生存戦略としてのコラボレーションとやらを行う(202X.4.XX)
平清澄は、元々そういうヤツだった。あまり自分自身のことを話したがらない。小学生まで父親の実家がある埼玉の方に住んでいて、中学生のころに都内に移住。父母妹の四人家族で、今は千葉の方でひとり暮らしをしているらしい。おれが彼の存在を知ったのは高校の頃、同じクラスメイトではなく、隣のクラスだった。
名門というほどではないがそこそこの進学校だった我が母校には軽音部はなく、幼少期に軽音楽部の女子たちの日常を描いた大ヒットアニメが放送されていたおれたちの憧れは放送部に集約されていた。決して多くはない部員の大半は吹奏楽部の幽霊部員を兼ねていて、使われていない第二音楽準備室を勝手に練習部屋にして文化祭でバンド演奏を披露していた。その頃からバンマスとしてブイブイ言わせていたフッちゃんと、目立つ方ではなかったけれどクラスの三枚目男子たちの中ではモテる方だった九野ちゃんが、「なんかすげえヤツがいる」という理由で高一の秋に放送部へ連れてきたのがキヨスミだった。
中学時代に既にバンドをやっていてメジャーデビュー寸前までいった経験があるらしい、という彼の噂は、一瞬にして千里を走った。実際にバンド名を聞けば、一度はユーチューブでMVを観た覚えがあるバンドだったのでおれもぶったまげた。この話はまた追々にする機会があるかもしれないしないかもしれないから今は割愛するが、本人はあまり騒がれたくなかったようで、最初は放送部への入部も渋っていたという。しかし、ふたりの説得の甲斐あってか、彼はすぐに場に溶け込み、それどころか放送部内のバンド三組に加え、部外のバンド二組、さらに他校の学生バンド十組のサポートを一気にこなしていたらしい。計十五組。バケモンである。
その頃からギターボーカルを志していたおれは、バケモンのことが正直あまり気に入らなかった。そりゃそうである、だって、廃墟のような音楽準備室での練習中も、意外と盛り上がる文化祭でのライブも、女子たちの関心はバンドの花形であるはずのおれよりもキヨスミに注がれていたからだ。嫉妬ぐらいさせてくれないと、かえって割に合わないだろう。
掛け持ちしていた文芸部の部誌に詩が掲載されれば、文芸部史上歴代三位(部長比)だという速度で在庫がなくなるような勢いで学年のサブカルどもたちの覇権を攫っていったキヨスミだったが、本人は至って飄々としていた。部室でも常に窓辺に陣取り、ひらめくカーテンの下に身を隠すようにして、いつも分厚い文庫本をめくっていた様子が今でも思い出される。ベージュ色のカーディガンと同じ色の長めの髪――どうやら地毛の色だというが、どうだか――を風になびかせて、繰っていたその本はどんな古典文学作品なのだかと思っていたら、京極夏彦だった。彼はおれのさり気ないはずだった視線にいとも容易く気がついて、鼻先に煉瓦のような厚さの文庫本を突きつけて言ったのだった。
「読む? 源くんもきっと好きだと思うけど」
長くて短い高校生活の中で、彼とまともに言葉を交わしたのは、その瞬間と、借りたその本を返した日のただ二回きりだけだった。
専門学校に進学し、同じ学校に彼がいると知った時はかなり驚いた。それどころかフッちゃんがバンドメンバーに勧誘し、あろうことかあのバケモンがそれを快諾したというのだから大概だ。就活の間の活休中にもバケモンは曲を作り続け、まさかのボカロPデビューまでしでかしてちゃっかり動画サイトで殿堂入りする小バズもかました。昭和のデュエット曲の大家『三年目の浮気』をマッシュアップして性に奔放な彼女とあわよくばフレンドになりたい男子の駆け引きを描いたその曲『三人目のセフレ』を、彼は既に黒歴史扱いしているようだが、そのクズさと好青年らしさの間を行くそつのなさも、おれはどうにも気に入らなかった。
