き詰められた空間に、女の悲鳴が響く。


 ふむ。我はどうやら女用の風呂場か何かに転移したらしい。


 そもそも人が存在する世界に辿り着く事すら、奇跡のような低確率だと想定していたというのに。まさか、ピンポイントでこのような場所に出るとは。

 どうやら我の運も中々捨てたものではないようだな?


「お、男!?」「なんでこの場所に男が!?」「お、大き過ぎない……?」「急いで武官の人呼んだ方がいいんじゃないの!?」「……でも、ちょっとカッコイイかも」


 しかしアレだな。周囲が女ばかりというのは気分がいい。


 見渡す限りの肌色。肌色。肌色。肌色。

 ここにいる全ての女が、裸のまま揃って我を見つめているのだ。その眼に宿る感情が敵意や嫌悪、恐怖であるといった、些細なマイナスポイントこそあれど、な。一部の奇特な者に関しては、早々に我に好意を抱き始めているのも評価点だ。


 実に眼福ではないか。異なる世界に来て早くもこのような絶景を拝めるとは。


 容姿についても、我基準で美しいと思える者が実に多い。

 恐らく容姿に関して何かしらの基準を定め、それ以上の美貌を持つ者を優先的に集めたのだろうな。

 適当に集めた結果、全ての女が美女だったという事は有り得まい。


「――大丈夫か!? 何があった!?」

「鷹峰さーん!」「よかった、これでもう安心ね」「お、男が……」

「男? どうしてこの場所で男の話題なんて……」


 む、我が肌色に惹かれている間に外から人が来てしまったようだ。


 やってきたのは……ほほう、あの女か?


 周りの女達と比較して高い身長。美しい切れ長の目。スタイルもいい。ここでは黒髪黒目の者が多いのだろうか? 中々エキゾチックでよいではないか。


「な、ここに男だと!? ――侵入者かッ!」

「まあ待て。我とてなにも好きでこのような場所に来たのではない。ここは一度場所を変えて仕切り直し、それからゆるりと言葉を交わす、というのはどうか?」

「阿呆め! 一体どこに侵入者の言葉を聞く馬鹿がいるかッ!」


 まあそれはそうよな。至極当然、当たり前の判断ではある。

 怪しい侵入者の言葉を聞く必要などどこにもない。


 我が臣下どもの中には、不埒者などその場で即座に処断してしまえばいいと考える者すら存在している。過去にはそういった者の暴走によって、重要な情報を持つ敵国の人間が、危うく命を落とし掛けた事もある。うむ。懐かしい思い出だ。


 しかし困ったものだ。そういった者を説得するのは手間が掛かる。


 実際、あちらからすれば我は突然風呂場に現れた怪しい人間。

 話を聞くにしてもまず制圧してから、と考えるのはそうおかしな事ではない。こちらとしてはあまりよくはないが。……いや、困った困った。


「怪しい者め、覚悟ッ!!!」


 女はどこから取り出したか、ハルバートを手に襲ってきた。

 武の心得があるのだろう。太刀筋はいい。パワーもある。

 しかし些か勢い任せなところがあるのは否めんな。武が専門でない我ですら未熟だと感じるほどなのだ、その道の達人が見れば言いたい事が山ほどあるだろう。


 ――ふむ。せっかくだ、少しばかり遊んでみるか。


「セェエエエイァアッ! ハァッ!!」

「中々に良い気迫だ。迫力がある」

「フンッ!! エェェイヤァアッ!!!」

「ほう? 華奢な身で大胆な真似をする」

「――私が華奢!? お、お前は何を言って……!?」


 んむ? 急に頬を染めたりして、一体何を驚いているというのか。

 我は女が風呂場の床を一撃で粉砕した事を、素直に称賛しただけなのだがな。まったく、華奢な見た目で随分と豪胆な真似をするものだ。

 女はそれくらい型破りな方が愛で甲斐もあるというものだが。


「美しく、力もある。貴様のような人間を召し抱えられた者は幸運だな。ただ強いだけ、美しいだけの者は世に五万といるが、双方を兼ねた者は意外と少ない」

「こ、今度は美しいって……ッ!!」


 うーむ。この女は先程から一体どうしたというのか。これほどの美貌ならば容姿を褒められる事など慣れておるだろうに。些細な誉め言葉に一々反応しおって。


 ――待てよ? この反応、もしや本当に褒められ慣れておらんのか?


