第9話 三人の術式刻印

「遠見、遠くを見る術式ね」


 タブレットをのぞき込んだ母が、術式の名前を読み上げてくれた。


 遠見。

 聞く限りだと、戦闘力につながりそうなものではない。

 おそらくサポート系の技能。


 いいのだろうか。

 本当にこれでいいのだろうか。


「うーん」


 腕を組んで悩む。


 血筋の関係上、俺は『災禍』と戦うことを念頭に置かなければいけない。

 であるならば、やはり攻撃力や殲滅力こそ、術式に求められるものなのではないだろうか。


「あたしはいいとおもうよ! いち早く『災禍』を見つけられたら、安全だもん!」

「それは、たしかにそうなんだけど」


 あかねちゃんの言うことにも一理ある。

 いっそサポートに専念することで、『災禍』との接近戦を避けるっていうのはどうだろう。


 いや、それも難しいか。

 前世の話だが、母は『災禍』の単独撃破を任されていた。

 俺もいつかはそうなる。


「だったら、何を悩んでいるのよ」


 はっきりしなさいと言いたげにジト目を向けてくるのはときちゃんだ。


「やっぱり、『災禍』とたたかうために、攻撃系の術式はだいじな気がする」


 前世の俺は、逃げてばかりだった。

 受験も就活も、安定を求めてリスクを可能な限り排してきた。

 その結果、理不尽に対してなすすべもなく命を落とした。

 不条理に抗うためには、力が必要だと身に染みて学んだ。


「だったら、私が選ぶわ」


 ふんすと胸を張るときちゃんがかわいい。


「これ、刀が描いてあるし、私はこれにする」


 母がときちゃんのタブレットをのぞき込む。


飯綱いづな、斬撃を遠くに飛ばす術式ね」


 それを聞いたあかねちゃんが、手をパンと叩いてからもろ手を挙げた。


「すっごくいいと思う! ソラくんが遠くの『災禍』を見つけて、ときちゃんが倒すの!」

「べ、べべつに! あんたの補助なんていらないんだから! 私は、一人でも戦える!」

「えー、三人で戦った方が絶対いいよー」


 ときちゃんは口を尖らせた。


「俺も、ときちゃんみたいなしっかり者さんと一緒に戦えたら心強いな」


 ときちゃんが目を合わせてくれなくなった。

 けれど、辛うじて見える耳は真っ赤に染まっていて、照れてるんだとわかった。


「わ、わかったわよ。機会があったらね」

「ほんとう⁉ わーいっ、やったーやったー」

「機会があったらって言ってるでしょう⁉」


 なるほど。

 ときちゃんはあれだ。

 お姉ちゃん属性なんだ。

 頼られるとつい甘やかしてしまうタイプなのだ。


 一方であかねちゃんは甘えん坊属性だな。

 人懐っこくて、相手の懐にするりと潜り込んでいるタイプ。

 この二人、たぶん相性いいんじゃないかな。

 俺の入る隙間が無いけども。


「じゃあね、あたしはやっぱり、これ!」


 結局、あかねちゃんは最初と意見を変えず、狐火を選んだ。

 確かに、もしも斬撃が効かない相手がいた場合に、炎熱などの手段があるおかげで助かる、なんて場面もあるかもしれない。


 まあ、わずか三歳のあかねちゃんがそこまで考えてモノを選んでいるのかはわからないけれど、もしかすると桜守は調和をもたらすのが得意な家なのかもしれない。

 雑賀が呪われた血筋であるように、それぞれの血族にそれぞれの特色があってもなんらおかしくないと思う。


「決まったようじゃな」


 巫女さんが腰を上げる。


「それでは桜守の、近う寄れ」

「はいっ」


 あかねちゃんがとてとてと駆け寄る。

 巫女さんは手に持った扇子で、タブレットを軽くこんこんと叩いた。


「よっ」


 気の抜けた掛け声とともに、タブレットから無数の文字の羅列があふれ出し、列をなし、踊り始める。

 空中に舞う草書体の集合体はやがて球体となり、あかねちゃんの胸へと吸い込まれていった。


「終わったぞ」

「もう使えるの⁉」

「練習すればの。次、壬生の、こっちへ来い」

「はい」


 ときちゃんは起立するとその場で一礼した後、すり足で巫女さんのそばへと歩み寄った。

 うーん、なんていうか、よくしつけられてるよな。

 家格で言うと桜守家の方が上なんだろうけど、ときちゃんのほうがよっぽどお嬢様に見える。


「よっ」


 同じ手順でタブレットからあふれた術式が、ときちゃんの胸に吸い込まれていく。


「これでよし」

「ありがとうございます」

「よいよい。最後じゃ、雑賀の、来い」

「は、はい!」


 この巫女さんがお偉いさんだってわかっているから、ちょっと緊張する。

 あかねちゃんとかときちゃんみたいな無邪気さが、いまは恋しい。


「何の因果かのう」

「え?」

「何でもない。始めるぞ」


 巫女さんはタブレットをこんこんと叩くと、俺の胸の内へと文字の集合体は吸い込まれていく。


 特に、何かが変わった、という様子は感じられない。

 術式の理解度が低いのだ。

 当然と言えば当然ともいえる。


「よいか、三人とも」


 文字が吸い込まれた胸のあたりをまさぐっていたが、巫女さんが話始めたのでやめて、目を合わせた。

 今日一番真面目な表情をしていると気づいた。

 だけど、どうしてだろう。


「今日よりお主らは、封伐師としての一歩を歩み始めた」


 その頬には、雫の一筋流れてなどいない。


「連綿と続く『災禍』との戦いの終わりは子の世代になるか、孫の世代になるのか、それとも永遠に来ぬままなのか」


 その瞳に涙などこらえられていない。


「その答えは誰にもわからん。しかし、一日でも早く終わる日を願い、お主らの先祖は戦い続けてきた。今日という歴史をつないできた」


 だけど、俺には。


「いまはまだ小さな手も、いずれこの国を支える大きな手に育つ。そのこと、ゆめゆめ忘れぬよう」


 彼女が、

 気丈に振舞い、涙を隠す少女に見えた。


「精進せよ」


  ◇  ◇  ◇


 儀式は終わった、つつがなく。


(調子に乗りかけていた)


 霊力が歴史上でも類を見ないほど多いとわかって、気を緩めた自分がいた。

 努力が報われたって思った自分がいた。

 そろそろ、一息ついてもいいんじゃないか、なんて。


 全然違う。


 俺は、ちょっと前世の記憶が残ってるだけの凡人だ。

 術式一つまともに扱えないようじゃ、霊力量なんて宝の持ち腐れだ。


(努力が本当に必要になるのは、これからだ)


 一つの術式を極める。

 言葉にすればなんと簡潔で、実践しようとすればなんと難しいことだろう。


(やってやる)


 なるんだ、強く。

 あらゆる理不尽を、跳ねのけられるくらい。


 そのためにも。


「父さん、術の使い方を教えて」

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