鬼灯の陽

「ね、最近どしたの。」

 学校から駅まで歩いている最中に、クラスの一軍女子が僕に話しかけてきた。もちろん、話したことがないのはおろか、名前すら知らない人だ。そして、訳あって、今後も知ることは無かった。彼女の赤みがかった憂いのある唇は祖母の家にあった鬼灯を思わせた。

「っ、どうしたって何がですか。」

 急に閉まっていた喉を動かしたがために変な声が一瞬出たが、これが特に大層なことに繋がる気もしなくて、気にせずにその鬼灯から紡がれる次の言葉を待った。

「だって、なんかおかしいじゃん。急にやる気出しててさ。なんか、顔も活き活きし始めたし。目の下のくまと相成って、もっとやばさ加減は増したけどね。」

「そうですか。良かったですね。」

「で、何かあったの。恋でもした?」

「だったらなんですか。さようなら。」

「ほんとに恋したの?」

「あなたと違って陰キャな僕が好きになるほどおちぶれた人間には今まで出会ったことないし、もちろんこんな僕を好いてくれる人もいませんし、ありえないでしょう。さようなら。」

「なんだ良かった。私刺される覚悟で声掛けたんだよ。」

「刺されなくて良かったですね。さようなら。」

「君さようならが口癖なの。変だね。」

 あなたに言われたくないと思ったが、波風立ててもしょうがない。僕みたいなやっと生きる意味に似たものを見つけた陰キャには陽キャに嫌われて日常を壊す理由がない。

「だったらなんですか。僕は人と話しながら歩くのが苦手なんですよ。」

 下手な嘘だし、相手が悪かった。

「へえ。なら、苦手克服の練習に付き合ってあげよう。」

 僕の降参だった。これ以上の足掻きは無駄な体力の消費にしかならないのは目に見えていた。この日の安寧な帰り道は彼女に奪われた。

「きみは何が好きなの。」

「好きってなんですか。」

「好きがわからないなんてきみは人生損してるね。」

「余計なお世話です。」

「じゃあ、食べ物は何をよく食べるの。」

「別にこれと言って偏った食はしてません。あれば食べる。それだけです。」

「へえ、昔よく書かされなかった?新学期の自己紹介カードに、好きな食べ物とか色とか。今思えば、たいして好きでもないものをよくもまあ、あんな自信満々にかけたなって思ってるんだけど。」

「僕は全部にわかりませんって書いて出して、怒られたことありますよ。」

「きみだいぶ尖ってるね。私は好きなものはお母さんが作るアップルパイ、好きな色はピンクって書いてた。アップルパイなんて作ってもらったことないし、ピンクの洋服だって持ってなかった。あの頃、私ただの嘘つきだったんだ。」

「そうですか。」

「何、同情した?」

「しませんよ。だって、日本の教育の成功例じゃないですか。」

「成功?失敗じゃなくて?」

「周りに合わせましょう。好きなものを作りましょう。なりたいものを見つけましょう。嘘は優しくつきましょう。これが小学生の僕が先生たちから教わったことです。」

「確かに、そう考えると私は偉大な成果というわけか。」

「愚かな玉座に座って楽しいですか。」

「楽しくなかったら、玉座なんて存在してる意味なくないよ。」

「それもそうですね。」

 何も意味のない言葉の羅列。頭を使わず、相手のことを理解しようとせず、続けていただけの会話。それを拾い集めてわかったことがある。この人も孤独なのかもしれない。別に同情も共感も僕には存在しないけど、この陽キャは傷を受けて生きてきた人特有の話し方をしていた。話の途中に聞いて欲しいこと話したいことを入れ込んで、気づいて欲しいと期待しながら送り出す。聞いてもらえなかったら、気づいてもらえなかったら少しは悲しいけど、気づいてもらえたら相手への信頼度が増す。相手を試すような話し方。本当にこの女が陽キャなのかは甚だ疑問だが、その疑問は道端に落ちている空き缶のように、捨てるべきだが捨てる場所も思い付かず、脳の中でお風呂に入っている時や何も考えることがなく歩いている時にきっかけもなく後から思い出してしまうものが仕舞われている場所に保存された。

