ファーストキス泥棒の俺、責任を取りきれない。~ラストキスに全てを賭けたい~

灯内草佳

ファーストキス・1

 ――ファーストキス。

 人は皆、一様にこの出来事に夢を見て、様々な想いを馳せる。

 一生に一度の一大イベントであり、愛と幸福に包まれた瞬間を誰もが特別に思うだろう。

 片思いだった先輩と、友達みたいだった幼馴染と、初めて好きになった人と、春風の吹き抜ける桜の木の下だったり、夏祭りで花火が盛大に弾けた瞬間だったり、イルミーネーションが輝くクリスマスツリーの前だったり。


 憧れるシチュエーションは人それぞれ、例えその恋がどこかで終わってしまったとしても、一生の思い出として残る。

 ファーストキスとは人生において特別で大切なものである。


 ――知るかボケナス。そんなに大事なら金庫の中にでも閉まっとけ!

 この俺、笹川ささがわ 与一よいちはファーストキスを呪っている。

 幼少期から中学卒業まで奪ったファーストキスは数知れず。

 唇に磁石でも入ってるんじゃないかと思えるくらい沢山のキスを経験してきた。


 ここで言いたいのは一度もない、ということだ。

 うら若き乙女の唇はなんの前触れもなく、理不尽に、突然やってくる。

 そのほとんどが事故キスというのは、実に忌むべき点だ。あまりに酷いので一度お祓いに行ったこともある。


「ひっ……! わしには祓えん! 出て行ってくれ!」


 大妖怪でも見たかのような神主の表情は今も忘れられない。

 帰りに足を滑らせた巫女さんと口がぶつかった時は、来なければ良かったと心底後悔した。厳しい規則があるらしく巫女さんはクビになったらしい。

 ――そこまで厳しいならお祓いくらい成功させろよ。


 ともかく、ことキスに関してはろくな思い出がない。

「初めてだったのに」と何回、目の前で泣かれたことか。

 そのせいで付いたあだ名が「キス魔」。

 最終的には被害者の会まで設立され、俺の中学校生活は灰色に終わった。

 だが今は違う。俺は地元を遠く離れ、この私立天之河あまのがわ学園で全てをやり直す――はずだった。


「……っ」


 唇と唇が触れ合う。

 どうしてこうなった?

 できる限りの対策をしたはずだ。

 事故キスに備え、毎日マスクを着けて登校し、異性との物理的距離もできる限り取るようにしていたのに。


 最悪だ。いや、最悪のもうひとつ下くらいに届いているかもしれない。地獄があればここだろう。

 なんせその相手が学園のトップ美少女、木苺きいちご姫咲きさきだったからだ。

 一見すれば誰もが羨むようなハプニングかもしれない。しかし、俺の胸を高鳴らせるのは、ときめきではなく焦燥と危機感だった。

 俺の上に倒れこんでいた柔らかい感触――もとい豊満な体とともに、木苺の顔が離れていく。

 クリーム色の長髪がふわりと舞い、シャンプーの香りが鼻腔びこうをくすぐる。ぱっちりとした目は驚きで見開かれ、均整の取れた顔が一気に赤く染まる。


「わっ、わたっ、私――はじ、めて」


 目を潤ませ、声を震わしながら、唇に両手を当てていた。

 どうして、どいつもこいつも初めてなのか。こっちはもうキスの感慨なんてとうの昔にくしてる。

 そう、どうせ上書きされていくんだ。大事なのは最後に誰とキスしたか、だ。木苺もそう思わないか?


 ――言えるわけねぇ。少なくとも目前で多大なショックを受け、今にも泣きそうになっている女の子に対して。

 だから、できる限り、気さくに、何事もなかったかのように伝える必要がある。

 俺はこんな状況には慣れっこだった。


「すまん、口当たっちまったな。怪我してないか? まぁ、こんなのはノーカンだよなノーカン。肩と肩がぶつかったみたいなもんだ」


 完璧。

 我ながら惚れ惚れする言い回し。あくまで体の部位がぶつかっただけだと主張し、さらにノーカンであると宣言することで「あ、これは数の内には入らないんだ。良かった良かった」と相手に安心させる素晴らしい流れ。


「初めてだったのに……」


 ダメでした! めっちゃ泣いてるわ。ボロボロ泣いてる。どうすんのこれ。


「お、おい、泣くなって! 大丈夫! 俺は初めてじゃないから! 木苺も上書きしていこうぜ上書き! その内どうでもよくなるからさ! トレンドはラストキスだ! ファーストキスなんて概念はオワコン――」

