依存

 自分を守るためか、騒ぎを起こさないためか、染みついた事なかれ主義のせいか、重ね続けた嘘の重さに耐えられなくなったのは中学二年の春でした。その春は世界的パンデミックの渦中で、部屋に引き篭もる日々を余儀なくされていました。光で感じることもなく、音で感じることもなく、肌で感じることもなく、溶けていく冬。季節がどんなに明るくなろうとも、変わらない日々は私の中の何かを壊したようでした。そこで出会いました。運命のようなあの人に、そしてその人こそが私自身が犯した明確な罪の被害者です。

 初めて話した時、その人は友達の彼氏でした。しばらくして別れてしまったようで、何がきっかけだったという訳でもなく話すようになりました。こんな私でも、最初から春に何も期待しなかった訳ではありません。新しい出会いの季節の春に出会ったその人はどこか生活の中に死を飼っているように感じました。私の感性は正しかったようで、その人は幾度か自殺未遂をしたことがあるようでした。自宅の窓から落ちてみたり、車の前に飛び出そうとしたことがあるとのことでした。でも、死ぬには高さが足りず、車側にかかる迷惑を考えたら自己嫌悪を募り、結局両方未遂に終わったと。俺はいらない人間だからというのが口癖でした。俺の近くにいる人は不幸になる。一人残らず不幸になる。だから、近づかないでくれと。ダメなのだと。私はそんなその人の側にいるのが心地よかったのです。私はもう不幸だから、あなたの側にいたって変わらないと言いました。一緒にいたいと言いました。それほどに夢中になっていました。依存というのでしょうか、なんとなく暇な夜には、決まってあの人と電話をしました。

「生きるってなんだろうね。」

「死なねえことじゃね。てか、病んでる?」

「あ、ばれた?」

「わかるわ。あほ。」

「あんたほどじゃない。この間の成績見る?」

「負け確だからやだ。ね、聞いて。今日告白された。」

「おーおめでと、リア充は爆発必須ね。」

「ひっすって何。」

「ほんとバカ。」

「てか、付き合わねえよ。」

「そ、なんで。」

「俺の彼女が可哀想。こんな俺のどこを好きになるんだか。」

「そういうとこじゃん?」

「どういうとこ?」

「病んでるとこ?てか、なんか独特じゃん。」

「褒めてなくね。バカにしてるだろ。」

「うん、貶してるかもね。」

「けなす?って何。」

「ガチでバカ。」

「うるせえ。」

「ごめんて。」

「許すかも。」

「そこは二つ返事で許してよ。」

「二つ返事って(割愛)」

 必要でした。こんな会話ができる人は他にいなかった。私たちは軽い言葉で傷つけ合いました。そうすることで互いの存在を互いに刻んでいたのです。欲しい言葉を知っていました。嫌な言葉も知っていました。嫌だと言うことも、バカだと言うことも、知らないと言うこともできた。繕うことは必要なく、正直な言葉を紡ぐことができる相手だった。

 だからこそ、好きだよ、この言葉を言ってしまったから。その日々は終わってしまった。あなたの必要を私は奪ってしまった。この人とバカなことを言いながら一生を過ごすと勝手におもってしまったから、あの人との関係に名前をつけたいと望んでしまったから。あの人はこう言いました。

「俺の彼女は不幸になる。俺はお前をこれ以上、不幸にしたくない。それでも、お前と話す毎日が俺の希望なんだ。」

 そこで引き下がればよかったのかもしれません。そうだよね、冗談だよって。驚いた?って、伝わる嘘で隠して繕ってしまえばよかったのかもしれない。いつか、そんなこともあったねって笑い合える日々を想って、今は宝箱にしまっておけばよかったのかもしれない。

