第3話 凡人の生存戦略

 今生の名前が発覚した。

 姓は雑賀さいか、名はそら

 雑賀空。それが俺の名前らしい。


「さて、次が来る前にさっさと引き返すか」


 父親はのしのしと歩き出す。

 俺は一抹の不安を抱えていた。


 雑賀衆、災禍。

 どちらも音はサイカだ。

 ただの偶然だろうか。

 それとも。


「俺たちの先祖に『災禍』と子を成した人がいたんだ。雑賀ってのは転じた名だ」


 おいちょっと待てや。

 せいぜい『災禍』と戦う集団だから、なんて理由かと思ってたら想定の二千歩先くらいの理由じゃねえか。


 怪物の血を引いてるって、大丈夫なのか、それ。


「災い転じて福と為す。『災禍』の血を受け継いだ我らは、対『災禍』の戦力として重用されてきた」


 おお!

 敵の能力を獲得することで精鋭部隊に進化したってことか!

 そんだけ才能豊かな名門生まれなら、俺にも自衛手段を獲得するくらいできるかもしれない。

 これはうれしい誤算だぞ。


「だがその一方、『災禍』は我々を殺すのに必死だ。どうにも、俺たちの血肉はやつらにとって馳走らしく、喰らった『災禍』は強大な力を得るのだ」


 おい。


「たとえば天明の飢饉。これを引き起こしたの歴史上でも最悪に分類される二体の『災禍』は『冷禍れいか』と『噴禍ふんか』と呼ばれ、当時最強と呼ばれた術師の血肉を分け合ったと記されている」


 ちょっと待て、ちょっと待て。

 いろいろと突っ込ませろ。


 まず一つ目、雑賀の名を背負うってことは、三蔵法師が妖怪に狙われたみたいに、『災禍』に目を付けられる運命を背負わないといけないってことか?

 それともう一つ、『災禍』ってのはせいぜいさっきのカラスとか、俺を殺した肉塊程度の相手じゃないのか?

 噴火とか冷害とか、そういう天災レベルの怪物を相手にしないといけないの?


 さては、詰んだか?


(……ふざけるなよ)


 世の中理不尽ばっかりだ。

 どうして俺が死ななきゃいけなかった。

 どうしてまた化け物と戦わざるを得ない状況になっている。


「けどま、安心しろ。屋敷の敷地内は結界を破られない限り安全だし、それに――」


 ぽん、と頭に手を乗せられた。

 父親の、剣だこで皮が分厚くなった手のひらだった。


「ソラ、お前が望むなら、最強の封伐師になれる」


 胸の内のムカムカが、晴れ渡っていく。

 それはまるで暗闇の下で見つけた一筋の光明。


 ありとあらゆる理不尽を払いのける、たった一つの方法。

 それは、自分自身が他の不条理を覆す、圧倒的理不尽な強さを手に入れること。


 ――そうだった。俺が望んだことだった。


 もっと最初から、全力で取り組んでいれば。

 後悔しか残らない最期なんて迎えずに済んだかもしれない、と。


 大それたもしもを叶える機会が、期せずして目の前に現れた。


(なってやる)


 熱い。胸も、脳も、ぐずぐずに溶けそうだ。

 こんなことは前世も含めて初めてだ。


(なってやるんだ)


 たとえ誰がなんて言おうと、始まる前から負けを認めたくなんてない。

 抗ってやる、運命に。

 そして。


(必ずつかみ取るんだ、あらゆる理不尽を跳ねのける――最強に!)


  ◇  ◇  ◇


 思うに、母が使うかんざし、あれは『災禍』と戦うための武器だ。

 では、父は?

 武器を使った様子は無かった。

 それどころか、手足を動かした素振りすらなかった。

 だがカラスは撃ち落とされた。


 つまり、首も座っていない赤子の俺でも、できることがあるかもしれない。


 でも、何をどうすればいいのだろうか。


 父は基本的に仕事で忙しい。

 仕事というのは、『災禍』退治である。

 俺が幼児ということもあるのだろうが、修行を手伝ってくれる暇はなさそうだ。


 強くなるためのきっかけは、自分で掴まないといけないらしい。


 堂々巡り仕掛けた問題が解決したのは、母乳を吸っているときのことだった。


(あれ? なんだこの感覚)


 飲み下した母乳から温かい熱を感じる。


 一度気づいてしまえば、どうして感じ取れなかったのかと不思議に思うくらい強烈なエネルギーだ。


 そして、どうやらそれは、腹内に納められた母乳とは別に、微量ではあるが俺の体内でもぐるぐると巡回しているみたいだった。


 頭の奥がむずかゆい。

 実体のない電極を脳みそにぶっ刺されて、微細な電流を流されているみたいだ。

 少しグロいイメージが脳裏に浮かんだのがきっかけだった。

 ふと、前世のことを思い出した。


 ――いま、あなたと私に縁を結んだ。あれが見える?


 あの時の彼女が俺に施したまじないがきっかけで、前世の俺は『災禍』を目視できるようになった。

 ではそのまじないとは何だったか。


(血だ)


 少女はかんざしで指の腹を切り、俺の額に一文字を描いた。

 あれが呪術的な行為だったのではないだろうか。


 母乳は白い血液だと聞いたことがある。

 もし、血中に含まれる何らかの成分が『災禍』と戦うためのエネルギーなのだと仮定すれば、腹内に納めた母乳から感じる激しい熱量も、全身をめぐる熱エネルギーも、説明がつく。


(ちょっと待て! ってことは、母親と比べて俺の不思議パワー容量って何百分の一だよ!)


 激しく熱を主張する母乳と比べて、俺の血潮から感じ取れる熱量は微々たるものだ。

 母乳と比べれば誤差の範囲だと言っても差し支えない。


 俺は『災禍』に狙われる呪われた一族の生まれ。

 生き残るためには戦う力が必要であり、その力は血中に含まれる不思議パワーにより引き出される。

 俺の不思議パワー容量は母と比べて著しく少ない。


(あれ……もしかして、詰んだか?)

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