もう何度も一緒にライブをやり、スタジオに缶詰めになって一緒に曲を作ってきたが、涼しい顔で好奇心に駆られるままに行動し、都市伝説に詳しい先輩と仲良くなってはマルチのカモになりかけて逃げ出したり、「自分の身体がどんな反応を示すか知りたいから」なんて理由で海外のリーガルギリギリのクスリを個人輸入したり、学内の放送サークルが運営しているラジオで「誰かのトラウマになるような音楽がやりたい」などとビッグなマウスを嘯いたりしながら、想像の斜め上の物語を平易な言葉とメロディで表現する、いわゆる〝才能はある〟と言っていい類のバンドマンとしての彼のことしか、おれは正直よく知らない。知らなくてもバンドはやれているし、きっとそれでいいのだ、と思っていた。
メインコンポーザーを失ったバンドの毎日はすぐに忙しくなった。制作中だったアルバムはほぼ録音済みだったから、メンバー全員で分担して慣れないトラックメイキングを行いなんとか完成させることができたが、CDを売る場がない。それもそうだ、事務所が潰れてただでさえライブのブッキングが難しくなっているうえに、バンドのエースメンバーが脱退してしまったのだから余計にライブになんか呼ばれない。動員が見込めないバンドを出演させるほど、ライブハウスも暇じゃない。おれたちは――主に職場柄コネの多いフッちゃんが、ではあるが――CDの販売機会を得るために東奔西走し、サブスク配信にも手を出した。売れるものは何でも売ろうと思ったのだ。
ベースボーカルの脱退の発表は、公式サイトとSNSにテンプレートのような文面を載せただけで終わった。本人コメントすら載っていない雑なコピペの発表はMV公開の告知ツイートよりもずっとリツイートされ、悲壮感に満ちたリプライやDMが三日三晩だけ溢れたが、二週間も経過したころには嘘のように静かになった。昨年の初ワンマンではお客が彼の登場と共にフロアの前方へ押し寄せていたはずだったのだが、水商売とは上手く言ったもんで、流れる水が如くファンの興味が移ろっていくのはやっぱり残酷なもんやな、と思った。
とはいえこの現状だ。バンドの状況は、高校時代と大して変わってはいないのだ。キャパ百人程度のささやかなハコとはいえワンマンライブまでこぎつけることができた理由は、明らかに平清澄の知名度によるところが大きかった。今インディーズバンドなんてもんに興味のある層はだいたい、彼が中学時代に所属していたバンドのことを知っている。一度は表舞台から姿を消した天才が、新しいバンドを始めたとなれば誰だって観に行きたくなるもんだろう。ベースが上手くてネームバリューがあるだけじゃなく、ライブで披露している曲だって、彼が作詞作曲している曲が一番多い。おれの目には、HAUSNAILSは平清澄に頼りっきりのように見えていた。リーダーであるフッちゃんや、キヨスミとプライベートでも遊びに行くことが多かった九野ちゃんはあの後もキヨスミと連絡を取り、あまつさえ引き留めようとしていたようだが、おれはそんな気にはなれなかった。内心バンドのためには彼がいない方がいいんじゃないかとすら思っていたのだ。
えっちらおっちらとふたたび漕ぎ出したバンドはなんとかCDを売る場所を手に入れ、先輩バンドの対バンに呼んでもらい、フッちゃんが働いているライブハウスの店長に手配してもらって色々なハコで行われているフロアイベントにも参加した。キヨスミが一手にしていたトラックメイキングをおれたちが手がけたせいもあるのか――かなり悔しいけれど――、サブスクでの再生数は伸び悩んでいたが、SNSで共有してくれるファンもいた。ラブリーなピンク色のクリームソーダをアイコンにした(おそらく)彼女はキヨスミのファンだったようで、完全に同情票だがここは喜んでおかないと立つ瀬がない。CDの在庫はまだ五十枚以上あるが、ここで立ち止まるわけにはいかないだろうと秘蔵のデモ音源から幾つかフッちゃんに提出してみたが、「もうちょっと在庫が減ってからにしよう」とやんわりボツを食らった。――しかしまあ、冷静になって自分で聴き直してみるとそれはそれは酷い出来だったので、逆に命拾いしたのかもしれんが。
時にはエンジンを積み直し、時にはスクリューを外されながらもいつかは大海原を目指して進んでいたおれたちの船は、ぱっと見相変わらず暢気に川をのぼるボートに見えていたかもしれないが、その実いつエンストを起こして転覆してもおかしくないほどにボロボロだった。
