ファーストキス・3
作戦は速やかに行われた。
昼を告げるチャイムが鳴り終わる前に姿勢を低くし、スタートダッシュを決める。
トイレを駆使し、どうにか凌いだ休憩時間だったが、昼休憩はそうもいかない。
それだけの長い時間をトイレに籠ろうものなら不満を買うこと間違いなし。
そもそもこのまま三年間、籠城するわけにはいかない。芳香剤まみれの青春なんて真っ平ごめんだ。
これは誘導だ。人気のいないところで、やつをもう一度説得するための――後ろからは案の定、俺を追う気配。
木苺姫咲、文武両道の女。陸上部でもないのにそのスプリンターっぷりときたら、なんでもかんでも持ちすぎだろ。
欠点と言えば、ファーストキスに強いこだわりを持っていることくらいのもんだ。
そのせいで、品行方正な彼女が廊下を爆走しているのだから、つくづく信仰なんてするもんじゃない。
時には優等生の内申点も下げ得るファーストキスはやはり呪いでしかないな。
そして、ようやく屋上に到着した。
後ろに木苺の存在を感じながら、ドアを開け放つ。
立ち入りが基本禁止されているここに、他の生徒の目はない。
決着をつけてやろうじゃないか。
「ちょっと、なんでそんなに逃げるの?」
「お前は目立ちすぎるんだよ、教室でいきなり話しかけるんじゃない」
「どうして?」
「どうしてって、昨日まで全く接点のなかった俺とお前が絡んでたらおかしいだろうが」
「せ、接点ならあるよ! 昨日キスしたのに忘れちゃったの!?」
「お前、それ人前で絶対言うなよ」
「なんでよ」
「自分がどれだけ人気者なのかわかってないのか? 学校のアイドルだ、アイドル。そんな人間と事故でキスしただなんてバレてみろ。俺の学園生活はジ・エンドだ。嫉妬の炎に焼かれてな」
「わ…私は、そんな大層なもんじゃないよ。人気だって別にないし……」
「いや、マジで言ってる?」
「マジだよ……だって、私、友達いないんだよ?」
「いやいや、そんなこと……あっ」
そういえば木苺が誰かとつるんでいるのを見たことがない。
木苺が高みの人間すぎて、おいそれとみんな近寄れないというか……けん制しあっているというか。
「あっ、て言ったよねいま? 察したよねいま? いいよ、私はどうせぼっち女だよ……」
途端に木苺がいじけ始める。微笑んでる印象しかなかったがこんな顔もするのか。
とはいえこの自己肯定感のなさ。周りとの考えのすれ違いが凄まじいな。
「頑張ればみんな見てくれるかなって、勉強も運動も頑張ったのに……誰も仲良くしてくれない。私は空気なんだぁ……ふふふ……」
めっちゃネガティブにスイッチ入ってる!
ていうか文武両道は後天的なものなのかよ! 頑張りすぎだよお前!
テストは全部満点、スポーツテストは並みいる運動部をぶち抜きいつも一位。
木苺を彩る輝かしい結果の数々が更なる尊敬と畏敬の念を生み出し、皮肉にも逆効果になっていた。
「私なんて、私なんて……」
ついには三角座りでコンクリートに「の」の字を書き始めてしまった。
なんて不憫なんだ……。
いや、しかし――考えたこともなかったな。確かに木苺から見れば、周りから距離を置かれているようにしか感じないかもしれない。
その中身が尊敬であれ、憧れであれ、本人には届いていないんだから。
「お、おい。元気出せよ。お前がその気になれば友達なんていくらでも作れるって」
「ふ、ふふ、気休めの言葉はやめてよ……友達がいる笹川くんに、腫れ物扱いされる気持ちなんてわからないでしょ……」
「……いや」
腫れ物扱い、か。
ずっとされて来たけどな、辛いもんだ。
だがこの場合、俺もしたことになるのか?
