第17話 『災禍』の操り人
はじめての封伐だった。
脳みそが沸騰しそうなのは、欠陥だらけの術式で自爆特攻したからだけじゃなく、過剰なホルモン分泌も影響していたんだと思う。
ランナーズハイとか、そういうやつ。
そんなことを考えられるくらい冷静になるまで、『災禍』を封伐した地点で息を整えた後、ここも安全じゃないと思い至りようやく正門へ引き返そうとした時だ。
「あらん、やられちゃったのん? 使えない『災禍』ね」
そこに、女がいた。
知的でシャープな顔立ちだった。
へそ出しのラバー素材ライダースジャケットの上から羽織ったファーコートが、目のやり場に困るほど蠱惑的な彼女の妖しさに拍車をかけている。
「ボウヤがやったの? お姉さん、感心しちゃったぁ」
ともすれば自らの美貌に無頓着な女で、危険の息に至る魅力に気付いていないのかと錯覚する。
だが男であれば、否、命知らずの人間以外であれば、彼女に迂闊に近づく者はいないだろう。
(なんだ、この女)
対峙した瞬間から、心臓が早鐘を打っていた。
近づくものは、容赦なく斬り捨てる。
血を吸い続けた日本刀の刀身の輝きにも似た妖しさが、彼女からは鋭く放たれていた。
そして、これはたぶん、一度死を経験した俺だからこそわかることだけれど。
(濃密な、死臭がする)
だからとっさに――
「逃げちゃだーめっ♡」
「⁉」
考えるより先に走り出した俺を、いつの間にかそばに寄っていた女が取り押さえていた。
怖い。
本能的に死の恐怖を覚える。
「うーん、どうして君が生き残ったのかしら? 雑賀の生まれなのに補助系の術式しか持たない子ども。格好の餌だと思ったから、こいつらけしかけたのに」
思わず目に力が入ってしまった。
(この女、雑賀の血筋の秘密を知っている⁉)
じっとり、背中に冷や汗が広がっていく。
もしこの女の狙いが雑賀の血肉を使った『災禍』の進化で、天明の飢饉のようなことを狙っているとすれば、いま逃げ延びたとしても今後も俺は狙われ続ける。
生き残れるのか?
この、死の匂いを濃密に纏う鬼神のごとき女の魔の手を、搔い潜って。
「……お姉さんが、この『災禍』たちを呼んだの?」
「あらやだ、お姉さんですって♡」
「質問に、答えて」
「そうよん」
俺は歯噛みした。
考えてみれば、俺は『災禍』のことをほとんど知らない。
「『災禍』は、人が操る怪物なの?」
どこからやってくるのか。
どのように誕生するのか。
俺は何一つ知らなかった。
だけど、彼女の言葉を真とするのなら。
この怪物たちを生み出し、世界に混沌を招こうとしている組織がいることになる。
「うふん。『災禍』は自然発生する呪いよ。人が御すなんてできないわ、私以外にはね」
だが、どうやらそういうわけではないらしい。
ひとまず、想定される最悪は回避できたらしい。
そも、軟弱な人間が地球上で繁栄しているのは、その知性にこそ由来すると言っても過言ではない。
封伐対象の『災禍』に、同じく知性を持った人間の組織があるのとないのとではその驚異レベルが大きく異なることは明白だ。
「私からも質問よ。あなたは『どうしてこんなことをしたの』とは聞かなかった。それは、私の目論見におおよそ見当がついているから、と考えていいのかしら?」
「……っ」
「図星みたいね、ふふ」
女はぬらりと妖しく光る舌先でちろりと唇を撫で、「正直に顔に出ちゃって、カワイイ」と呟いた。
しまった、と思った。
俺が俺の『災禍』にとっての価値を知っていると自白したようなものだった。
「じゃ、そういうことだから」
説明の手間が省けてラッキー、くらいの軽い口調で、女は俺に言葉を続ける。
「大人しく、捕まってくれる?」
「嫌だ!」
俺を掴む腕に手を伸ばし、めいっぱいの力で掴んだ。
軽く膜を張りかけていたかさぶたを摩擦で抉り、女の手首に一文字の血を引く。
「っ」
感覚を共有して、手をばっと開く。
俺が俺に送った信号を、彼女の手は彼女の脳から送られた信号だと誤認して俺を掴む手を離した。
「やるじゃないボウヤ。勉強熱心な子は好きよ」
手の内から逃れるコンマ数秒の間に、未来視を再展開する。
右目は半秒先、左目は倍速再生。
子どもの体で真っ向から挑んで、大人の身体能力に勝てる可能性なんて1ミリもない。
だからせめて読みで上回らなければいけない。
けど――
「捕まえた」
「なっ⁉」
未来視には映っていなかった。
捕まえられる瞬間まで、彼女の姿は映っていなかった。
未来が書き換わった?
けれど、どうして。
考えてみれば、最初からおかしかった。
最初に見た未来において、『
彼女に関するアクションだけが、未来視から欠落している。
だから、気づいた。
(わかった、この女性に、あまりにも強烈な死を幻視する、その理由が)
気づきたくは無かった。
(彼女からは、縁がたったの一本も伸びていない)
それはつまり、この世界と完全に切り離された存在であることを意味している。
応用術式の未来視も、遠見の延長線に位置する以上、縁をたどらなければ覗くことはできない。
だから、現世と一切の縁を持たない彼女に関しては、何も見えない。
「……お姉さん、本当は死んでたりしない?」
黒い人影は、歪な三日月を浮かべるように
俺の脳裏には無縁塚という単語がよぎっていた。
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