 この女に対して贈った言葉など、我が普段妻達に贈っている言葉の百分の一にも満たない些細なものだ。だが、それだけで目の前の女は照れに照れていた。女の美しさから考えれば、これはまったく有り得ない反応である。


 しかしだ。我は魔王として、価値観が違う種族を幾つも見てきた。


 この世には我のように顔を美の基準に置く種族もいれば、身体の大きさ、知識の数量、足の数、翼の色合い、吐く糸の粘度、己の無能さを美の基準に置く種族もいる。


 女も恐らくはそういった我とは違う美の基準を持つ種族なのだろう。


 あまりにも勿体ない。種の価値観は千差万別故仕方ない事ではある。だが我の下であれば、些細な言葉で一々動揺などせんほどこの女を褒めてやるというのに。

 ……今からでも遅くはないか? 褒めに褒めまくり、堕としてみるのも一興か。


「褒められ慣れておらんのならば、この我が幾らでも褒めてやろう。貴様の眼も髪も体も全てが美しい。まるで春を告げる梅の花のように高潔な魅力に溢れている」

「!? ……いい加減にしろッ! そのような世辞には惑わされないぞッ!!」


 思いのほか効きが悪いか? 存外難しい女のようだな。

 だがまったく効果がない訳でもなさそうだ。ここはじっくりと時間を掛け、少しずつ心を説きほぐしていくのがよさそうだ。


 なに、時間ならばある。それに趣味の一つもなくば健康に悪い。


「ハァアアアッ! フッ!! ゼイヤァアアアッ!!!」

「クワハハハッ! いいぞ、その調子だ」

「くっ、このっ! ――真面目に戦え!」

「おかしな事を言う。こちらは真面目だとも」


 本気など出してしまったら、殺してしまいかねんからな。戦いの最中、ずっと真面目に手加減をしている。万が一にも力を籠め過ぎて、殺してしまわぬように。

 女も中々よい戦いをするが……流石に我や神族に伍するほどの力はない。


「このっ、いい加減にっ! 当たれぇえええええッ!!!」

「おいおい壊し過ぎではないか? もはや風呂場の原型が見る影もないが」

「お前みたいな不審者を倒す為のっ、必要な犠牲だっ!」


 それなりに楽しく遊ぶ事が出来た。ここらでこの戦いも辞め時だ。

 正直、我としてはまだまだ遊び足りん気持ちはある。だが……これ以上は女の体力が保つまい。さきほどから肩で息をしている。太刀筋もややぶれ始めた。

 名残惜しくはあるものの、引き時を弁えぬのは愚か者のすることよ。


 しかし停戦を申し出たとて女が受け入れるだろうか?

 疲労は伺えるものの、女の戦意は未だ高い。

 とても素直に我の言葉を聞き入れるとは思えぬが……果たして。


「女。ここらで仕舞いとせぬか? 貴様も限界だろう」

「馬鹿め! まだ不審者がいるのにやめられる訳ないだろうッ!」


 やはり受け入れぬか。――ならば仕方ない。


「そうか。では貴様には一度、眠ってもらうとしよう」


 状況を進める為、一旦女の意識を奪う。

 そうしてから話の分かる者を探せばいい。


 極技発動――展開。


 “我に歯向かう者共よ、思い知れ!”


「!? させるかっ!」


 “これより放つは万死の一撃”


「セェイッ! ハァッ!」


 “逃れ得る者はおらず”


「くっ、なぜだ!? なぜ攻撃が当たらない!?」


 “耐え得る者もまたいない”


「こいつは防いですらいないのに!」


 “我が前に立った事、後悔するがいい! ――受けよ!”


「どうして……!?」


 女が必死に我の行動を止めようと攻撃しているが――無駄だ。


 我は極技発動中、超超高密度の魔力を纏っている。

 魔力とは普段は実体を持たない物質でありながら、ひとたび人が指向性を与えてやれば、瞬く間に剣にも鎧にもなる不可思議な性質を持つエネルギーだ。

 それによる防御は、魔力を纏っていない者では絶対に破れない!


 そしていよいよ詠唱も終わった。

 いざ、攻撃の時だ!



「弱! “敵打ち砕くはダ・デモンキングス――「――そこまでよ!」――む?」



 我がまさに魔法を放とうとした――その瞬間。

 突如聞こえてきた幼い少女の声が、我の動きを停止させた。


 一体なんだ? そう思う暇すらなく。


 ――直後。


「この場はこのあたし――宝条院美咲に預けてもらうわ!」


 ババーン!!! と。

 特大の効果音が出そうなほど派手に! 盛大に! 勇ましく!


 その少女は登場した。


 勝気な表情。我より4、50cmは低い身長。

 黒曜石の如き黒髪と琥珀色の瞳。胸は無し。


「分かったわね? 二人とも」


 そして唖然とする女と眉を上げた我を見て。

 少女――宝条院美咲はそう言った。

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