「うう、ううぅ……」


 フォローのつもりで言ったのに余計に落ち込んでしまった。

 天を仰ぐ。おい、神様。そんなに俺が憎いのか。

 理不尽だろ、いくらなんでも。


 たまたま日直が一緒で、花壇に水やりしにいって、水がぶっかかって、息がし辛くなってマスクを外したら、慌てた木苺がハンカチを持って駆け寄ってきて、俺を巻き込んですっころんだ。その結果がこれだ。

 いや、何コンボするんだよ。油断した俺が悪いのか?


「せ――」

「せ?」


 セ……セクハラ? やばい、断罪される。同時にトラウマが蘇る。

 あんな日々はもうごめんだ。弾劾され、糾弾され、全員から距離を置かれ、一人過ごした悲しき中学校時代。

 せっかくこんな遠くの高校まで来たって言うのに、ここでも俺は灰色の春を送るのか?

 しかし、後悔先に立たず。続く言葉に恐怖しながら、俺は安らかに目を閉じた。


「せ、せきにん――責任、取ってよ……!」

「えっ」


 予想外の言葉に思考が止まる。

 責任……? ファーストキスの責任ってなんだ?

 お金か?


「今はこれしかないです……」


 財布から昼飯に使う予定だった千円札を取り出し、木苺に渡す。


「私のファーストキスは千円じゃないぃぃ……!」

「ご、ごめん! 税込みにするから! マジでもうすっからかんなんだって!」


 ケチろうとしたのは悪手だったか――すかさず飲み物代として取っておいた百円を上に足す。財布は空になってしまったが、これが俺の差し出せる最大限の誠意。


「消費扱いしないでよおぉぉ」


 また泣き出してしまった。終わりだよ終わり。


「じゃあどうすりゃいいんだよ! 責任の取り方なんてわからねぇって!」

「そ、そりゃ」

「そりゃ?」

「お、お付き合いとか……結婚とか……」

「は?」


 け、けけ、結婚!? いくらなんでも話が飛躍しすぎだろ!

 そんなことで結婚しなきゃいけないなら、俺は今頃大家族だよ!


「待て待て待て、落ち着けって。お前は今、冷静さを欠いている。ファーストキスなんて、そんなに重要なものじゃないんだって。そんなことで好きでもない相手と付き合うとか、結婚するとか、俺から言わせればバカげてる」

「で、でも――じゃあ私どうしたら……」


 おぉ、必死にまくしたてた甲斐あってか、話を聞く態勢になったぞ。

 実際、初めて唇がぶつかったからって、将来を左右するほどの大事おおごとにする必要はないんだよな。

 木苺のような美少女が彼女になる――これは青春の日々を求める俺にとっては願ってもないことで、奇跡のようなものだ。


 しかし、きっかけがファーストキスだなんてのは絶対に間違っている。そんなものを信仰の対象にして、一時の感情に身を任せれば、彼女は必ず後悔する。

 その先に待っているのは破滅だ。木苺も俺も、貴重な青春の時間を棒に振る羽目になる。

 目を覚ましてもらう必要があるのだ。自分たちが宝石のように有難がって大切にしているモノが、実は路傍ろぼうの石ころみたいなもんだったと気付いてもらうために。


「帰って一回寝てみろって! 次の日には絶対にどうでもよくなってるから。な? 騙されたと思ってさ」

「う……うん。そっか……わかった」

「よし、それじゃあこの事は誰にも言わないように。周りが騒いだら俺も木苺も大変だろ?」


 あの木苺姫咲のファーストキスを奪ったことがクラスの人間にバレでもしたら、俺の高校生活は終わりかねない。それだけは避けなければならなかった。木苺には悪いが、こんなことは過去にして、とっとと未来に突き進んでもらうしかないのだ。


「うん……信じて、いいんだよね?」

「もちろんだとも!」

「……わかった」


 木苺はなんとか泣き止み、一旦、納得したようだった。

 これで俺の平穏は守られた。千百円は犠牲になったが、そんなもので済むなら安いもんだ。

 そう、一夜もあれば落ち着いて、「なんだ、ファーストキスなんて案外大したことなかったな」と、ひとつ大人になった彼女が待っているはずだ。

 ――と、思っていた。次の日、盛大にくまを作った木苺の顔を見るまでは。

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