第23話 名家の後ろ盾

「ちょっと待ってください!」


 突然現れた、母の母を名乗る女性。

 俺の思考は半分以上停止していた。

 わかったのはこの女性が母を実家に無理やり連れ戻そうとしていること。

 そして、それを受け入れがたいと感じている自分の心の二つだけだった。


 そしてその二つがあれば十分だった。


「あなたは?」

「雑賀空と申します」

「知っているわ」


 おばあさまがぎろりと俺を睨んだ。

 蛇ににらまれたのかと錯覚するほど、息が苦しくなった。

 まして、言葉なんて出てくるはずもなかった。


 俺を黙らせた後、祖母は母に向き直った。


「もう一度言います。紫、戻ってきなさい」

「いまさら何をおっしゃるのですか。私を『豊雲にふさわしくない』とおっしゃられたのは、お母さまでしょう」

「ええ。かつてはそうでした。しかし、状況が違います」


 祖母が横目に俺を一瞥する。


「全門開放だそうですね。紫、あなたには『母になる才能』があった。あなたが豊雲としてたくさんの子を産めば、豊雲の栄華は約束されたも同然です」

「勝手なこと、言わないでください」

「あなたこそいい年してわがままを言わないでください。それとも、育ての恩義を踏み倒すとでも? とんだ親不孝者ですね」

「……」

「雑賀の環境はやはり毒。秀才といわれたあなたがよもやここまで落ちぶれているとは思いもしませんでしたよ」


 嫌味な性格しているな。

 初対面の祖母に対し、そう思った。


 ここは名門桜守家。

 その正門前である。


 今日は懇親会で、招待された封伐師一族がぞろぞろと集まる中、注目を浴びる場所で娘をいびっている。

 おそらく、わざとだ。

 階段の前ではしゃぐな、だとか、そんな風に育てた覚えはないだとか口にしていて、自分は例外ですなんて厚い面してるのが鼻につく。


 話の内容からもそうだ。

 二人の会話から察するに、祖母は一度娘を見限っている。

 それなのに、いまになって戻ってきなさいと言っている。

 理由は俺と言うイレギュラーが生まれ、封伐師の母体として優秀なことが判明したから。


 雑賀がどうのこうの言っているが、あれは母を連れ戻すための難癖だ。


 娘を物としか見ていないのか?

 戦国時代からタイムスリップしてきたと言われても納得できる旧時代の価値観。

 いい印象を持つ方が難しい。

 母の実家を訪ねたことが無い理由にも納得がいった。


「はい。そこまで」


 パン、と柏手を打つ音が響いた。

 気が付けば朱音ちゃんのすぐそばに、糸目のお兄さんが立っている。


「ここは桜守の正門です。これ以上騒ぎ立てるならお引き取りくださいますようお願いいたします」


 祖母が青筋を立てて、糸目のお兄さんに食い下がる。


「なんです、年上に向かってその口の利き方は」


 けれど糸目のお兄さんはまるでどこ吹く風と言った様子で、


「そちらこそ。いったいいつから、豊雲は桜守に口答えできるほど偉くなったのです」

「……っ」

「お騒がせいたしました。それでは壬生様、雑賀様、受付にご案内いたします。どうぞこちらへ」


 西洋紳士のような頭の下げ方をする糸目のお兄さんにお礼を言って、俺たちはそそくさと祖母の元を離れた。


 豊雲の祖母はその間、じっと俺たちをにらみつけていた。


(厄介だなぁ)


 もう一波乱起こりそうだ。

 俺は直感して、げんなり、ため息を吐いた。


  ◇  ◇  ◇


 案の定ですね。


 懇親会が始まって、主催の桜守家当主から挨拶が終わるとすぐだった。

 下駄の音を雅に奏でながら、俺たち母子に近づく影が一つ。


「紫、話は終わっていませんよ」


 祖母である。


「私からお話しすることはなにもございません。お引き取りください」

「あなたは、豊雲の娘なのですよ。豊雲の為に身を尽くす義務があります」

「お母さまの理屈に合わせますと、いまは雑賀の妻です。雑賀の繁栄を優先するのが私の責務となります」


 祖母はワインの注がれたグラスを手に取ると、勢いよく、母にぶちまけた。


「この、親不孝者ッ!」


 にわかに、会場がざわめいた。


「雑賀にほだされおったか! 恥を知りなさい!」

「お母さまこそ、このような場で癇癪を起すなど、豊雲の評判を下げる愚行だと何故お気づきになられないのです」

「評判? そんなもの、あなたが子を産めば解決しますのよ! 全門開放の子が豊雲から多数生まれれば、豊雲は最強……! 誰も逆らえなくなるわ!」


 一方的にヒートアップしていく議論を、一番近くで、慌てふためきながら聞いているのが俺だ。

 若干後悔し始めている。


(来るんじゃなかった)