毎日元気にドラムの練習だけはしている様子をユーチューブで配信している(しかもバンドのライブ映像よりも視聴者が多いし投げ銭までもらっている。さすがは元アイドルだ)九野ちゃんと、勝手に曲を作っては空回っているおれしかいない現状を憂えたのか、リーダーは駅前のガストにおれたちを集めると、ある日突然言った。
「ほかのミュージシャンとコラボしよう」
意を決したように切り出したリーダーの表情はとても渋いものだったが、差し向かいに座った九野ちゃんは脳天気にも「えっ何それ!? 楽しそう!!」と言い放った。
日曜の夕方のファミレスは女子ふたり連れや何の集まりなのかすらもよくわからん妙齢のおばちゃまの集団がテーブル席を占領し、窓際のひとり席には休日出勤帰りで疲れた顔のサラリーマンがスーツ姿のままちらほらとビールを飲んでいた。隣の女子たちが両手を合わせてわー美味しそーと囲んでいる鉄板ハンバーグの焼ける匂いと音につられて、思わず据え付けのタブレットでハンバーグとドリンクバーを人数分注文する。
こんがり焦げた肉の塊を頬張ったサブリーダーの反応に、緊張の糸が切れたように破顔したフッちゃんは、黒豆茶をひと息で煽って「いや……まあ、九野ちゃんが楽しそうだと思ってくれるなら嬉しいけども」
「いやちょい待ち」これはおれの声。結成から五年、就職のための一年間の活休を経て今に至るまで絶え間なくメンバーだけで曲を作ってきたおれたちだ。キヨスミ頼りだった側面はあるとはいえ、いちおうメンバー全員が曲を作れる、それどころかCDのジャケットやMVの監督は九野ちゃんがアイドル時代に仲良くなったアーティストにお願いしたり、アー写のディレクションも自分たちでやるセルフプロデューススタイルを貫いてきたのだから、いくらなんでも突然外部の人間の力を借りるのに抵抗が全くないとは言えなかった。そもそも、
「キヨスミがおらんくなったからって別の人間に曲作ってもらうつもりか? ここにおるみんな曲作れんのに?」
リーダーであるフッちゃんが、おれたちの才能を信じられなくなったのかと思って不安になったのだった。
しかし、フッちゃんは自分以上にクソ真面目なおれの顔に毒気を抜かれたように笑いながら、慌てた様子で「いやいや! そういうんじゃないのよ」と否定した。
「最近いろんなミュージシャンがコラボしてんじゃん、ベテランメジャーマイナー問わず。だから、ちょっと俺たちより名の知れたミュージシャンとコラボして曲出してみようかなと」
「なるほど、相手の知名度に乗っかってバズってやろうってこっちゃな? ほんで適当な絵師にエモいイラスト描いてもろて紙芝居でもええからMV作ったら大バズ間違いなしや」アハハ、とおれの口からは乾いた笑いが零れ出す。他人の褌で相撲を取るような真似は好かん! と、おれの脳内の頑固ジジイが杖を振り回してがなり立てているが、能天気そうに見えて強かなリーダーのフッちゃんには「何それ? 消されたいの?」と笑ってかわされた。
「でもそんな有名なミュージシャンにオファーとかできる? うちら事務所にも入ってないんだよ?」ドリンクバーのメロンソーダをお行儀良くストローで啜りながら言う九野ちゃんのツッコミにもフッちゃんは反論を用意していたようで、
「いやそこはさ、それほど名が知れてなくてもいいのよ。最近ちょっとティックトックで聴くな、ぐらいの知名度でいいじゃん。もしそのひととコラボした曲がそれほどバズらんかったとしても、今まで知らなかったひとたちに俺たちを知ってもらうきっかけぐらいにはなるし。何よりほら、うちらって活動再開した途端に流行病のせいでライブできなくなっちゃったから、業界に音楽仲間が少ないじゃん?」
なるほど、メンバー個々人だけでなくバンド単位でのコネを増やす意図もあったわけだ。「まあ、友達なんて多い方がいいもんね!」と急にIQが下がったピンクメッシュ頭に突きつけるようにしてスマホを取り出したフッちゃんは、「そ! ほら、何人かチョイスしてきたから見なさいなこれ」と動画サイトの画面を見せてくる。プレイリストには、コラボ相手の候補らしい十数本のMVがずらりと並んでいた。おれたちはそれを囲み、フッちゃんのワイヤレスイヤホンを片方ずつ借りてひとりずつ吟味し、厳正なディスカッションを経てひとりのシンガーソングライターにオファーすることに決めた。
