第5話 封伐師の戦闘術

 2歳になっても、俺は母乳を求め続けた。

 母乳から不思議パワーをどれだけ取り込めるかが、今後の生存率に大きくかかわってくるのだ。

 美人のおっぱいだから、なんて邪な理由ではない。


 俺の予想通り、封伐師の間では『乳離れが遅いほど霊力が強い』という説話があるらしく、母も俺に乳離れを強要してこなかった。

 大事にされているんだな、と思うと胸が温かくなるのと同時に、絶対に長生きして安心させてあげよう、と強く思った。

 前世は親に先立つ不孝者だったから、なおさらだ。


 とはいえ、俺もそろそろ3歳。

 乳離れの時期は迫っていた。


「ソラ、今度お出かけしましょうね」

「おでかけ?」


 生まれてからずっと、俺は屋敷の中で育てられた。

 理由は簡単で、屋敷内には結界があり、『災禍』に襲われる心配が無かったからだ。


 だが、いつまでもそうはしていられない。

 いずれは父や母のように、封伐師として『災禍』と戦わなければいけない。


 とはいえ、いまはまだ戦う術を俺は知らない。


「でも、『さいか』は?」

「大丈夫よ。お父さんも一緒だからね」

「む」


 現役バリバリの父親が一緒なら、『災禍』が怖いから、という理由で外出を拒むことはできない。

 そして、人と交流するようになっていつまでも乳離れできない、と言われるのはさすがに外聞が悪い。


 赤ちゃん限定のトレーニングは、そろそろ打ち止めと考えた方がいいだろう。

 最近は不思議パワーの総量が上がりすぎて、母乳を呑んでも上昇がほとんど感じられなかったし、ある意味ではちょうどいい機会とも言える。


「どこにいくの?」

「それはね……」


  ◇  ◇  ◇


 二週間後。

 時は来た。


「ソラ、行くよ?」

「う、うん」


 門をくぐる。

 とりあえず、俺がやるべきはそれだけだ。

 だが、いまも、初めて敷地の外に出た0歳のころを思い出す。

 門をくぐるや否やまっしぐらにやってきていた三つ目のカラスの『災禍』。

 化け物に襲われる。

 それを考えると、足が震える。


「大丈夫だ。何が起きても父ちゃんが守ってやるからな」


 そう言って、父は俺に手を差し伸べてくれた。

 その手を取って、勇気を出して、外へ出る。


 肌がしびれた。

 直感でわかった。

 来る、と。


 そしてその予感はまさしく的中し、茂みからモグラのような化け物があらわれた。

 かわいくないモグラだ。

 なんせ体長は1メートルをゆうに超えていて、爪は鉄鋼のように頑強に見える。


 だけど、それが俺たちに近づくより早く――

 虚空から現れた漆黒の直方体が胴体をくりぬき、『災禍』は死に絶えた。


「な?」


 気負うでもなく、当たり前のようにニカッと笑って見せる父を見て、ああ大丈夫なんだ、と思った。


 心に余裕ができた。

 胸いっぱいに空気を吸うことだってできた。

 木々に囲まれたこの土地は、空気が良く澄んでいた。


「おとーさん、いまのおしえて!」

「わはは、ソラにはまだ早いかな?」

「そんなことないもん!」


 生きてるだけで『災禍』に狙われる呪われた血族なのだ。

 強くなるのに早すぎるなんてことはないはずだ。


「んー、じゃあ、車の中でお勉強だな」

「くるま?」

「人を乗せて走る乗り物のことだぞー」


 知ってるよ。

 いや、知ってたらおかしいのか。


 今生の俺が知り得ない情報と、知り得る情報。

 しっかり使い分けないとな。


 じゃなくてだな。

 問題は、誰が運転するのかってことだ。

 父が運転するなら、運転中に『災禍』に襲われたらどうすればいいのだろう。

 もしかして、母が運転してくれるのだろうか。


(強い!)


 長い階段を下ると、駐車場に、一台の車が用意されていた。

 黒塗りの高級車だ。


「お待ちしておりました雑賀様」


 黒スーツを着こなした老齢の紳士が、深々と頭を下げる。

 俺の直感が正しければ、彼の名前はセバスチャンかスミスかどちらか……!


「ソラ様と存じます。私は清水と申します。以後、お見知りおきを」

「すみす……っ!」

「清水でございます」


 惜しい。


 とりあえず、懸念は解消された。

 この人が運転してくれて、父は『災禍』の襲撃に備える。

 そういう役割分担なのだろう。


「はじめまして。さいかそらです。こちらこそよろしくおねがいします」


 ぺっこりんと頭を下げると、ほう、と感嘆交じりの吐息がこぼされた。


「礼儀正しいご子息でございますね」

「ああ! なにせ豊雲の血を引いているからな!」


 父と彼は長い付き合いらしい。

 談笑を交えながら、俺の初めての外出は始まった。


「懐かしいですな。思えば当時3歳の御当主をお連れした時は手に負えないやんちゃっぷりで」

「そ、そうだ、ソラ。さっきの『災禍』を倒した術を知りたいと言っていたな」


 バツが悪くなった父は俺に視線を落とすと、思いついたように話題をそらした。

 目的が露骨で透けて見えたけど、俺に都合が悪いわけでもないので乗ることにする。


「うん! おしえてくれるの?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」


 何言ってんだ?


「そうだな、まず、今回の外出の目的から話すか」


 ん?

 そう言えばそうだ。

 それも聞いていなかった。


 てっきり、年の近い友だちをつくるのかと思ったけど、そのためだけにこんな高級車を用意するだろうか?

 屋敷は広いし、財源には余裕がありそうではあるけれど、そのわりには乳母やお手伝いさんはいないし、なんだかちぐはぐだ。


 そもそもだ。

 人を襲う怪物が世にはびこる中、現役封伐師の父が俺のために時間を割くこと自体、封伐師側としては痛手なのではないだろうか。


 もしかすると俺が思っている以上に、今回の外出って大事なのだろうか。


「いまから目指すのは封伐師の総本山。やることは二つで、一つは霊力量の測定。『災禍』と戦うためのエネルギーがどれくらいあるか調べるんだ」


 おお、ついに来たか……!

 生後間もなくから母乳に含まれる霊力を吸収し続けたんだ。

 平均より多いはず、だよな?

 ちょっと不安になってきた。


「そしてもう一つは、術式の刻印」


 これをおこなうことで封伐師は初めて『災禍』と戦う術を手に入れる。


 父はそう言った。


(道理でどれだけ不思議パワーを活用しようとしてもうんともすんとも言わなかったわけだよ……)


 術式は多種多様にわたるらしい。


「父ちゃんがメインで使う術式は一子相伝。ソラが大きくなって、ソラになら託せる、と思ったら教えてやるからな」

「む……」


 そういう強力な術ほど早く教えてほしいものだが、人生とはやっぱり理不尽だ。

 やはり力か、力こそがあらゆる理不尽を覆す最適解なのか。

 闇堕ちしそー。

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