 それか、せっかく数年未来まで再生が済んでるからと言って未来視を妥協せず、きちんと懇親会の様子を確認しておくべきだった。

 こんな厄介事に巻き込まれるとわかっていたら、最初からここにいなかったのに。


 二人の話は平行線だ。

 譲り合う気配はない。決着の気配もない。


 こんな特大の厄介事に進んで首を突っ込む人間もいないだろう。

 であるなら、二人の喧嘩を仲裁できるのは俺だけ。


 仕方がない。

 間に割って入ろう……と、思った時だ。


「お二人の喧嘩を止めたいですか?」


 気が付けば半歩後ろに糸目のお兄さんが立っていて、そんな問いかけを俺に投げかけた。


「止めたいです」


 いつのまに背後に立っていたんだとか、どうやって止めるつもりなんだとか、いろんなことを棚上げして、端的に俺の意志だけを答えた。


「なるほど。ではもう一つご質問させてください。朱音お嬢様について、どのようにお考えでございますか?」

「は?」


 思わず間抜けな声が飛び出して、慌てて、しまったと口を塞いだ。

 こほんと咳払いして、思考を再開する。


「それ、いま関係あります?」

「ええ。大いに」

「む」


 真顔で言い切るお兄さんに、俺は熟考を強いられた。

 どうして、母と祖母の言い争いを鎮めることに朱音ちゃんがかかわってくるのだろうか。


 ……ああ、いや。そうか、わかったぞ。


(俺が朱音ちゃんと今後も仲良くしていくつもりがあるなら、桜守家が仲裁に入るのもやぶさかじゃない。そういう話か?)


 無関係な第三者がいれば自己評価高すぎと笑われそうだが、これで俺は前人未到の全門解放。

 封伐師として希少な人材なのだ。

 桜守家が俺をコネクションつないでおくに値する人物と評価していてもおかしくはない。


(いや、そうとしか考えられない)


 となれば、ここで俺の回答は一つ。

 朱音ちゃんをべた褒めすること!


「とても魅力的な女性だと思います。愛嬌が良く、俺みたいなやつにも声をかけてくれました。その慈愛に満ちた心はまさしく天使。彼女が笑うと、力強いエネルギーを秘めた草花が花開くような温かい気持ちに包まれます」

「そうでございましょう、そうでございましょう」


 うんうんと激しく首肯する糸目のお兄さんのリアクションを見て、俺は小さくガッツポーズを取った。

 やっぱりこれが正解か!


「今後とも末永くお付き合いさせていただきたいと考えております」

「承知いたしました。では――」


 パァンと、乾いた音が会場に響き渡った。


 注目が一斉に、柏手を打った、糸目のお兄さんに集まる。


 ついさっきまで言い争っていた母と祖母も言葉を発するのをやめて、驚いた様子で糸目のお兄さんを注視している。


「ここで桜守家より、お集りの皆様にご発表がございます」


 俺は額の汗をぬぐった。

 どうやら、交渉は成功らしい。

 二人の口喧嘩を、この重大発表とやらで吹き飛ばしてくれる算段なのだろう。


 いやぁ、いい仕事した。

 我ながらそう言わざるを得ないね。


「朱音さま、どうぞ」


 会場の一角、扉にスポットライトが当てられて、懇親会参加者が一斉にそちらに視線を向ける。

 開かれた扉の奥には、朱音ちゃんが立っていた。


 雅な振袖を着こなした朱音ちゃんは、俺が知っている自由奔放無邪気天真爛漫とは縁遠く、少しだけ大人のお姉さんに思えた。


(あれ? こっちに来てない?)


 裾を踏まないよう、おもむろに、朱音ちゃんが歩いている。

 進行方向にいるのは俺だ。

 気のせいだろうか、いいや気のせいではない。


 すぐ目の前まで来て、彼女は俺の目の前で流麗なお辞儀を繰り出した。


「雑賀空さん」

「え、はい」


 お淑やかな令嬢、みたいな雰囲気で声をかけられて、ついしどろもどろ返してしまう。

 そんな俺に彼女は優しく微笑みかけて、こう宣言した。


「わたしと、婚約してください」


 ……は?


(はぁぁぁぁぁっ⁉)


 ちょっと待て、ちょっと待て。

 落ち着け冷静になれ。

 何がどうなってそのセリフが出てきたの?

 俺らまだ5歳だぞ?


(は、ははーん。なるほどね、理解したぞ)


 少し驚いてしまったが、大人の駆け引きってやつに思案を巡らせればおのずと答えははじき出される。


(母は豊雲家から圧力をかけられている)


 理由は父が母に娘さんをくださいと頭を下げた側で、豊雲家としては貸しをつくってるって認識なんだ。

 それで高圧的に出れる。


(けど、俺が桜守家と懇ろになれば? 雑賀には桜守という強力な後ろ盾ができることになる)


 桜守家は封伐師の名門。

 一介の封伐師である豊雲があれやこれやと圧を掛け、口を挟める状況ではなくなるんじゃないかな。


 一応、矛盾なく説明できてるな。


(あと気になるのは、この宣言がどこまで本気かってことだけど)


 これは直接聞けばいい話だな。


「えっと、朱音……さん」

「はい」

「婚約ってのは、『大人になったら結婚しようね』、的な意味であっていますか?」

「はいっ!」


 やっぱりそうだ!


(つまり、これは子どもの口約束!)


 大人になるにつれて次第に、そんなことあったっけ? って風化していくやつ!

 つまりこの話は、豊雲家の圧力から雑賀を守りつつ、両家のつながりを強化する政治的な話!


 そうとわかれば。


「なるほど。お話はわかりました。その話――」

「ちょっと待ちなさいよッ!」

「⁉」


 会場の、すぐそばで、突然、大きな声が響いた。


 聞き覚えのある声に顔を向けると、そこに仁王立ちするときちゃんの姿がある。


「ソラの婚約者になるのは私なんだから! 抜け駆けなんて許さないわよ!」

「へ?」


 ときちゃん⁉

 ど、どういうこと⁉

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