ファーストキス・2


 俺が天之河あまのがわ学園に来て失敗したことは三つある。

 一つ目、ホームルーム前に窓側の方を見れば陽キャ女三人のテリトリーが毎日形成されている。青春のやり直しを意気込む俺でもあの手合いに関わることはない。

 休み時間にダンスを踊り、ネットの海にポイ捨てする度胸が俺にはないからだ。

 普通にスルーしておけば、お互いに楽しいスクールライフを過ごせるわけだが、その人物構成に問題がある。


 陽キャ女子トライアングルの中で頭一つ分だけ高い身長の女子。

 トレードマークの黒髪ポニテ。視線を集める大きい胸、白すぎない健康的な肌。美少女――美少女寄りだと思う。美少女と言われているから、まぁ美少女なのだろう。俺にはわからない。


 名前は玖園くおん 湖子ここ。俺の幼馴染だ。

 なんでお前がいるんだよ!

 わざわざ全てをやり直すために遠方を受験した俺の作戦は幼馴染のせいで見事に崩壊した。

 だが、幸運なことに湖子が俺に話しかけてくることはない。小学校後半からは疎遠だし会話も一切ない、あいつはあいつで、中学までとは全く違う人種とつるんでいる。

 俺よりも華々しく高校デビューを飾った湖子が、あえて俺と話すメリットはどこにもない。

 これが一つ目の失敗、俺の過去を知る幼馴染がいること。


 そして二つ目、教室の前の方に目をやる。

 小柄な金髪サイドテールがスマホを一人で弄っている。弄っているはずだ、というのも、背後から見ているため真偽を確認することはできない。


 だが、俺にはわかる。あいつは今日も不機嫌そうなツラで、他人を寄せ付けず、スマホをポチポチと触っている。

 奴の名前は八大路はちおおじ 翠香すいか。中学時代、ファーストキス被害者の会が設立される原因を作った女だ。


 だから! なんで! いるんだよ!

 おかしいだろ、お前らなんでこんな遠いとこ受験してんの? 馬鹿じゃないの?

 これが二つ目の失敗。俺のトラウマメーカーが一緒に入学している。


 三つ目。


「眠れなかったんだけど」

「……」


 俺の隣に立ち、クレームを入れている学園一の美少女――木苺 姫咲のファーストキスを奪ってしまったこと。


「ねぇ、眠れなかったんだけど」


 冷や汗がダラダラ出る。

 流石に無視……できないよなぁ。周囲から注がれる好奇の視線がしんどい。

 朝来てみれば今まで一切関りのなかった俺の席に木苺自ら来ているのだ。ちょっとした事件だろ。

 おまけにこんな日に限ってマイフレンズが来ない。いつもなら、とっくに席に座って俺と談笑している時間なのに、なぜ二人とも来ないのか。


「あ、そうだ。これ」


 金を差し出される。千円札と百円玉――好奇の視線が強まるのを感じた。

 唐突に俺にお金を差し出す学園のアイドルの図。意味深すぎて深読みし放題だ。


「ねぇ、受け取ってよ。スッカラカンになっちゃったんでしょ?」


 ガタッ――誰かの席が揺れる。木苺の言葉選びのせいで深読みの余地はなくなり、シンプルな答えが頭をよぎったのではないだろうか。

 声を大にして言いたい、俺はヒモじゃねぇ。


「ねぇってば、君が受け取ってくれないと、私、価値のない女みたいじゃん」


 ガタタタタン!――やめて! 学校の備品が壊れちゃう!

 誤解がどんどん深まっていくのを感じるが、素直にこのお金を受け取れば自然と昨日の話題に突入してしまう可能性がある。

 どっちに進んでも地獄。

 あぁ神よ、絶対にお前を許さない。初詣に合格祈願したことも忘れ、神を呪い続ける。

 そんな折、


「おっはしー、おはよー! 与一!」


 騒がしい声が間近くで響き渡る、いつもなら朝から声が大きいと注意するところだが、今はこのハイテンションでお気楽な声が何よりもありがたかった。

 おっはしーがおはようを彼女なりにアレンジしたものなら、後半のおはよーは不要だが、今は些細なことなんて気にしない。


「おはよう彩田、いや、おっはしー彩田」


 俺の右隣に着席した女子――制服のスカートが無ければ黒髪のショートとボーイッシュな雰囲気が男子に見えなくもない彼女の名前は彩田さいだ 来夢音らむね。俺の数少ない友人の一人だ。


