第42話 運命の血塗られた糸

 ここまで一方的に不利な状況が続いていたのは、俺の持つ三種の術式すべてが彼女に有効打と成り得なかったからだ。


 飯綱いづなは威力が足りず、感覚共有は殺傷手段足りえず、遠見は無効化されていた。


 だがいまは違う。


「怨」


 黒い女が手をかざす。

 圧縮された空気の塊が弾丸のように打ち出され、一瞬のうちに肉薄する。

 瞬き一つの猶予もない。


 けれど、もはやそれが俺にあたることはない。


(見えてる見えてる)


 未来視の効果で、相手の行動が手に取るようにわかる。


 アニメとかでよくある、銃口から弾丸の軌道を予測して回避するとか、そのレベルの話ではない。

 こっちは実際に、弾丸が打ち出されるのを目視した後で回避しても先手で動ける。


 黒い女も俺の動きが変わったことに気付いたのか、わずかに表情を険しくしている。


「形勢逆転かな? もう、お姉さんの攻撃は俺に届かない」

「うふ、仙術の一つを見切ったのは褒めてあげる♡ けれど、これならどうかしらん?」


 黒い女が手を合わせ、猛る。


 刹那、フィールドが凍てついた。

 荒野だった大地は、次の瞬間凍土へと変化していた。


「やりすぎちゃったかしら」


 黒い女がため息交じりにつぶやいた。

 だから俺は、氷を砕き、平然と答える。


「いや」

「な……っ⁉」


 砕けた氷像から無傷で現れた俺に、女はひどく狼狽した。


「見切ったというの……? いまの一撃を、初見で」


 かんざしを振るという攻撃動作に起因して、空を斬るという結果を呼び出した。

 そしてその一刀と同時に飯綱いづなを発動し、その因果関係を発つことで前方に真空刃を発生させる。


「もう一度言うけど」


 氷は究極、分子の並びが規則正しくなっている状態変化に過ぎない。

 つまり、分子そのものが存在しない真空を氷結させることは不可能。


「お姉さんの攻撃はもう、俺には届かない」


 俺はいま、すごく調子がいい。

 いまならもっと踏み込んだ術式の解釈だってできそうだ。


 たとえば、そうだな。


「――ッ⁉」


 黒い女の表情が驚愕に染まる。

 うまくいったことに内心でほくそ笑む。


飯綱いづな術式応用、縮地」


 俺と彼女の間にあった、空間的距離。

 斬撃を振っても、決して届かないという、負の因果関係。

 それを断ち切り、間合いの内側へと潜り込む。


「冗談じゃないわッ!」


 黒い女が思い切り地面を蹴り飛ばした。

 後方へと大きくのけ反りながら、回避に全力を捧げている。


 その行動に、違和を感じた。


(避けた……?)


 最初に感じたのは、何故、である。


 どうやって回避したのかではない。


 どうして回避しなければならなかったのか、である。


(黒い女の再生力は脅威だ。俺の剣技じゃ致命傷に成り得ないはず。それなのに、何故――)