カウンター席でPCを開き、目のやり場に困るほど襟を抜いてストライプのシャツを羽織った仕事のできそうなお姉さま方や、通路沿いに向いた大きな窓辺に配されたボックス席のゆったりとしたソファで愛を語らい合う、花束みたいな恋をしていそうな学生カップルばかりを見かけるので、一昨年あたりからの駅前再開発に伴いオープンしたその店にはあまり近寄らないようにしていた。煙草の匂いや焼き鳥の煙のもうもうとした居酒屋や、シーシャの置いてあるしゃらくせえカフェなんかの方が呼吸がしやすいおれのようなバンドマンがいていい場所とは思えなかったが、駅から渡り廊下で直結のその店で、その日おれたちは共に仕事をする新たな仲間が来るのを今か今かと待ち構えていた。
目の中に入ったまつ毛をスマホのインカメで確認するのにギリ困る程度の間接照明に照らされた店内には、挽きたてのコーヒーの香りが漂っている。まだやや肌寒い四月だというのに既にたっぷりの氷の入ったアイスコーヒーをひとくち煽ったフッちゃんは、差し向かいの席で指を組み合わせたり、離したり、と落ち着かない様子だった。待ち合わせ時間まであと五分。隣に座った九野ちゃんが、こちらに向かって胸を張りながら「ねえねえ、チョーカー曲がってない?」と身だしなみを確認してくる。
これからおれたちのもとにやってくるシンガーソングライターは、三年ほど前から活動を開始したらしい新人さんだ。個人チャンネルを確認すると十年以上前からキーボードでの弾き語りカバー動画を定期的に更新し続けているようだが、オリジナル楽曲を投稿するようになったのはここ三年らしい。正直過去の弾き語りも、MVの再生数も各々一万回に達しておらず、それほど有名というわけでもなさそうだったが、たった一本だけ爆裂に再生数が多いMVがあった。
その曲、『お前の話なんて聞いてない。』は、つい一カ月前に公開されたばかりの曲だが、既に一億回再生を突破していた。MVを再生してみると、確かに聴いたことがある。おれは深夜の音楽番組でなんだか有名な音楽プロデューサーらしい男が絶賛していた記憶があったが、フッちゃんは職場のバックヤードのBGMになっていたと言い、九野ちゃんはティックトックでよく聴くと言っていた。ピコピコしたシンセサイザーやスクラッチの多用されたトラックは打ち込みっぽさが強いが、歪んだギターソロや歌の向こう側でドゥルドゥルと渦巻いているベースはアクが強く、ひと昔前の凶悪なインディーロックみたいな雰囲気がクセになる。どこかハスキーでありながらよく通る高い声は年齢も、性別すらも想像することが難しいが、吐息としゃくりの多い歌いグセは女の子に人気がありそうだった。クセが強くもキャッチーな曲。白黒で統一されたコラージュのような映像には、人間の目や口、耳、指などを撮った写真を切り抜いたようなパーツが、操り人形のような不気味な挙動で登場する。黒く塗られた爪まで再現された、細く長く節の少し出た両手の指を使って形作られた大きな蝶が、ピアノ線で釣り上げられモザイク模様の空へ飛んでいく描写は、バズり曲のMVとは思えないほど不気味だ。映像のキャプションを観るとどうやら歌手本人の友人の映像作家が作ったそうで、「MVはお友達が作ってくれました。誰もが自分自身を切り刻み、コンテンツとしてお出しすれば褒めてもらえる、狂った愛しい世界へ真心を込めて。」と書いてあった。
とんでもない中二病かもしれない。おれは内心そんな感想を抱いていたが、実際曲や声がすごく良いのは事実で、そもそも自分で作った曲を自分たちの手で演奏してひとに聴いてもらうなんざ中二病のすることに違いないので、いずれにせよお互い様である。どんな堕天使がやってくるのかとソワソワしながら待っていると、目の前に現れたのは堕天使というよりも――あまりにありきたりな言い回しすぎてわざわざ言葉にするのも恥ずかしい言い方ではあるが――天使、のような人物だった。
「HAUSNAILSさん……ですか? 初めまして、フーディエです」
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