「友達が駄目ならせめて恋人だけでもって思ってたのに、初めて好きになった人とって思ってたのに……おまけにファーストキスの相手には本気で逃げられるし……私って一体……」
気付かない内にしてたんだろうな。
俺だって昨日からこいつを避けてる。こいつが学園一の美少女で、みんなのアイドルで、文武両道のスターだからだ。
でも、それは俺の勝手な都合で、こいつを傷つけているだけだった。良くないことだ。
かといって――俺にもトラウマというものがある。これは言い訳にしかならないかもしれないが、立派な傷なんだ。
俺は相も変わらず、ファーストキスなんてくだらねぇと思ってるし、世の中の洗脳された連中にそんなものは錯覚だと叫んでやりたい。
つまり。
「……悪いが木苺、お前がどう思っていようが俺はファーストキスの責任なんて取れない」
それが俺の答えだ。
「……っ! や、やっぱり、相手が私だから……」
「……違う。別にお前がどうこうじゃない。俺はな、ファーストキスとかいう概念が大嫌いなんだ。気付いたら終わってて、いつか上書きされていくもんで、俺からしたらなんの価値もない。千百円の価値もないもんなんだよ」
そう、ゴミにも劣る思い込みだ。俺の人生をぐちゃぐちゃにしたファーストキスを、素晴らしいだなんて思い込む世間の思想は歪んでる。
「あんなもの、馬鹿が見る夢だ。しょうもない偏見の塊だ。偏見はクソだろ」
「えっ、えっと、どうしちゃったの笹川くん……? 確かに偏見は良くないけど……」
そう、偏見は良くない。ただこれを主張するなら、つまり、木苺に対して、人気者だから近づかない方が良い、という考えも、よろしくないことなんだよな。
それに、腫れ物扱いは辛いからな。
そういう孤独の中にいると知ったら、ほっとけないだろ。自分を見てるみたいで。
これは俺なりの妥協点だ。
「うん、まぁ、なんだ……だから、ファーストキスで恋人とか結婚とか、そんなものは無理だ。できるわけがない。そういうのは無理だけど――別に、友達くらいにならなってやれる」
「――え」
木苺が信じられないようなものを見る目で俺を見た。
ちょっとした罪滅ぼしというやつだ。
思い出も責任も、ファーストキスにまつわることなんて心底どうでもいいが、こいつを偏見の目で見て傷付けたという罪はある。
きっかけがなんであれ、俺がその痛みを知っている以上は償わなければならない。
木苺が口を震わせる。
「と、友達って、本当……?」
「まぁ、俺なんかで良ければだが」
「あっ……うそ、やばい、泣いちゃう」
言うや否や、木苺の目から涙が溢れ落ちてきた。案外、涙もろいな。
遠くから眺めてただけだったから、全く知らなかったぜ。
しかし、こうもボロボロ泣かれてしまっては居心地が悪いというか、むず痒いというか。
「……泣くほど嫌だったか?」
「ち、違うよ! 嬉しくって、私……それに、これって、つまりそういうことだよね……?」
「ん? そういうこととは……?」
さっきまで泣いていたのに、今度は急に口をすぼめていじらしく照れている。
まるで百面相みたいだが、一体何に照れているんだろうか。
シンプルに友達になろうねって話で、そういうことなんて奥行きは存在しないが。
「だから、その……と、ととと、友達から初めましょうってことだよね……!? 一旦友達になって、いろいろ知って、お付き合いして、結婚して、最後は同じ墓に入るってことだよね!?」
「違う!! 話聞いてたかお前!?」
「聞いてる聞いてる! 待ってね、いまネットで墓石探してるから! 笹川くんはどっちの色が良いと思う?」
「そんな春服買うみたいなノリで聞くな!」
「ねぇ見てこれ! 今なら戒名無料だって! 凄くない?」
「ありがたみのかけらもねぇよ! 木苺 姫咲の名前を大事にしろ!」
「違うよ笹川くん、ここに入る前は笹川 姫咲」
「だーかーらー!」
「ちょっと、うるさいんだけど」
「あぁすまん! 木苺がちょっと暴走しちまって――って、え?」
いや、待て。俺は今、誰に返事をした?
――今の声は。
嫌な予感がする。
第三者が、ここにいる。一体いつから……あぁ、最初からだ。
俺たちが話してる間、屋上の扉は一回も開いていない。
その事実に愕然とする。
やばい、全部見られてたのか……?
確かに聞こえた非難の声。俺は、物音を立てないくらい、ゆっくりとそっちを向いた。
屋上の扉と逆側、貯水タンクの側には、確かに人がいた。
そして、それとほぼ同時にさっき聞こえた声が、かなり聞き馴染みのある不機嫌そうな声だったことに気付いて、心臓が大きく跳ねる。
思わず名前を口にした。
「
「気やすく呼ばないで」
そして一言のもとに切り捨てられる。
金髪のサイドテールが風でゆらゆらと揺れていた。ただでさえ鋭い吊り目は、そこから更に睨みを利かせて、まるでカッターナイフを思わせる。小柄だが、威圧感は人一倍で……あぁ、最悪の相手だ。彼女は、一番居て欲しくなかった人物だ。
「えっと、八大路さん……?」
「……」
こっちに向かってくる翠香は、当然のように木苺の言葉を無視した。
やはり不機嫌そうに、コンクリートを踏みながら、ポケットからスマホを取り出して、画面を見つめながら近付いてくる。
そして眼中にないかのように、俺の存在も気に留めることなく、迷いなく横を通り過ぎ――。
「――その子の責任は取れるんだ」
「えっ」
小さく。
ぼそっと、俺にだけ聞こえるくらいに小さく、そして冷たい声でそう言い残していった。
俺には翠香の言葉の意図がわからず、とにかく、この場を誰かに――よりによって天敵の翠香に見られた焦りで、ただ
ファーストキス泥棒の俺、責任を取りきれない。~ラストキスに全てを賭けたい~ 灯内草佳 @kirindori
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