「お、今日はノリが良いねぇ! 良いことでもあった?」

「お前が来てくれたことかな」

「え、えぇっ!? いつもはあんま近くに寄るなとか言うのに、もしかしてデレ期?」


 彩田はともかく距離が近い。その近さと来たら、気を抜けば肩を組んでくるレベルで、人懐っこく気さくを具現化したようなやつだ。

 男友達のような距離感とはいえ、彩田も異性であることに変わりはない。

 事故を避けるためにも普段からあまり近寄らないように注意しているが、そのせいか塩対応だと、ぶーぶー文句を言われることが多い。


「ま、いっか! それよりさ……じゃじゃーん! 見てこれ! ネオヘラクレスオオカブト! シークレット! やばくない?」


 机の上にドン、とカブトムシのおもちゃが置かれる。

 見ての通り、彩田の趣味はガチャガチャだ。そして、この悪魔みたいな角を有したカブトムシは恐らく彼女がおねつなリアル昆虫大全シリーズのシークレット枠なのだろう。


「やばさはわからないけど、まぁ良かったな」

「もー最高だよ! これ出すのにコーカサス六匹も被っちゃって……」

「へぇ、それは災難だったな」

「ちょ、ちょっと、無視しないでよ」


 彩田との会話に強引に割り込む木苺。

 友達と話し始めれば一旦、諦めてくれないかと期待したが駄目だったようだ。

 とにかく返したくて仕方がないファーストキス代(税込み)が突き出される。

 それを見た彩田が一瞬、後退あとずさりした。


「え、えぇ……!? 木苺ちゃん、そのお金……!? そ、そっか、知らなかった……木苺ちゃんもそうだったんだ……。ガチャマニアとしては自分で当てて欲しい気持ちもある、けど……手に入らない苦しみもわかる。う、ううん……良いよ、わかった! 木苺ちゃんがそこまでして欲しいなら、ガチャ友としてこれを渡そう」

「へ?」


 何を勘違いしたのか、苦しそうな表情をしながら木苺が差し出した千百円を受け取り、かわりにおもちゃを手渡す彩田。

 木苺のファーストキス代がネオヘラクレスオオカブトと等価交換された瞬間だった。


「え、ちょっ、彩田さん、これはちがくて」

「大丈夫! 持っていって! 私、この千百円で絶対にもう一回当てるから! 運が来てる気がするから!」


 少なくともコーカサスが六体被ってるやつのセリフではないな。目当てのものが出ればチャラと考えてしまうタイプなのだろうか。

 目の前では彩田と木苺がカブトムシを押し付けあうシュールな光景が繰り広げられていた。


「おはよう、よいっちゃん。なんの騒ぎ?」


 背後から声が掛かる。

 振り返ればそこには、黒髪で少し髪の長いメガネ男子が不思議そうに事態を眺めながら立っていた。

 宮部みやべ 秀一しゅういち。中性的な顔立ちから女子に見間違えられることもあるがれっきとした男であり、そして俺の唯一の男友達だ。


「おぉ、おはよう宮部。俺も良くわからんけど、彩田が騒がしいのはいつものことだろ」

「それもそうだね。でもここに木苺さんが居るのは珍しいんじゃない?」

「どうしてもカブトムシが欲しいらしい」

「へぇー意外だね」


 木苺と彩田の攻防を眺めながら、のんびりと会話する。すると、ちょうどホームルーム開始の予鈴が鳴った。


「あっ! やばい! 先生が来たら取り上げられちゃうから隠しといて!」

「きゃっ……!え、えぇ……!?」


 ネオヘラクレスオオカブトを胸ポケットに突っ込まれる木苺。

 ぷるんと、カブトムシ型に沈んだ大きな胸はエロ……いや、若干特殊だな……。

 彩田の押しに負けた木苺は、教師の足音を聞いて慌てながら自分の席へと帰っていった。

 木苺には悪いが、ひとまずの危機は脱したようだ。


「今、私、徳が集まってる気がする! 実はあと一個でコンプリートできるやつがあるんだよね……今日行っちゃうかぁ!」


 隣で気合を入れまくっている彩田を横目に、俺はいつまでも無視し続けるわけにもいかない木苺への今後の対応を考えていた。


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