「ねえ、きみはさ。いつもこの道で帰ってるの?少し遠回りじゃない?」

「後ろから自転車次々にきて、バスすらも通る道をわざわざ歩いても、なんの意味もないじゃないですか。」

「意味ってなんの。」

「なんでしょうね。」

「そのぐらい教えてよ。」

「なんで僕に構うのかの理由を教えてくれたらいいですよ。」

「そしたら、きみ正論で私を論破して、話してくれないでしょ。」

 バレている。陽キャは人の心が読めるらしい。黙りこくった僕のことは気にせず、いつの間にか転換されていた話題。アルプスの少女ハイジが好きだけど、今それを言うと某コマーシャルので片付けられちゃうから嫌。みたいアニメもみたい映画も見るためにはそれぞれの期間を守らなくちゃいけないけど、そもそも課題も小テスト対策も前もって出来ない人がそんな期間守れるわけない。音楽は全くと言っていいほど聞かないけど、最近はティックトックとインスタで流行った曲ばっかりが話題に乗るから、毎日一時間ネットサーフィンすれば流行なんて簡単に追える。父親のビール缶を片付けている時の虚しさ。適当な相槌を打つだけの僕に彼女はひたすら話し続けた。この三十分で僕もそのテンポ感に心地よさを感じていた。

 日記の前に座って考える。今日書こうと思っていたのはクラスメイトがゴミ箱に向けて投げたペットボトルが惜しくもゴミ箱に当たって垂直落下し、逆さに立っていたこと。そして、その重力に逆らっているような姿が、しぶとい生存本能のようにも見えて面白かったこと。古文で気味が悪いを表す難しげなりは難しいという漢字なのになんでそんな意味になったのか疑問に思ったこと。古文単語を開くたび、昔の人の意外な口の悪さを考えること。鬼灯のような彼女が僕に話しかけてきたことは書きたくなかった。僕の日記に彼女はいらなかったし、他の誰かの影なんて必要なかった。世界は僕一人で始まって、僕一人で終わる。それで、満足なんだ。

 次の日も、その次の日も、幾度となく鬼灯は僕に話しかけてきた。どれだけ帰る時間をはやめても遅めても、彼女は僕を監視してるかのようにみつけ、無理やり隣を歩いてきた。いつからか、彼女は昼休みさえも僕に近づいてきて、同じベンチに座って食べるようになった。僕は何度も僕に構ってくる理由を聞いた。そして彼女は何度でも「教えない。」と答えた。一日経つごとに僕の中で彼女の存在が大きくなっていく。はじめは動きが鈍かった口も彼女の隣にいる時だけは言葉が溢れるようになった。話してることなんてたわいもなかった。化学の教師がテストの点数にいつも文句をつけてくること。KーPOPアイドルのことばっか喋ってる友達と話しても楽しくないこと。好きなイラストを描く絵師を見つけたこと。好きなボカロPの新曲がイマイチだったこと。地理の先生は偏見がすごくて、女子高生はみんなSNS依存症だと思ってるらしいこと。

「あながち間違ってないけど、最近じゃ親戚のおじさんもSNSやるし、そういう人の方が承認欲求高かったりするのにね。」というのが、彼女の見解だった。

 この生活に離れがたさを抱きそうになるたびに、自分に怒りが芽生えた。もしかしたらこの出会いが僕の中にある一種の呪縛から逃れるきっかけになるかもしれないという期待を持った。根拠もない期待だ。それぐらいの居心地のよさを感じていた。その反面で、日記に彼女が登場したことはなかった。どうにか彼女の存在を消して、日記を書き続けた。だんだん書くことが少なくなっていっていることは無視し続けた。僕はどうしてもこの日記を僕だけの存在で完結する自叙伝にしたくて仕方がなかった。

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