 現実はそうはいかなかった。あの時の私にあったのは、溢れ出した罪悪感の行き場と名前のついた関係への憧れ、自己中心的な欲だけでした。

「何度も言ったけど、私はもう不幸だから。私のことなんて気にしなくていいの。それに、あんたの側に居れなくなったほうが不幸になるに決まってる。」

「嬉しいけど、ダメなんだよ。俺、死ぬから、幸せにな。」

「なんでそんな話になるのよ。あんたが死んだら私も死ぬに決まってるじゃん。」

「何言ってんだよ。」

「振るなら、もっと真っ当な理由を言ってよ。」

「思いついてたら、とっくに言ってるよ。でも、ダメなんだってことだけはわかるよ。俺の隣なんてお前に似合わない。釣り合わない。」

「釣り合わないって、誰の価値観で?ねえ。」

「今日話しても、結論は出ないよ。もう、寝よう。全部お互い忘れてさ。」

「忘れないでよ。私の言葉、無かったことにしないで。」

「わかった、またあしたな。おやすみ。」

「絶対、またあしただからね。おやすみ。」

 私とその人の物語はここで終わります。私はいまだにまだその人から送られてきたごめんの文字に既読をつけられていません。翌日、彼は学校に来ませんでした。彼の家の近くで、昨晩事故があったことを次の日の朝、友達から聞きました。彼が怪我をしたことをHRで知りました。彼が車道に飛び出してしまったことをしばらくしてから風の噂で聞きました。それから、彼に会うことはありませんでした。あの日以来、学校に来なくなった彼に私が伝えられることも伝えるべきこともありませんでした。私が先を願わなければと考えなかった時間はありませんでした。

 私は依存していました。間違いなくあの人に。自分の心の悪どさを罪を彼に話すことで落ち着けていたんです。そのせいであの人を壊してしまった。ごめんなさいという言葉も言えずに、あの人は私の世界から消えてしまった。自分が半分なくなった気持ちになりました。罪の重さが胸に突き刺さりました。あの日も、彼に好きだと言いたくなった日も彼との電話の後、我に返って心が闇に染まってしまった時に、こんな風にあなたに手紙を書きました。犯してしまった罪のこと。傷つけてしまった人のこと。私の罪の重さと。どう生きていけば良いかという不安を。たった一人の友達のあなたに。

 あなたは出てきて言いました。あの日の言葉は今も一言一句間違えることなくいうことができます。

「ねえ、そんなに自分を責めて楽しい?ていうか、あんたは何回失敗するわけ、そろそろ学びなよ。全部軽く見ればいいじゃん。楽しく生きればいいじゃん。そんな考え込まないで、ああ、やっちゃった。次は気をつけようぐらいでいいじゃん。そうやって考えるようにしてれば、あの人に依存せず、迷惑かけず、楽しく楽に生きれたんじゃないの。まあ、後悔するのは勝手だし、相手のこと考えて泣いて病んでる私って優しくて可哀想だもんね。自分がわからないんてみんな思ってるよ。あんたはみんなと一緒。変わらない。みんなそんな思いを抱えながらも笑顔で生きてんの。自分のこと認めながら立ってんの。罪なんて忘れて笑いなよ。多分みんな気にしてないよ。あの人もあんたのことで大義名分を得ただけ。元々死にたがってたじゃん。あんたなんんかのちっぽけな言葉に左右されてる人間なんていないんだって。」

 私はあなたの首を絞めました。精一杯の力で、絞めて、それでも苦しくもならなくて、諦めて泣きました。私が生きている意味はありませんでした。こんな私にも愛をくれる両親に感謝はしていました。でも、私が生きているための意味には足りなかった。それよりも私があなたを嫌いだと言い切れるようになることの方が簡単だった。こうして私はあなたが嫌いになりました。私の悪をなんでもないことにして、正当化もさせてくれなくて、言い訳がうまくて、すぐに私を納得させて、本質を私に見せないように眼球を覆い隠して。罰せられるべきあなたは罰せられる事なく、罪の意識に苛まれ、苦痛に悶えるのは私だけ。毎日、過去の失敗、過去の罪を夢にみて。寝ないでいられそうだった、幸せになり得た日にもちゃんと睡魔を運んできて。忘れることすら許されない。


 きっとあなたは安全なところで私があなたに騙され、踊らされ、失敗していく様子をポップコーンでもつまみながら、楽しくてたまらないといった表情で眺めているのでしょう。

 だから私は恨んでいます。あなたがいなければ犯されなかった罪はいったい幾つあるでしょうか。あなたがいなければ眠れた夜はいったい幾つになるでしょうか。あなたが不幸になればいい。あなたも眠れなくなればいい。あなたも一人になってしまえばいい。あなたなんか死んでしまえばいい。

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