病室の友人

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 ──病室の友人



 時は遡ってシエナが10歳の誕生日を迎えたときとなる。


「誕生日おめでとう、シエナ!」


 父イーサンは誕生日プレゼントに大きなクマのぬいぐるみをシエナに送った。


 しかし、そこは暖かな我が家ではなく、消毒用アルコールの臭いがする病室だ。


「ありがとうございます、お父様」


 シエナはパジャマ姿のまま、笑顔でクマのぬいぐるみを受け取り抱きしめた。


「これで少しは寂しくなくなると父さんは嬉しいんだが、どうかな?」


「ええ。もう寂しくありませんよ」


 いつもお見舞いに来るのはイーサンだけ。シエナの母ソフィアはシエナを出産してから数日後にこの世を去っている。


 そのイーサンは多忙な身だった。


 アシュクロフト家は裕福な家だが、その裕福さを維持するためには、いろいろとしなければならないことが多すぎたのだ。


 イーサンはいくつもの投資を行った事業や物件を保有しており、それらの収益などを踏まえて新たな投資を行う必要があった。


 娘より金の方が大事なのかと、そう尋ねられればイーサンは否定しただろう。だが、シエナの子供らしからぬ聞き分けの良さにイーサンは甘えていたと言えば甘えていた。シエナはずっと病院で過ごしているが、文句を言わない。


「そうだ。今日はケーキも準備してもらったぞ。一緒に食べよう」


「はい」


 それからイーサンはシエナとささやかな誕生日ケーキを食べ、無事に10歳の誕生日を迎えられたことを祝ったのだった。


「それじゃあ、また来るから頑張るんだよ。ああ、そうだ、病棟で友達はできたりしていないのかい?」


「病棟の方ではありませんが、友達はいますよ」


「そうか。いつか紹介してくれ。愛しているよ、シエナ」


「私もです、お父様」


 親子は抱擁を交わすと、父は去っていった。


 病室にはシエナひとりになる──はずだが。


「よかったね、お父さんが来てくれて」


「ええ。嬉しいです」


 誰もいないはずの病室に誰かの声がする。


 それは通常の人間の目では見えない存在の声。この世ならざるものたちにして、見えてはいけないものであり、関わってはいけない存在。


 悪魔や死霊。そう呼ばれるものたちだ。


 シエナの目はそれが見えた。


 彼女の目にはベッドに腰かけているひとりの少女が映っている。美しい濡れ羽色の髪をとても長くくるぶし付近まで伸ばし、シエナと同じ赤い瞳をした少女である。


 その少女はシエナの方を見て笑みを浮かべていた。


「シエナはあまり我がままを言わないから、お父さんも助かっているだろうね。君ぐらいの年の子なら病院なんて30分も我慢できずに騒ぎ出すのが普通になのに。君はもう3年もこの病院にひとりで入院している」


「私の体が弱いせいですから。だから、我慢できるんですよ、ラルヴァンダード」


 その少女はラルヴァンダードと呼ばれた。


 これまでシエナには彼女だけにに見える、多くのものが見えてきた。グロテスクな異形がいれば、普通の人とは変わらないような存在まで。


 ラルヴァンダードはその中では理性的で、害がなく、むしろ害となるものたちを遠ざけてくれる存在であった。


 彼女を友人としてから、シエナは孤独を感じたことがない。


「そんな君ももう少しで退院だろう? かなり体調がよくなっていて、あとは自宅療養でもいいって先生が言っていたね」


「ええ。もう少し頑張れば、退院していいという許可は出そうです。自宅も病院もあまり変わらないでしょうけど」


「けど、言うじゃないか。おうちが一番ってね」


 ラルヴァンダードはシエナにそう言い、くすくすと笑う。


「……私が退院したら、ラルヴァンダードはどうします?」


「ボク?」


 シエナがそう問いかけるのにラルヴァンダードは考え込むように首を傾げる。


「ここに残ってもいいし、君と一緒に行ってもいい。君次第だよ、シエナ。君はボクにどうしてもらいたい?」


「一緒に来てほしいです。あなたは私にできた大切な友人ですから」


  ラルヴァンダードがそう尋ね、シエナはすぐにそう言った。


「なら、君と一緒に行くよ。まずは君が退院できないと約束しても意味はないけれど。よく食べて、よく眠り、体力をつけるといいよ」


「はい。努力します。それからお話を聞かせてもらっていいですか?」


 シエナの病室での楽しみはラルヴァンダードが語る異国の物語だ。ラルヴァンダードはこの世界や別の世界──異世界の物事についての知識がある。


 シエナにはラルヴァンダードが語る英雄や指導者の話が唯一の娯楽であった。


「では、今日はエリザベス1世の話をしよう」


 ラルヴァンダードがそう語り始める。


「この女王の父であるヘンリー8世は酷い王だった。自分の権力を継ぐ男の子を生ませるためにいろいろな女の人と離婚しては結婚した。エリザベス1世の母もそんなひとりだったけれど、彼女も男の子を生めなかった。そうしたら!」


「そうしたら?」


 シエナが興味を持って尋ねる。


「もういらないと存在しない罪を捏造して、斬首刑に処したのさ。首をバッサリ。今でも彼女の幽霊は処刑された場所を彷徨っていると言われているよ」


「酷い」


「酷いだろう。けど、こんな生まれのエリザベス1世は女王になるんだ。そして偉大な時代を築き上げた名君になる。彼女も父親と同じくらい残忍だったという人もいるけれど、残忍でない王様なんてこの世にはいないさ」


 シエナが悲しそうな顔をするのにラルヴァンダードは愉快そうに笑う。


「興味深いのは彼女の下には優秀な人材がいたということ。特にスパイマスターとして知られるフランシス・ウォルシンガム。彼は女王エリザベス1世を暗殺の危機から何度も救ったと言われている」


「スパイマスター、ですか?」


「情報というものはどんな黄金にも勝る。情報を活かせば黄金はいくらでも手に入るし、黄金を持っていても殺されることを避けられる。情報の価値はとても大きいということを君も理解しておくよいいよ」


「私はあなたからこうして話を聞くのが唯一の情報です」


「では、ボクは君のウォルシンガムだね、陛下。スパイマスターとして君のために情報を集めようじゃあないか」


「ええ。楽しみにしています」


 ラルヴァンダードとシエナはこのように何度も楽しく会話をし、シエナはひとりきりの病室の孤独から逃れていた。



 シエナが退院したのは、これから2週間後のことだった。



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