19話 ノイズ

夕焼けの空。

沈みゆく太陽が街をオレンジ色に染め上げている。

使いかけのリボンやラッピング用の紙を片付けながら、私は人通りの少なくなった街の様子をぼうっと見ていた。


「今日はお疲れ様、リリィ」


着ていたエプロンの結び目をほどきながら、セレーナは隣に立っていた。

店頭に置いてあった花たちも店内に仕舞い込み、店の片付けも大分終わった最中さなか、私は今日の自分自身の働きぶりを思い出す。

最初はなんとも大変だったが、だんだんと慣れてくればちょっと楽しかった。

街の人々と関わり、こうして花に囲まれて働くのはすごく新鮮な体験だ。


「今日ははじめてのことばっかりで疲れたでしょ?」


セレーナは店の近くのベンチに座り、隣をぽんぽんと叩く。

私は彼女に促され、隣へと座った。


「……たしかにちょっと慣れないことが多かったけど、その分楽しかったよ」


「ふふ、それはよかった」


先程まで着ていたエプロンをたたみ、膝の上にのせる。


「……ほんとに、楽しかったなぁ」


「…………」


しばらく沈黙が続き、なんとも言えない空気が流れた。

オレンジ色の空を見上げながら、私たち二人はまだちょっと肌寒い季節の風に晒されている。

穏やかな街の中で、私は今日見た光景を思い返す。

店の中の花々、道具が雑多に置かれた店の奥、店内から見える街の賑わい、お客さんの笑顔。

どれも普段は見たこともない、きれいで、眩しい光景だった。


「……じゃあ、日も沈んできたし、私はそろそろ帰るね」


セレーナはベンチから立ち上がり、二人分のエプロンを腕にかけたまま屋内の方へ戻っていく。


「あ……」


帰ろうと歩き出したセレーナを見る。

しかし、彼女は一歩進んだ所で立ち止まり、こちらをきょとんとした表情で見つめていた。


「…………」


「……リリィ?」


また、なんとも言えない空気が流れる。


「……手」


「手?……あっ」


彼女の顔から目線を下にやる。

私が無意識のうちに、セレーナの服のすそを掴んでいたことに気づいた。


「え、えと、ごめん、なんでもない」


ぱっと手を離す。

なんで私は掴んでいたんだろう。ほんとうに無意識だった。

意図しない自分自身の行動に戸惑ってしまう。

今日何度目かの、微妙な雰囲気。


「……リリィ、今日、うちに泊まっていかない?」


「……へ?」


「私、もっとリリィと一緒にいたいなー、って」


突然の提案に困惑する。

迷惑じゃないだろうか。

……でも、セレーナの家にお泊まりするのは、ちょっと楽しそうだ。


「うちは余ってる部屋があるから、そこに泊まれるよ。たぶんお母さんは大丈夫って言ってくれると思うから、リリィさえよければ」


「……うん、分かった。ちょっと連絡して大丈夫か聞いてみるね」


アンドロイド開発局に電話する。

本来、私たちアンドロイドは安全上の観点から外出するのに許可が必要だ。

しかし、現状の実質的な最高責任者であるクリス博士はその辺はかなり曖昧あいまいなのである。

何度か外出許可を取りに行った際に、三回目辺りから


「特に任務がない時は、リリィの好きな時に出かけていいよ」


などと、特に上に相談することもなくあっさり決めてしまった。

一応規約上必要なものなのでは、と私は言ったのだが、面倒だからとかの理由でテキトーに流されている。

結果、私は帰る時間さえ伝えていればほぼいつでも出かけていい、という形になってしまった。

……改めて考えると私、まるで遊びに出かける子供のような扱いを受けている気がする。


今回は帰る時間が伸びてしまう、というか今日中には帰らない形になってしまうため、その旨をクリス博士に説明することにした。

電話が繋がり事情を説明すると、案の定、特に否定する様子もなく二つ返事で了承されてしまった。

……改めて思うが、本当に大丈夫なのだろうか?


