贖罪

 きっかけは教育実習生の一言だった。

「よく男の子は好きな子のことをいじめるけど、そんなの意味ないからね。」

 ここから好きな子をいじめることが好きの表現になるのだと、僕は間違って学んだ。だから、好きな子をいじめた。単純だ。ランドセルの鍵を何度も開けたり、相手のお気に入りの鉛筆を盗んでみたり、たまに優しいふりして近づいて、酷い言葉をわざとぶつけたり。そうして僕はどんどんやった。目的は淡い恋愛感情から日々の鬱憤を晴らすためだとかいう自分勝手で傲慢で愛の欠落したものに変わっていった。僕が始めたことなのに、同調した奴らはもっと酷いことをしていたらしい。僕が知ったのは僕の罪が明らかになってからだった。同調なんてあの頃のあいつらにわかっているはずがなかったから、きっとそれは漫画やアニメといったあの頃の憧れの対象の真似事だったはずだ。急にロングの髪の毛を短くしたのは、そいつらがハサミで切ってしまったからだったらしい。あのこが髪飾りをつけてこなくなったのはあいつらが壊したからだったらしい。あのこが急に送り迎えになったのは、あいつらが探偵かなんかの真似をしてその子の家まで尾行をしたからだったらしい。蓋を開けてみたら、全て僕のせいになっていた。始めたのは僕だったから。僕がやってるのをみて、やっていいんだと思った。僕にやれって命令された。僕が全て悪い。記憶のない罪もどんどん増えていった。僕が始めたから僕のせいだった。たくさんの事情聴取が終わって、両親も呼び出されて、あのことあいつらと僕と担任が一つの教室で向き合った。あいつらは散々僕のせいだといったのに、いざ向き合うとごめんなさいと僕よりも先に泣いて謝っていた。担任は謝ったやつから教室に帰した。そして、僕とあの子と担任だけがそこに残った。

「酷いことは全部さっきの子達が勝手にやっていたことだってわかったの。あなたのやったことも確かに悪いことだったけれど、そんなに自分を追い詰めなくていいのよ。」

 罪が晒されたその日から笑わなくなった僕を気遣ったらしい。アメリカではいじめはされる方じゃなくて、する方に問題があると思われる。真面目だったから、いい子だったから、元気な子だったから、いつも前向きな子だったから、どんなに辛そうでも頑張っている子だから、きっと疲れちゃったんだ、壊れちゃったんだ。だから、優しくしなくちゃ。だから、怒ってはダメだ。大人たちの共通認識が痛かった。自分がおかしいことを意識しなくちゃならなかった。誰も僕のことを責めなかった、怒らなかった。母が誰よりも悲しい顔をしながら僕を抱きしめた。痛かった。なんでそんなことしたのって。やっちゃいけないことだって教えたよねって。怒ってほしかった。優しさが痛かった。悪いのは僕なのに、何も言わない周囲が気持ち悪かった。僕はあの子に謝れなかった。謝るタイミングを逃したまま、六文字が言えないまま、日常に戻っていくことが恐ろしかった。気遣われるのも恐ろしかった。自分が獣のようだと思った。荒々しい感情を持った獣のようだと。この禍々しさを隠すように笑った。僕はただわらっていた。気遣われないように。また真面目なフリをして、笑顔を取り繕って。でも、それすらもめんどくさくなって、少しずつ少しずつ僕は好んで一人になった。授業の準備に手間取るようにして、話をよく聞き返すようにして、相槌を打たないようにして、なんとなくぼーっとするようにして。そして、僕は一人を手に入れた。何も要らなかった。僕の隠れた牙で、爪で、誰かを傷つけてしまうぐらいなら僕は一人でよかった。だから、僕には一人であることを悲しむ資格がない。


 今、あのこに手紙を書くならなんと書くだろうか。あの時のことを今度こそ謝れるだろうか。謝られた方が迷惑だろうか。謝ることすらも自分勝手な気がした。誰もみていないところで罪を償い続けるしかないのだ。赦してもらおうなんて思ってはいけない。普通の幸せを受け取れないように壊した心が彼女との日々で癒えかかってしまったからこんなことになってしまったんだ。求めてはいけなかったんだ。嫌われ続けなくてはいけないんだ。苦しい状況だと思うことすらも罪なんだ。逃げたって意味がないんだ。どうせ、この気持ちからは逃げられない。

 いつの間にか、立ち尽くしていた僕は手も足も寒くもないのにかじかんで、何も前に動かせない、動けない気がした。全部気のせいだ。ただ、もしかしたらなんて期待を持ちそうになっただけだ。彼女がまた来て、夢を見せてくれないかなんて思っただけだった。僕は歩き出した。罪を償い続けなければという義務感だけを燃料に。

 自分を追い越していった自転車たちのなかに彼女はいた。彼女が本当は自転車通学なことも僕はこの時初めて知った。僕はまた何も見えていなかった。こんな僕だから誰の目にも写らない。朝、ご飯が入ったこと。昼、ただ教室に座っていたこと。夜、眠くなったこと。それら全てが僕がおかしいことを暗示した。いま、ぼくはひとりだ。その事実に悲しくなったのもおかしい。僕はいつからこんな人間らしくなってしまったんだ。獣なのだから、人じゃないのだから、僕は一人でいるべきなのに。現状の何が不満なんだ。幸せすぎたんだ。なら良かったな。良くない。僕がどんどん普通になっている。普通の何が嫌なんだ。嫌なわけじゃない。普通になっちゃいけないんだ。それに、感情だけが普通になったら、今までやってきたことで一人になった僕は孤独に耐えられそうにない。孤独が嫌か。嫌じゃない。ならいいじゃないか。嫌じゃないはずだった。知ってしまったから、友達を好きを希望を知ってしまったから。いま、孤独なことが悲しい。そうか、寂しいんだな。君は寂しいんだろ?違う。違う。違うって言ってるだろ。


「僕は寂しくなんかない。寂しいなんて思っちゃいけない。」


 そんな言葉を小声で呟きながら目が覚めた。枕が異様に冷たい。布団がベットから落ちている所をみれば寝返りを幾度も繰り返したことが分かる。また、あさが来た。いつぶりに寝ただろうか。布団にうずくまって寂しさに寒さに耐えているうちに寝てしまったらしい。寝るとみるのは決まってあの時の罪と悪夢。寝るのも地獄、寝ないのも地獄、世界はどこまでも僕の敵。それでいいんだ。あの満たされる錯覚は希望は敵が送った毒だ。忘れよう。あの日々はもう僕のものじゃない。

 今に精一杯であの罪を忘れかけていたことは僕の新しい罪なり得るでしょうか。誰かに教えてほしいのです。僕がボロボロなのは僕が誰かを傷つけた傷が全て僕に返ってきてるだけですか。それとも、僕自身で必要以上傷つけているのでしょうか。僕はどうして生きていけばいいですか。僕は息をし続けていいのでしょうか。死ぬことは救いであってしまう気がするのです。神様に頼ることのできない罪人の僕は誰に許しを乞えばいいのでしょうか。終わらない疑問を抱えて、僕は学校に行って、帰ってきて、眠れない夜を消費して、また学校に行く。幾度も傷つきながら退屈に生きていくことが僕の贖罪で、何も無い日々に戻っていく。このまま、また感情を殺して生きていく。

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