第24話 『災禍』の群勢

 修羅場と言うのを初めてみる。

 まして、それが自分を中心としたものならなおさらだ。


「ときちゃん? 懇親会の主催者より目立つのはよくないと思うよ?」


 花も顔を背けるような笑顔で朱音ちゃんがときちゃんをたしなめる。

 もっとも、ここでいう花が顔を背ける理由は恥じらいではなく、威圧による恐怖だ。

 人里に下りてきて悪さをする狐を追い払うときのような機嫌の悪さをにじませながら、朱音ちゃんが凄む。


「そっちこそ。名家の令嬢なら、泥棒猫みたいなはしたない真似はよしなさいよ」

「泥棒猫って何よ。ソラくんはときちゃんのものじゃないよ?」

「ふふん」


 その言葉を待っていた、といわんばかりにときちゃんが胸を張って鼻を鳴らした。


「私はソラと縁結びまで済ませたんだから! 実質、将来を誓い合ったと言っても過言ではないでしょう?」


 過言だよ。

 その理屈で行くと、俺は母と婚約したことになるじゃねえか。


「なるほど」


 朱音ちゃんが瞳を閉じて、首肯する。

 乗るな。


ゆい姉」

「はい。お嬢様」


 朱音ちゃんが柏手を二回打って、人名を呼ぶ。

 唯と呼ばれた女性が音もなく表れて、一礼して俺の目の前まで歩いてやってきた。


 身ぎれいな女性だった。

 顔立ちは整っていて、髪はよく手入れされているのか、会場の明かりに照らされてつやつやと輝いていた。

 上等な着物を纏っているが落ち着いた色合いで、背筋は真っ直ぐ、黒縁のメガネが知的な印象とまじめな雰囲気を醸し出している。


「それではソラ様、失礼いたします」

「え」


 白磁のような指先を、懐から取り出した小刀の切っ先で小さく刺し、女性は指に血玉をつくった。


 あ、見覚えあるやつだ。

 そう思った時には、血玉が俺の額に押し付けられていた。


「ちょちょちょ、ちょっと⁉ なにしてるの⁉」


 慌てふためき、顔を赤くしてときちゃんが女性をなじる。


「これにて朱音お嬢様とソラ様の間にも縁が結ばれました。これで婚約は成立でございますね?」

「え、ちょ」

「ふざけんじゃないわよ! そんなの認めないんだから!」


 どうしよう。

 俺の知らないところでどんどん話が進んでいく。


(そうだ、こわもてアニキに、糸目お兄さん。この二人ならときちゃんと朱音ちゃんの暴走を止められるんじゃないか?)


 何せお嬢様第一って感じで動いている人材だ。

 わがままへの対処も慣れたものだろう。


 暗闇の中で細い希望の糸を探るように、会場のどこかにいるはずの二名を探す。

 幸いにしてすぐに見つかった。

 俺の近くに両名はいたのだ。


 彼らの仕えるお嬢様がそばにいるのだから当然と言えば当然である。


 よかった。


 だけど、声をかけようとして、口をつぐむ。


「豊雲のぉ、おんどれわかっとるんかぁ? うちのお嬢がこんだけ入れ込んどる雑賀を蔑ろにするっちゅうんは、壬生に対する宣戦布告と受け取ってええんやろなぁ?」

「そ、そのようなことは、決して……」

ゆかり様はソラ様の実母であらせられる御方。桜守としても、害なそうとする人物がいるなら、相応の対処が必要でしょうね。ああ、もちろん、あなたがそうだとは申しておりませんよ? 豊雲の奥方」

「は、はいぃ。寛大なお言葉、感謝してもしきれません……」


 祖母が言葉のリンチに遭っていた。

 顔面は蒼白を超えてもはや土気色に見える。

 ちょっと目を離した隙に30歳くらい年を取ったんじゃないかと疑ったくらいだ。


(ダメだ。この人たち、あてにならない)


 最後の望みは母だ。

 実の息子はまだ5歳。

 婚約なんて話、早すぎる。

 母もきっと思っているはずだ。ですよね。

 冷静な判断をお頼み申す。


「あらぁ、ソラ。あなたをあんなにかわいいお嬢様方が取り合ってくれていますよ。罪な男ですね」


 マザァァァァァ!

