1話 義満、山名氏清、満幸に命じて時煕、氏之を但馬に討たせる 下

 こうして晴れて氏清は但馬たじま、満幸は伯耆ほうきの守護となった。

 この戦の出陣前に氏清は御所に馳せ参じ公方様と対面なさると

 

「一家の者共を退治するいうことは、それはひとえに当家衰退のもととなります。それでも上意だと仰られる以上は辞退するようなことは致しません。急ぎ馳せ下って治罰ちばついたしましょう。但し、彼らは難儀に及べば、必ず嘆き事を言って許しを請うてくるでしょう。その時に赦免しないよう、氏清が下向する前に公方に教訓するために参上したのです。またなんと嘆き事を申したとしても、永く赦免しないのであれば、今一日でも早く急ぎ下向して退治仕るべきでございます。」


 そう申し上げると公方様の御返事は


「彼らは上意に背くから討伐するのだ。(儂と同じ)に退治される以上は、誰彼について嘆いたとしても、許容することは無い。」


 と仰せくださったので、氏清はそれではと、奥州や但馬に馳せ下って時煕等を追罰して、両国から叛乱は無くなった。


 又、細川武蔵入道常久ほそかわむさしにゅうどうじょうきゅう(頼之)は四国から中国に押し渡り、備後の国を治罰して、その翌年に上洛した。

 公方様は武蔵入道の上洛を、大手を開いて喜び迎え入れて、再び管領の座につけた。※実際は入道していた為、養子の頼元が管領の座に付き、頼之が補佐した。

 天下の人々は尽く帰服して、常久の権勢は天下万民の上に立つこととなった。

 公方様と常久は高祖劉邦と張良のような間柄で、互いに互いを信頼し合っていたので、公方様は常久に


「政道のことは全て武州禅門に任す。」


 と仰せくださり、常久はひたすら理民安世の儀を沙汰し給わった。


 しばらくして山名宮内少輔時煕やまなくないのしょうときひろ同左馬頭氏之どうさまのかみうじゆきは度々許しを乞うために子細を申し上げてきた。


「全く野心は存在していませんでしたが、一族の讒言ざんげんによって御勘気ごかんきを被り、出家隠遁しゅっけいんとんの身となってしまいましたが、何事も不便で仕方ありません。この上はひたすらに赦免を被って無二の心で御奉公致したいと思っております。」


 と内々に伺い申し出て、両人は密かに上洛して清水辺を住居としたのだった。

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