第2話 三つ目のカラス

 数日が経った。

 どうやら俺は転生したらしい。


 手足が思うように動かないのも、軽々と持ち上げられるのも、赤ちゃんの肉体に前世の記憶が宿っていると考えればつじつまが合ってしまう。


 いやまあ、最期の瞬間、初めから全力で取り組めていれば、なんて未練を残したが、まさかそれが実現するなんて誰が想像するだろう。


「いっぱいのんで元気に育ってねー」


 とりあえず、美人の母乳を吸えるのは役得だ。

 体が成長していないせいか変な欲情はしないけど、疲れ切った社会人の心が癒されていく。

 いまこの瞬間が、一番幸せだ。

 時折呟かれる、不穏な言葉を除けば、だが。


「『災禍』に負けないくらい、強くなろうね」


 切実な言葉に、脳の奥がチリチリと焦げる。

 想起されるのは前世の最期。

 俺を殺した肉塊のような怪物だ。


 彼女はあれを『災禍』と呼んでいた。


 過去を振り返ればいまも鮮明に思い出せる。

 胸の中心を穿ち貫く腕の激痛も、血とともに魂が抜けていくような死の恐怖も。


 化け物退治を強制されるようなら家を出よう。

 懇切丁寧育ててもらっている手前、薄情な自覚はあるが、いくらなんでも割に合わない。


 痛いのはいやだ。苦しいのはいやだ。

 せっかく手にした二度目の人生なんだ。

 もう二度と、あんな死に方はごめんである。


 どうにか化け物と無縁の生活を送れないものだろうか。

 たとえば大金を稼げるようになって、戦線送りにするのは惜しいと思わせるとかどうだろう。

 そんな皮算用していた時のことだった。


「戻ったぞ!」


 屋敷中に響き渡りそうな大きな声が聞こえた。

 ほどなくしてふすまが勢いよくスライドする音がして、俺を抱きかかえていた母親が優しく声をかける。


「あなた、おかえりなさい」

「遅くなった」

「封伐師としてのお勤めですもの。胸を張ってください」

「う、うむ。いや、しかしだな」

「ほら、ソラ、パパだよー」


 首を動かせない俺が見やすいように、母が俺を抱え直す。

 おもわずぎょっとした。


 額に巻いた布製の黒いバンダナ。三白眼。

 和装束のような布製の衣装の上からレザージャケットを羽織っていて、腰には日本刀を背面側で横にして携えている。


 だが何より恐ろしいのは、彼が放つオーラだ。

 可視化できそうなほど濃密なそれには覚えがある。

 生前相対した『災禍』。

 いや、より正確に表現するなら、死そのもの。

 数々の戦場を乗り越えて来た歴戦の猛者。


 その、鼻が曲がりそうなほど強烈な死の匂いが鼻腔をくすぐって、涙腺は勢いよく決壊した。


「ふぎゃぁぁぁぁぁ!」

「おー、よしよし、大丈夫ですよ。パパは怖いのをやっつけるヒーローですからね」


 父親はしかめっ面を続けている。

 この見た目でヒーロー? 冗談。

 よしんばヒーローだとしてもダークヒーローだろ、これ。


「よし、わかった」


 掌底打ちを掌底打ちで相殺するような柏手を打ち、父がこんなことを言い出した。


「実際に見せるとしよう。俺が『災禍』と戦うところを」


 やめろォ!


「待ってくださいあなた、ソラはまだ生まれたばかりなんですよ」

「無論だ。だがいずれ会う。それなら、俺がいるうちに初邂逅を済ませておいた方がいい」

「そんな、めちゃくちゃです!」


 そうだそうだ、もっと言ってやれ……ぇ?


「もう決めた。行くぞ、ソラ」


 ごつごつした腕に抱きかかえられた。

 一瞬のことだった。

 なすすべもなく、屋敷の外へと連れ出されてしまう。


 屋敷の門をくぐるときに、海面に顔を出すような感触が全身を覆った。


 まだだ、前世で『災禍』が一般的知識として知られていなかった辺り、情報規制できる程度にしか存在していないのではないだろうか。

 つまり、屋敷の外に出たからと言って、必ずしも鉢合わせると決まったわけじゃないのでは?

 そうであってくれ!


「来たぞ、ソラ」


 前方からすごい勢いで迫る鳥がいる。

 羽毛は黒く、カラスを思い起こさせる。

 だが、そのカラスには目が三つもついていた。

 そのうえ、やつがはばたくたび、嵐のような突風が巻き起こり、木々を揺らしている。


 本当に来やがった! チクショウ!


「いいかソラ。よく聞け。戦国時代、紀伊国に、信長ですら恐れる集団がいた。高い経済力と軍事力を有する彼らを、かのルイス・フロイスは『いかなる戦争によっても滅ぼされることはなかった』と述べている」


 なにのんびり昔話始めようとしてるの⁉

 前、前!

 三つ目の化けカラスが接近中!

 歴史の勉強してる場合じゃないでしょう!


「集団の名は、雑賀衆さいかしゅう


 何が起きたのか、最初、わからなかった。

 瞬きをしたつもりは無かった。

 それなのに、三つ目のカラスが翼を失って、地に堕ちていく。


 は?


 父親は俺を両手で抱きかかえていて、武器を取り出す暇なんてなかったはずだ。

 だが、ここには俺と彼しかいない。

 彼以外にカラスを倒せた人物はいない。


「お前のルーツだ。覚えておけよ」


 この人、つえぇ。

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