皇室財政

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 ──皇室財政



 帝国において皇室の金庫と帝国の国庫はほぼ同じものである。


 その皇室財政の不健全化が指摘されたのが、この年の大きな出来事だった。


 複数の新聞社が皇室財政が極度の赤字であり、このままならば国庫が底を突くということを報じたのだ。


 公務員への給与の支払いが滞り始め、新たな課税がいくつも発表され、帝国には大きな不満が蠢き始める。


 そして、この話はシエナにとっても無関係ではなかった。


「私に大蔵大臣を任せたいと皇帝陛下から言われたよ」


 シエナは今では自宅で療養しており、父イーサンと食事を共にしていた。その食事の席でイーサンは疲れたようにそういう。


「受けられたのですか?」


「いいや。断った。私が提案した財政健全化の手段は全て否定されたからね」


 驚くシエナにイーサンは力なくそう語った。


「皇帝陛下は追加の課税を今の大蔵大臣であるドナルドソン卿に命じられるが、それは庶民に対する課税になるだろう。私はそれに反対したのだ」


「もう既に庶民は多くの課税を受けているからですね」


「そうだ。これ以上課税すれば正常な経済活動はマヒし、闇市で庶民は取引を行うようになるだろう。いくら課税しようとも何も入って来なくなる。それどころか闇市を仕切るような犯罪組織が増長し、治安も悪化する」


 酒税やタバコ税の他にお茶や布にも課税が行われている。市民は重税にあえぎ、帝国の経済活動は徐々に鈍化しつつあった。


「では、お父様はどのような解決を提示されたのですか?」


「まず宮廷貴族たちへの無思慮な支出を止め、逆に課税することを提案した。そして、得られた資金で新しい国立銀行を作り、その銀行を中心に経済を立て直す。それが私の示した解決方法だよ」


「お父様ならば銀行経営の実績がありますね」


「そう。私はそう提案した。しかし、宮廷貴族たちが皇帝陛下を誑かしている。宮廷貴族にとって不都合な人間は徹底して貶められるのだ。私も宮廷貴族たちに攻撃されたよ。あの忌々しい連中は公爵である私を田舎者呼ばわりだ」


 イーサンは腹立たし気に、あるいは悔し気にそう語り、珍しく父が感情を乱しているのをシエナは感じ取っていた。


 それから公爵家の屋敷に何人もの高い身分の人間が訪れるようになる。


 最初にやってきたのは長年内務大臣を務めるディラン・ゴールドストーンだ。彼は内務大臣時代に侯爵になっており、イーサンとも知り合いだ。


「アシュクロフト公閣下。あなたにどうか大蔵大臣の地位を受けていただきたい。今の帝国を救えるのはあなただけなのです」


 ディランは宮廷貴族の腐敗した主流派とは距離を置いており、あくまで皇帝を頂点とする帝国の体制を維持することのみに熱心だった。


 その帝国が壊れかけているのに一番に危機を覚えただろう人だ。


「無理を言わないでくれ、ディラン。今の私に何ができるというのだい? 私が何かしようとすれば宮廷貴族たちが私を総攻撃する。連中を宮廷から一掃し、皇帝陛下から全権を委任していただけるならば考えるがね」


「あなたなら何かいい方法を思いつくのではないですか? 有識者たちはあなたは最高の銀行家であり、経営者であり、経済学者であると口を揃えるのですよ。こうして莫大な富をあなたは現実に築き上げている」


 アシュクロフト家は非常に裕福な家だ。


 いくつもの金鉱山を有していたことがその始まりだが、アシュクロフト家の歴代の当主たちは金鉱山はいずれ枯れると理解していた。


 そこで金鉱山で得た富を元手に投資を行った。銀行を設立し、交易港を整備し、他の貴族たちの事業に投資し、株を買うことで、その富を膨らませていった。


 いつしか莫大な富が築き上げられており、アシュクロフト家は公爵となっていた。


 歴代の当主たちにあった経済の臭いを嗅ぐことが、イーサンにもできたことで、今もその富は膨らみ続けている。


「それに赤字の原因は宮廷貴族だけにないことはご存じでしょう。過去2回の戦争での出費もあります。戦争には金がかかる。戦争を行うだけでなく、その片づけをするのにも金はかかるのです」


「赤字の原因はいろいろあるだろう。だが、解決する方法はひとつだ。宮廷貴族への支出の抑制と課税。それなくして解決はあり得ない」


「公債を発行するのは?」


「ディラン。もはや公務員への給料すら滞り始めている国の公債を、どこの誰が買い入れてくれるのだ? 公債はこのような場合、役に立たない」


 イーサンとディランは何度も話し合ったが、イーサンは大蔵大臣への就任を拒否し続け、ディランもまたここまで現状を放置した皇室に疑問を覚えていくだけだった。


 問題は解決せず、財政は日に日に危機的になり、国内の治安が不穏なものとなるのに陸軍の将軍たちまでもが、イーサンを頼ってやってくるようになる。


「サウスゲート上級大将。私を評価してくれるのは素直に嬉しいが、だが何度も言ったように私には政治力が不足している。所詮は宮廷での政治に加われなかったなのでね」


「では、政治力さえあれば問題を解決できると仰るか?」


 陸軍参謀総長たるスタンレー・サウスゲート上級大将はイーサンにそう尋ねた。


「この国の法と良識に則った形で政治力が手に入れば考えよう、上級大将」


「ふむ」


 イーサンの言葉に軍が何らかの暴力的な手段で権力を得ても、協力はしないということを暗に示していた。


「しかし、このまま将兵への給料の未払いが始まれば反乱が起きる可能性もある」


「だとしても、私にはどうにもできないよ。私は皇帝ではないし、神でもないんだ」


 そんなディラン、サウスゲート上級大将、他の貴族が次々にイーサンの下を訪れるのを、シエナはラルヴァンダードとともに見ていた。


「この国はあまりいい方向に進んでいないようだね」


「ええ。お父様ならこの国をよくできるのかもしれないそうですが」


「だが、彼には力がない」


 ラルヴァンダードはシエナの部屋で彼女とティーテーブルを囲んでいた。


「不幸なことだ。知恵のあるもの力がなく、愚か者に力がある。こういう状況では国は簡単に滅んでしまう」


「そのようなことは実際にあったのですか?」


「うん。明という国が昔あった。大きな国だった。けど、そこには優秀な官僚の他に宦官という、この国で言うところの宮廷貴族がいた。彼らは官僚たちがやることを妨害し、権力争いに明け暮れ、そして国は滅んだ」


「そうなのですね。私たちもそうなるのでしょうか……」


「どうだろうね。まだ希望はあるように思えるよ」


 ラルヴァンダードはシエナの顔をじっと見てそう言う。


「皇帝は譲歩しなければ、このままでは無一文だ。だから、絶対に何かしらの譲歩をする。そこで君のお父さんが力を握れば、この国を立ての直してくれるかもしれない」


「希望はある、と」


「まだ民衆の反乱も他国の侵攻も起きてないんだ。大丈夫だよ。きっとね」


 シエナが言うのにラルヴァンダードはそう言ってくすくすと笑った。



 ことが大きく動いたのは、財政悪化が報じられたから6か月後のこと。



 イーサンとシエナはともに皇帝の命において帝都に呼び出され、その場で皇帝の譲歩について聞くこととなった。



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