「……許可もらえた」


「やったぁ♪」


セレーナは喜んで店の中にいる母親に向かって駆け出した。


「今日リリィをウチに泊めてもいいよね?」


「えぇ!?そういうのはもっと早く言いなさいよ」


「でも、今日はたくさん手伝ってもらったし、ベッドもひとつ『あの部屋』に余ってるからいいでしょ?ね?お願い!」


「……はぁ、分かったわ。次からはもっと早く伝えなさい」


セレーナはあっという間に母親を説得してしまった。

私は店の外から顔を出す。


「急に押しかけてごめんなさい。お邪魔します」


「ふふ、いいのよ。どうせ娘から誘われたのでしょ?あの子、一度決めたら譲らないから」


そう言うと、セレーナのお母さんは店の奥にあった棚から鍵を取り出し、それをセレーナに投げた。

セレーナはそれを難なくキャッチする。


「私はまだ片付けがあるから、先に戻ってなさい」


「はーい」


彼女は返事をすると、私の手を引いて、


「それじゃ、行こっか」


と言い、店の外にある階段を登っていった。

一階が花屋で、二、三階に自宅があるらしい。

階段の先にあった扉を、先程受け取ったカギでがちゃり、と開いてセレーナは中へ入っていった。


「お、お邪魔します」


そんな定型句を言いながら、私は家の中へと入った。

最初に目に入ったのはお洒落な玄関マット。

セレーナが履いていた靴のみが置かれており、あとは靴箱に仕舞われているのか他に靴はない。

靴箱の上には小物類やさまざまな置き物があり、隣には姿見。

それ以外は珍しいものはなく、シンプルながらも機能的、かつお洒落な様子だ。

玄関の様子からして、彼女や彼女の母親らしい雰囲気が伺える。


靴を脱ぎ、家へと上がる。

廊下を進むとすぐの所に洗面所と浴室、その隣にはトイレがあり、さらに進むとリビングだ。

部屋の真ん中に四人分の椅子と机、その上には小さな花瓶に花が添えられている。

部屋の奥にはテレビがあり、隣には本棚が置いてある。

……いや、あれは本棚というよりDVD用の棚だろうか。

結構な数の映画が置いてある。

セレーナは映画好きなのだろうか。

テレビの前にはソファが置いてある。

とても座り心地が良さそうだ。


「テキトーにくつろいでていいよ」


部屋の左奥の階段から、髪を後ろに束ねたセレーナが降りてきた。

部屋をさらに見回しながらソファへと向かう。

置いてある家具もそうだが、部屋の隅にあるちょっとした観葉植物、余ったスペースにちょこんと置かれた可愛らしい置物、どれをとってもお洒落で少し落ち着かない。

ソファへと腰を落とす。


「ふかふか……」


見た目通りの座り心地だ。

しばらく立ち上がりたくなくなるくらいに。

少しはしたないかもしれないが、首もソファに預け、寝そべっているような体勢になる。

やや上向きの視覚は、テレビの真上の壁を映し出した。

ふと、右に目線を逸らすと、DVD用の棚の上側には写真が飾られていることに気づく。

満面の笑みを浮かべた黒髪の少女と、その両脇にいる大人の男女。


「お茶入れてきたよ〜」


綺麗な黒髪を揺らしながら、セレーナは私の顔を覗き込んできた。

素早く背筋をピンと正す。


かちゃり、と音を立てながら置かれた紅茶は、白い煙と良い香りを立てている。

ソーサーからカップを離し、口へと運ぶ。


「……おいしい」


このほのかに甘い風味はアップルティーだろうか。

林檎の甘味と癖の少ない風味が、体をほんのりと温める。


「今日はお疲れ様」


セレーナがぽすん、と私の横に座り、紅茶をひとくち飲む。


「リリィのおかげで今日は楽だったよ。お客さんもいつもより来てくれたし」


「そ、そう……?」


慣れないことも多かったが、私も少しは役に立てたのだろうか。

彼女の言葉がちょっぴり嬉しい。


「暇なときでいいからさ、また今日みたいに手伝ってよ。私もリリィと一緒のほうが楽しいし」