 思考が加速していく。

 相対的に、時間の流れが緩やかになっていく。


 まるで水あめの中でもがくような緩慢とした世界で女の表情をのぞき込んでみると、彼女自身、どうして回避しているのかわからず困惑している様子だった。


 だが、その答えはすぐにはじき出された。


 全力で回避して、なおよけきれなかった黒い刃。

 その切っ先がわずかにかすめた彼女の肌。


 そこから、真っ赤な血が、噴き出している。


「……は?」


 血飛沫が、俺の顔に飛び散った。

 突然の返り血に、思考が停止する。


 しまった、と思った。


 実際に思考が止まっていたのはたぶん、一秒にも満たない極短い間の話。

 しかし極限の命のやり取りではあまりにも致命的。


 次に思ったのは、何故反撃してこないのか、だ。


 俺は致命的な隙を晒していたはずだ。

 俺を仕留める程度造作もなかったはずだ。


 もちろん、そうなっていれば反射でこちらも対応していた可能性はある。


 だがそれを差し置いてなお、その間、何もしないというのはあまりにも不自然だった。


 発想を逆転させる。


 血飛沫を上げたのは相手の隙を作るための奇策ではなく、彼女にとっても予想外の出来事だったのではないだろうか。


「……ふふ」


 女は嗤っていた。


「あーはははっ♡ 素敵♡」


 恋慕に身を焦がすように自らの体を抱きしめて、女は背をそらせて天を仰ぎ、喜悦の声を漏らす。


「私はいま、彼を感じている……♡」


  ◇  ◇  ◇


 ソラが縁結びを行使した時すでに、彼女の肉体には変化が始まっていた。


 本来、彼女から外に向けての縁は伸びていない。

 何故なら彼女は女媧、あるいはイザナミなどの名でしられる女神の怨念が動かす泥の塊に過ぎないからだ。


 だが、その理をソラは無自覚のうちに破壊していた。


 彼女から外側へ向けて縁が伸びたことで、その整合性を持たせるために、彼女の内部に、神力の一端である縁が強制的に生成されたのだ。


 いわば因果関係の逆転。

 結果が先にあり、そのつじつま合わせに生まれた縁。


 もはや彼女の肉体は、ただの泥人形ではない。


 限りなく人に近い何かと化していた。


  ◇  ◇  ◇


 不意に、黒い女が表情を険しくして空を見上げた。


 釣られてそちらに視線を向けると、そこに、人一人が余裕をもって通れるほどの亀裂ができている。


「好き放題してくれたのぉ、女狐」


 そこを通って、人が、一人落ちてきた。


 だから、とっさに――

 飯綱いづなの応用で前方に真空空間を生み出して、攻撃に備えた。


 衝撃波が大地を揺らしたのはほとんど同時だった。

 先ほどまで黒い女が立っていたところに、龍が爪を振るったのかと見間違う痕が、大地を抉っている。

 その鋭利で真っ直ぐな爪痕をたどっていくと、そこに男が立っている。


 男は斬馬刀のようなものを振り下ろしていて、こちらをにらみつけていた。


 ……誰?


「雑賀の小僧を返してもらおうか、女狐」

「あらん、男女の仲に口をはさむなんて無粋ね、壬生家当主様?」


 壬生家当主……⁉


 てことは、もしかして!


「相変わらず、壬生は斬ることしか知りませぬな。突撃のタイミングを合わせようとかはお思いになられんのですかな」

「知らん。お前が合わせろ、桜守」


 男の上方に開いている亀裂から、もう一人、初老の男があらわれた。

 壬生家当主からは桜守と言われたが、懇親会で見た当主ではない。

 たぶん、朱音ちゃんのお爺ちゃんだろう。


「雑賀よ、老婆心ながら忠告するが、壬生家と当家、どちらが息子にふさわしいかよく考えた方が良いぞ」

「は、はは……」


 引きつった笑顔で男がさらに現れる。


「父さん!」


 俺を視認した父は、ほっと安堵した様子で手を振った。


「よっ、ソラ。手こずってるみたいだな」


 ざっざと、つま先を地面にこすりつけ、父はその顔から表情を消した。

 威圧感のある真顔で、俺を抱きかかえる女をにらみつけている。


「さて、覚悟できてんだろうな、女狐」


 壬生家、桜守家、雑賀家。

 その血を色濃く引き継いだ封伐師が三人、ここに出そろった。


「息子は返してもらうぞ」

「孫の許嫁は返していただこうかの」

「娘のこれに手を出した落とし前、きっちりつけてもらおか」


 壬生家だけなんか物騒!


 けど、黒い女は父一人でさえ襲撃が割に合わないと言っていた。

 三家揃ったこの状況、もはや勝ち確と言っても過言ではないのでは⁉


「ふふ」


 俺の予想に反し、黒い女は余裕の笑みを消さない。


「何がおかしい」


 父が問う。


「おかしいわぁ。まさか、気付いていないの?」


 黒い女は足元を指さした。


「ここは冥界寄りの大地。私の領域よん。現世うつしよみたいにあっけなく倒せると思っているなら大間違いよ?」


 ……!

 そういうことか!


(道理で! いままであっさり引いていたのに、今回はしっかり攻撃してきたわけだ!)


 いま、納得した。


「でもま、私はすっごく機嫌がいいから、見逃してあげるわん」

「なに?」


 父たちが顔をしかめた。


「何を企んでいる」

「なんにも? 言ったでしょう? いまは機嫌がいいって。そのボウヤも、あなたも、贄にしたい気分じゃないのよん♡」


 父が目くばせすると、桜守の爺さんが頷き、印のようなものを結んだ。

 すると体長が3メートルは有ろうかという、白銀の毛並みを淡く発光させる幻想的な狼が、俺の元へと召し遣わされる。


 狼に咥えられ、父たちの元へと連れ戻される間、黒い女は何もしなかった。


「雑賀の息子を現世に連れ戻しておけ」

『がるっ』


 白い狼は跳躍すると、空に開いた亀裂から、俺を現世へ連れ戻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る