愛のない婚約
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──愛のない婚約
皇帝の譲歩というのは第一皇子であるウィリアムの婚約者にシエナを指名したことだった。皇帝は譲歩というよりも、アシュクロフト家を無理やり皇室に組み込むことによって、イーサンに財政改善をやらせようという思惑があった。
「初めまして、ウィリアム殿下」
シエナは淑女らしい丁重な礼儀でウィリアムに挨拶する。
「ああ。初めまして、シエナ嬢」
だが、ウィリアムにはシエナに関心があるように見えなかった。
「今日からこの城でお前には暮らしてもらうが、いいな?」
「……殿下。申し訳ないのですが、お医者様が仰るには私は帝都より、領地で過ごした方が健康にいいそうなのです」
「駄目だ。お前には城にいてもらう」
シエナは空気の淀んだ帝都より田舎ではあっても空気の清い領地で、これまでと同じように過ごしたかった。だが、ウィリアムはそれを拒否した。
「城にも医者はいる。それにお前は仮にもこの俺の婚約者なのだ。俺が出席する行事には出席してもらう。それともお前は俺に恥をかかせたいのか?」
「いえ。そんなつもりは、決して」
「なら、言われたとおりにしろ」
こうしてシエナの慣れない城での生活が始まった。
宮廷での行事があればシエナにも出席が求められたが、ウィリアムはシエナを他の貴族たちに紹介することもなく、ただ横に置いているだけ。
宮廷は確かに華やかなものだったが、人々はシエナによそよそしく、長く病室で過ごしてきたシエナにはどこか自分がここにいるのは場違いだと感じ、苦痛すら覚えた。
父イーサンは領地に戻され、シエナが見知った顔はラルヴァンダードしかいない。
「領地に帰りたい」
シエナは何度もラルヴァンダードにそう言っていた。
「逃げ出すかい? 手伝うよ」
「そうするとお父様はきっと失望される……」
「そうかもね。まるで籠の中の鳥だよ、今の君は。可哀そうに」
ラルヴァンダードはそう同情してみせていた。
「こういう政略結婚は昔からあるものだけれど、正直あまり人道的とは思えないね。血は水よりも濃いというが、血の結びつきだけで物事を判断するのは、どうにも野蛮だし、原始的に思えるよ」
ラルヴァンダードがそう語り、シエナはそれを聞いていた。
「それでもボクは君の傍にいるよ。安心して。君は決してひとりじゃない」
「ええ。ありがとう、ラルヴァンダード」
しかし、シエナの状況はいよいよ辛いものへとなっていく。
ある日、宮廷舞踏会が開かれることとなった。
皇室財政の悪化にもかかわらず開かれた舞踏会には、何人ものシエナに近い年齢の女性たちが参加することになっている。
「似合ってるよ、シエナ。まるで君はお姫様みたいだ」
「ありがとう、ラルヴァンダード」
シエナも公爵令嬢として着飾ったものの、そのドレスを褒めてくれるのはラルヴァンダードだけであった。
シエナは舞踏会に参加するウィリアムの下に急ぐ。
「ウィリアム殿下。お待たせしまして申し訳ありません」
「全くだ。服を着るだけにいつまでかかっている」
ウィリアムは依然としてシエナに興味を示そうともせず、それどころかその態度は最近になって露骨にシエナを拒絶するものになっていた。
この舞踏会ではそれが顕著に現れた。
「ミリー嬢。一緒に踊っていただけますかな?」
「もちろんです、殿下」
ウィリアムがダンスの相手に選ぶのは宮廷貴族の娘ばかり。婚約者であるはずのシエナとは一曲として踊ろうとしないのだ。
ずっとシエナは席に放置されたまま、ウィリアムは笑顔で若い宮廷貴族の娘たちとのダンスを楽しんでいる。
「殿下。シエナ嬢とも躍られては?」
流石に見かねた内務大臣のディランが進言する。
「あれは病弱で踊れないのだろう。転んで怪我でもされては困る」
ウィリアムはそう平然と言い返し、ディランはそれに対して何も言えずにシエナに同乗の視線を向けるばかり。
結局のところ、シエナは一曲も踊れないままに宮廷舞踏会は終わった。
シエナが体を本格的に崩したのはその日からだ。
酷い息苦しさと発熱が彼女を襲い、彼女は部屋で安静にして過ごすことになった。宮廷にいた医者は領地の医者より役に立たず、処方を間違った薬が余計にシエナの体調を悪化させていた。
そのような状態になったシエナにウィリアムは見舞いにも来ない。
「シエナ。もういいよ。君は頑張った。領地に戻ろう」
ラルヴァンダードはシエナを心配してそう言う。
「駄目です。まだ駄目です。お父様も頑張っているのだから私も頑張らないと」
「そんなことはお父さんだって望んでないさ。君が無事に帰って来てくれることを彼は望んでいるはずだよ。ボクが伝え来ようか?」
「いえ。まだ大丈夫ですから……」
シエナは耐えた。ウィリアムがきっといつかは自分に振り向いてくれて、自分が父を失望させずに義務を果たせることを祈って。
だが、そうはならなかった。
「ウィリアムは狩猟大会に行ったそうだよ。そこで彼は運命的な出会いをしたそうだ」
ラルヴァンダードが酷く冷たい口調でそう言う。
「イザベル・セイヤーズという宮廷貴族の娘。彼はその女性に夢中になっている。狩猟大会からの帰りに、そのまま彼女の屋敷に泊まったそうだ。そして、そのままベッドを共にしたとか」
シエナはラルヴァンダードの言葉に何も言わず、ただじっと彼女を見ている。
「唐突かもしれないけれどボクには時間を超える手段がある。それによって未来を見てきた。だから、君のために予言しよう」
そんなシエナにラルヴァンダードは告げた。
「ウィリアムはイザベルを取る。君ではなく。あの男は君との婚約を破棄し、アシュクロフト家には冤罪を負わせ、君たちの財産を没収する。君もお父さんも追放され、流刑地で無念の中、死ぬことになる」
ラルヴァンダードの予言は否定できないものであった。
「ボクはこの国が潰れようが、栄えようが興味はない。どうなったって知ったことじゃない。けど、ボクは君が不幸になるのは受け入れられないよ」
「……どうすればいいのですか?」
「これまでボクが君に教えてきたことを思いだして。英雄や指導者がどうやって難局を乗り越えてきたのか。君には才能があるはずだよ。ボクが家庭教師だったんだから」
シエナはラルヴァンダードにそう言われ、考え込むように俯く。
「……私はこれから領地に戻りますが、戻る前に内務大臣のゴールドストーン閣下にお会いします。彼の力が必要です」
「決断したんだね?」
「はい。私も不幸なまま惨めに死ぬのはごめんです。このままゆっくりと絞め殺されるぐらいなら──」
シエナの赤い瞳にある種のカリスマめいた光が宿った。
その光はこれまで英雄と呼ばれる指導者たちが宿し、そして暴君と呼ばれる指導者たちも宿した光である。
「
シエナがどちらなのかは今は分からない。
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