第18話 話の通じない父

 俺の問いに女が口を開きかけたとき、遠くから勢いよく駆け寄ってくる足音が響いてきた。

 父だった。


「ソラ、無事か!」

「あらら。もう戻ってきちゃったの? 群れれば強いと思ってけしかけた『蝗禍こうか』だったけれど、想像以上に弱かったのかしら」

「っ! ソラから離れろ!」


 俺を掴んでいた女の手がぐにゃりと歪む。

 父の術式だ。


 女は小さく舌打ちすると、割に合わないといった様子で身をひるがえした。

 猫のようにしなやかなバネを宿した筋肉を使って、軽やかなバク宙でそばの枝に腰を下ろした。


「今回は私の負けにしておいてあげるわ。また会いましょう? 封伐師のボウヤ」

「逃がすと思ったか!」


 女が腰かけていた枝の根元から、空間が渦を巻いた。

 しかし、女は刹那の間に姿を消していた。


「くそ。相変わらず逃げ足の速い……っ」


 父が小さく悪態をついた。

 しかしそのあと、溜まった疲労を押し出すように長い溜息を吐いて、俺の頭に手を乗せた。


「無事でよかった、ソラ」


 喉の奥から、何か熱いものが込み上げてきた。

 鼻の奥がツンと刺激される。


  ◇  ◇  ◇


 ひとまず正門から屋敷に引き返して、話があると言われて座敷に向かった。

 紫の座布団に腰かけて、父は第一声で厳かに、

「最初に言っておこう。あれには関わるな。いいな」

 と宣言した。


(いや、無理だろ)


 あの女は再び俺に干渉してくる。

 別れ際、また会いましょうと言っていたことからもそれは明らかだ。


 何より、時間にすればわずかなことだが、彼女と向き合ったからわかる。

 彼女の気質は粘着質だ。

 見逃してくれるわけがない。


「でも」

「関わるな」

「あれは俺を狙って」

「関わるな」

「……はい」


 父は渋い顔でため息を吐いた。

 俺も、たぶんしぶしぶと言った表情をしている。

 何を聞いても答えてくれそうにない。


「話は以上だ」


 三年、父の息子をやっていてわかることがある。

 彼は封伐師として優秀だ。

 それもたぶん、同業の人からも一目置かれるほどに。

 母の態度からもわかる。


 けれどたぶん、父としては、平凡。

 こうと決めれば頑固で、自分の意見は曲げない意地っ張り。

 言葉足らずなこともしばしばで、一から十まで説明してくれるのは稀だ。

 育児も基本的に母任せだし、なんというか、価値観がアップデートされてないのである。


 封伐師の乳児期が将来を大きく左右することと、父自身が封伐師として有望だったこと、二つの要因が重なった結果なのだと思うけれど、印象はよくない。


(俺が転生者じゃなかったら、まず間違いなくグレてただろうな)


 まあ、精神はいい年したおっさんなので、反抗期みたいな態度で両親に迷惑をかけるつもりはないが、父として尊敬することもないだろう、とも思う。


(まあいい。あの女について最低限知っておきたいことは、本人から直接聞いてある)


 彼女の目的は雑賀の血肉。

 人を襲う怪物『災禍』を操るすべを持っていて、しかもどういうわけかあらゆる縁が彼女から切り離されている。

 おかげで未来視でも彼女の行動パターンは予測不能。


 俺にできる対抗策は、結局のところ一つしかない。


(強くならないと)


 半端な強さなんて、雑賀の血筋の前ではあってないようなものだ。


(次に襲われても返り討ちにできるよう、強く、強く)


 機会があれば父の『災禍』封伐に同行するといったな。

 あれは嘘だ。

 とりあえず、しばらく結界から出ないようにしよう。


(さて、今回の一件で、わかったことがある)


 それは総本山で術式を刻印してもらったり、一子相伝だという術式を刻印してもらわずとも発動できる術式が存在するということだ。


(感覚共有の術式は母のもの。繰り返し縁を結ぶことで術式への理解が深まり、ついには再現できるようにまでなった)


 と、いうことはだ。


「同じように、術式を繰り返し見て学べば、再現可能なものもあるんじゃないか?」


 幸いにして、俺にはその方法が確立されている。

 未来視だ。


(俺としてはあれだな。早く雑賀の秘伝の術式を覚えてしまいたい)


 父は時期が来て、俺が封伐師として相応しい実力を身につければ術式を教えてくれるといった。

 つまり、将来的に術式をマスターする可能性は十分あるはず。

 それを前借して覚えてしまうのが理想だ。


 問題となるのは、やはり遠い未来の視方か。

 未来を見るだけでなく、効率よくフィードバックを得ようとすれば、未来視の二重展開が必須となる。

 だが、二重展開においては、現時刻から順々に再生していかないと未来がブレて脳を痛めるだけという問題が生じている。


 ひとまず、未来視の術式もいま一度見直そう。

 ここまでは無条件で倍速で実施していたけれど、たとえば寝ている間は省略しても不都合はない。

 いわゆるカット編集というのを取り入れれば、その分だけ効率化できるのではないだろうか。


(再生速度も3倍――いや待てよ? あんまり再生速度を上げすぎると周囲の声を聴きとれなくなる、と思ったけど、そもそも視覚を飛ばしてるだけなのに声を聞き取れているのがおかしくないか?)


 倍速方法が時間をぶつ切りにしてコマ落ちさせるという方法を取っているのに、音声がぶつ切りになっている感覚は無いのも変だ。


(音声については、未来からフィードバックされる内容を脳内で復唱しているだけで、倍速に影響されないとか?)


 あり得そうな話である。


(だったらいっそ、再生速度を100倍くらいに吊り上げて――)


 術式を発動しようと試みた瞬間、後悔に襲われた。


「うえぇぇぇっ」


 考えてみれば当然なのだが、100倍速で世界を体感しても、処理する脳は現在時刻のスペックを上回ることが無い。


(30人が一斉にしゃべる内容を、それぞれ聞き分けないといけない感じ……)


 俺は聖徳太子ではないのである。

 聞き取れるわけがない。


(ひとまず、4倍速くらいで抑えておこう)


 3歳児は平均で半日ほど睡眠をとる。

 睡眠時間を省略するだけで実質さらに倍速になる様なものだし、一日で一週間分の修行を体験できる算段である。

 しばらくはこの速度で、奥義習得の未来まで再生できることを目標にしよう。

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