楽しかったのは私も同じだ。

綺麗な花に囲まれながら、セレーナと一緒に働くのは、どこか穏やかで、とても幸せな感じがした。

……とても、満たされた感覚だった。


「……わ、私」


「それじゃそろそろ、夕食の準備しなきゃ」


私の不意に漏れた言葉は遮られ、セレーナはキッチンへと歩いていく。

蛇口を捻り、キッチンから水の音が聞こえてきた。

ここで座ったままでも、彼女の様子は目で見て伺える。

ポニーテールが左へ右へと忙しなく揺れて、てきぱきと料理の準備を進めていた。

でも、手元はよく見えない。

ぴぴぴ、と機械的な音がする。

IHのコンロだろうか。

冷蔵庫から野菜を何個か取り出し、今度は水場近くに移動した。

すぐさま、とんとんとん、と何かを切る音が聞こえてくる。

気づけば、私はカウンター状のおしゃれなキッチンに身を乗り出して、調理の様子を見ていた。


「そういえばリリィって、料理したことある?」


冷蔵庫から肉を取り出しながら、セレーナは私にそう聞いた。


「ううん、無い」


「じゃあ、ちょっとやってみない?」


「……やる!」


料理に対して、興味というのは前々からあった。

セレーナと一緒に出かけて、今まで食べてきた美味しい料理。

それがどう作られてきたのかはとても気になる。

……あわよくば、自分で作れればどれほど良いかと、考えたりもした。

しかし中々機会が無かったため、実行に移そうとしたことはなかったのだ。

これはいい機会かもしれないと、私は少しの逡巡しゅんじゅうとともにキッチンに入った。


「じゃあ、まずは野菜を切る所からだね」


「……頑張る」


私は包丁を握りしめ、もう片方の手で親指を立てた。


「……ま、まずは包丁の持ち方からかなぁ」


セレーナはそう言うと、私の隣に立って包丁を持った。


「じゃあ、私の真似をしてみて」


セレーナは包丁に人差し指を沿わせる形で持っている。


「もう片方の手は猫の手ね」


「ねこのて」


私は彼女の言葉を繰り返し、包丁の使い方を観察した。

とんとん、と小刻みに野菜を切っている。

私も彼女を真似て野菜を切る。


「そうそう、上手」


とんとん、とんとん、と心地よい音がキッチンに響く。

私はセレーナに見守られながら、食材を切っていった。


「痛っ」


突然、セレーナがそう呟いた。


「指、切っちゃった……。余所見はやっぱ良くないね」


ばつが悪そうに、セレーナは微妙な笑顔を見せる。

指先を見ると、人差し指から血が出ていた。

赤い、あかい、血。


「っ……!?」


ぐらり、と視界が揺れる。

酩酊感、というべきかどうか。

その赤色を前に身体がふらつく。


「リリィ?」


「……っ、はぁ、っ、は、っ」


呼吸が乱れる。

頭から首筋を伝うような冷たさ。

手足が震える。

砂嵐のような耳鳴りとともに浮かぶ、記憶の中の赤色。

両手で目の前の調理場を掴み、下を見る。

今私が見ているべき、見えているべき景色を確認する。


「はぁ、っ、はぁっ、はーっ」


呼吸を整え、目下の景色を見る。

ただの床と、私の鋼鉄の足。

大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ。


「リリィ、大丈夫?」


「……うん、大丈夫。……セレーナの方こそ、大丈夫?」


「うん。このくらい、大したことないから。ちょっと絆創膏巻いてくるね」


セレーナは指を水で洗ったあと、たたっとキッチンを飛び出していった。


……今の、感覚。

呼び起こされた、光景。

そうか、私は……


「おまたせっ!料理、再会しよっか」


「……うん」


何事もなかったかの様に、私たちは料理を再開した。




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