 違う、違う。そうじゃないでしょう⁉


 え、何?

 俺の感覚がおかしいの?

 日本において子どもの婚約ってそんなに珍しいことじゃないの?


 前世の俺にはそんな相手いなかったんだが?


「ソラ!」

「ソラくん!」


 愛らしい女の子二人が、ずいと顔を寄せた。

 ついさっきまで対立意見で言い争っていたにもかかわらず、その動きは写し鏡のように息ぴったりだ。


「どっちと婚約するの⁉」

「え、えー……と」


 困った。非常に困った。


 俺の後ろで、糸目お兄さんとこわもてアニキが粘っこい視線を送りつけてきている。

 断ればもちろんだが、優劣をつけただけでどうなったものかわかったものじゃない。


 平等に対処するとなれば今回は話を見送りたいと丁寧に説明すればいいのだが、それも難しい。

 なぜかというと、少なくともどちらかの家を後ろ盾にできなければ、豊雲家の干渉から母を守れなくなるからだ。

 それは避けたい。


 どうしたものか。


 いっそ、突然『災禍』の襲撃が起きたりして、大事件で全部曖昧になってくれないかな。

 はは、なんてね。


「た、大変です! 御当主様ぁ!」


 会場の扉が勢いよく開かれた。

 その勢いっぷりは、扉の開く音を銃声と聞き間違えるほどだ。


 その、大慌てであらわれた男が、額の汗も拭わずに報告を続ける。


「『災禍』の襲撃です!」


 一瞬にして、会場中に喧騒が広まる。

 だが、そのざわめきは、桜守家当主の一括によって即刻鎮圧された。


 鎮まった懇親会参加者に満足げな頷きを見せた後、桜守家当主が厳かに口を開く。


「ほう。方々から封伐師が集まる今日、襲撃を仕掛けるとは愚かな『災禍』よ」


 懇親会参加者はおのおの、確かにと同意を示した。

 今日は名門桜守家の愛娘、朱音ちゃんの社交界デビューである。

 故に、彼女と年の近い、たとえば俺みたいな封伐師の卵が全国各地から集まっている。


 当然、各家、『災禍』の襲撃に備えてそれなりの実力を持つ封伐師を護衛につけている。

 もちろん、封伐師として『災禍』の対処を蔑ろにできない以上、各家でも有力な封伐師――筆頭封伐師を送り込んでいる家はほとんどないだろうが、いま、桜守家は全国で最も防衛力の高い拠点と言っても過言ではない。


「して、『災禍』の種類は?」


 桜守家当主が、報告に来た男に問いかける。

 形式的な問いかけに過ぎない、と思った。


 種類を聞いたのち、戦える封伐師を鼓舞し、送り出す。

 それがこの場における最高権力者としての彼の務めだ。


 俺でもわかるそのやり取りに、しかし、桜守家に仕える男は回答に窮している。


「それが、その」

「なんだ。早く申せ」

「たくさん、です」

「は?」


 曖昧模糊な物言いに、桜守家当主が眉をひそめる。

 報告に来た男は慌てて弁明を測る。


「ほ、本当に言葉の通りなのです。数えきれないほど多種多様な『災禍』が、この屋敷を目指して」

「そんなはずは!」


 桜守家当主はたまらずといった様子で、自ら動いた。

 屋敷を飛び出し、正門に向かう。


(しめた! このどさくさに紛れて俺も逃げ出そう!)


 走り去る桜守家当主の後を追いかける。


「あ、ソラくん⁉」

「こら! 待ちなさいよ!」


 お転婆なお姫様を置き去りにして、桜守家当主の後を追う。

 既に正門にたどり着いていた彼は、声を震わせていた。


「なんなのだ、これは」


 目に映るのは、夥しい量の『災禍』の群れ。


 忘我の彼の意識を釣り上げるべく、彼の袖をくいくいと引っ張る。

 ハッと気づいた桜守家当主が、会場に引き返し、号令をあげる。


「戦える全ての封伐師に告げる! 『災禍』の群れが接近中!」


 後を追いかける俺との距離はそこそこあるが、それでも大声だと思える声量で、桜守家当主が号令を出す。


「封伐を開始せよ!」

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